一般社団法人
長野県新聞販売従業員共済厚生会の公益事業
スマートフォン版

広い世界を、知ろう、
学ぼう、探検しよう。


県内の中学・高校生を派遣記者として海外へ派遣。
取材を通して見聞、見識を広げよう。



県下小、中学生が専門家の指導で実験や製作などを体験。
興味を持ち楽しむことで思考力や自分の適性を見つけよう。


● News & Information ●
2022.01.14 学生記者海外派遣 第9回記者募集中止のお知らせ
 県内の中高生を米国に派遣する「第9回学生記者海外派遣事業」は、新型コロナウイルスの感染終息が見通せないため、今夏も記者の募集を中止させていただきます。
 ご応募を予定されていた中学生・高校生の皆さまには、大変心苦しく申し訳ございませんが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
2020.04.03 第9回学生記者派遣中止について

当社団法人について

長野県新聞販売従業員共済厚生会 スマートフォン版

新聞販売従業員の生活と福祉の向上を図り、地域社会の発展と住民の福祉に貢献することを目的に昭和49年に設立されました。地域貢献事業としてはこれまでも、特別支援学校の生徒への傷害保険贈呈や希望小学校への集金袋の贈呈などをおこなっています。

学生記者海外派遣事業

信濃毎日新聞を扱う販売店でつくる長野県新聞販売従業員共済厚生会が2012年から始めた地域貢献事業。取材体験を通じて視野を広げ、多様な分野で活躍できる人材を育てることを目指しています。

花立 ひなた(文化学園長野中学3年・長野市)


<若い世代が平和の発信を>

 広島・長崎への原爆投下から70年の節目の今年、米ワシントンのアメリカン大学で、20年ぶりとなる原爆展が開催された。今回派遣記者として訪れ、取材することができた。
 「なぜ、米国人は日本への原爆投下を正当化するのか?」この派遣の中で一番の取材の柱を率直に聞いてみたいと考えていた。
 まず、原爆展に夫婦で訪れていたウォルター・シップさん(83)という男性に質問を投げかけた。すると、「戦争を終わらせるためには仕方がなかった。」と話した。友人のロレイン・フリーマンさん(85)は「二度と繰り返してはいけないことだが、失敗ではなかった」と、原爆の図を見ながら目に涙を浮かべてはいたが、やはり、正当化する返答だった。
 物事には両面性があり、正当化し得る人もいれば否定する人もいる。ただ、日本人なら誰でも、きのこ雲の下で起こった惨状を知っている。しかし、立場が逆に変わっただけで正当化してしまうのは、むなしさを感じた。
 また、今回の派遣で楽しみにしていた事の一つにガールスカウトとの交流があった。彼女たちとは、同世代ながらの話で盛り上がった。
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が決裂し、核軍縮会議が進まない今、若い世代の私たちが、国益にとらわれず、草の根的に関係を結び、平和を発信していけたらいいと思う。



<テロを無くすためには>

 9・11記念博物館を訪れ、自分の中にすごく嫌な感情が湧いた。それは、この場所でしか味わえないテロの痛みに直接触れたからだと思う。
 「テロリズムを終えるために、何をすべきか」という問いをもって取材に臨んだ。家族で訪れていたポーラ・コワサギさん(51)は、「若い人の共有を深めて、互いに文化の交流をすべきだ」と話した。
 展示物を真剣に見ていたジェイコブ・テッツァさん(20)は、「あの事件は防げたはず。当時、小学1年生だったが、どのテレビを見ても9・11のことばかり報道していたのを覚えている。とても辛いことだ」と、涙ながらに語った。
 崩れていくビルの写真や、当時の報道番組を見て、その場で立ち止まってしまった。私が生まれて約1カ月後に起こった9・11を、今まで以上に身近に感じとり、テロの恐怖を知ったからだ。
 集団的自衛権の行使を容認した日本も、テロの標的になり得る可能性がある。二度と9・11のような悲劇を繰り返さないよう、武力でなく対話で解決できる、平和な世の中になっていけばいいと思う。
 当時のイスラム過激派組織によるアメリカ中枢同時テロを知らない若い私たちが、もっと進んで自ら学び、知ることが大切だと感じた。それが、問いに対する私の答えだ。

松島 圭佑(中野平中学2年・中野市)


<日本のことは世界のこと>

 ニュージアムを訪れていたワシントンD・C出身のアンナ・シモンズさん(15)に日本の印象について取材した。10代の人が日本についてどのような印象を持っているのか。「美しい国、食べ物がおいしい、きれいな花、すし‼」と笑顔で語ったアンナさん。日本文化は世界に広がっている。日本文化を外国の方は全く知らないと思っていた。しかしその考えは間違っていた。
 他にもニュージアムを訪れていた50代くらいの夫婦にも話を聞いた。衝撃的な答えでかなり驚いた。
「日本といえばやはり思い出す。2011年の東日本大震災。思い出すと胸が痛くなる」。悲しみがそこにはあった。しかし、悲しみで終わると思っていた取材には続きがあった。「でも、みんな、前に進もうと、復興に向けてがんばっている姿をテレビや新聞で見た時は自分も応援しようという気持ちが生まれた」と話した。
 あの大震災は日本を変えただけではない。世界を大きく動かしていた。この震災で心が動かされている人が海を越えたこのアメリカにいた。衝撃的だった。日本の印象はさまざまだったが、日本で起こっている問題は日本だけの問題ではない。世界全体の問題だった。それと同時に私たちも世界各地のさまざまな問題に目を向けていかなければならないと思った。



<多くの人を苦しめる核兵器>

 「あまりにもひどすぎる」。アメリカン大学の原爆展での取材中。取材した人ほぼ全員が口にした言葉だった。
 原爆展を見に来ていたうちの1人、ウォルター・シップさん(83)に取材をした。「アメリカはもう二度とこのようなことをしてはいけないと思っている。しかし、もしもアメリカが逆にやられることがあったら、今でもやり返す」と、原爆展を訪れてみての心境を、涙ながらに語った。私は胸がしめつけられた。また、「戦争を無くすためには、人と人とがしっかりと目を見て話すことが大切だ」とも話していた。
 今の時代は、インターネットやスマートフォンなどで実際に会ったことが無い人ともネット上で会話ができる。すごく便利なものでもあるが、他にも大切にしていかなくてはならないものがあると分かった。コミュニケーションは簡単そうに見えるが、世界共通の一番難しい問題なのかもしれない。
 また、姉妹のレイチェル・ハートさん(15)とマリコ・ハートさん(13)に、核兵器について取材した。2人に世界には1万6千発を超える核兵器があると伝えると、驚きと怒り、悲しみが全て混じったような表情で、「そんな数の核兵器は、ある必要がない。無駄だ。それをつくるエネルギーを他のものに活用してほしい」と強く語った。
 取材を通して、核兵器は多くの人を苦しめるものなので、無くしていかなければならない、多くの人を苦しめる戦争は今後絶対に起こしてはいけないということを思った。それに対して、もっと自分自身でも考えていかなければならないと心に決めた。

小川 真(第四中学3年・上田市)


<時代担う責任果たすと決心>

 アメリカ人は、原爆投下についてどう考えているのか。ニュージアムでリチャードさん(73)に取材した。彼は「原爆が戦争を止めた。広島と長崎の人は苦しんだかもしれないが、他の日本人は苦しみから逃れた」と語った。私の意見とは全く異なる人の考えを聞けたことは貴重だった。
 派遣中、取材しているときや、田中投手の登板試合を観戦しているときなどに、「ジャップ」と言われた仲間が多くいた。最初は意味が分からなかったが、後にアメリカ人からの日本人に対する差別語だと知った。
 アメリカで会った日系人記者は、「ジャップは、敗戦国日本という意味を含む。そう言ってくる人には、それはいけない言葉だということを教えなくてはならない」と、言われた際にどう返したらいいのかも教えてくださった。
 戦後70年の今も、日本には原爆に苦しめられている人がいて、アメリカには日本は敗戦国だと見下す人がいる事実。戦争は愚かで悲しい。失う物ばかりで、得られるものは何もない。憲法9条を大事にしてほしい。
 中学3年でこのような貴重な経験をさせていただいたことへの恩返しとして、「これからの時代を担っていく者の責任を果たせるよう、成長していく」と心に決めた。



<過去を知り テロ繰り返さず>

 問題となっている過激派組織をなくすために、何かできることはあるのだろうか。夫を亡くしたというアンさん(61)に、9・11トリビュートセンターで取材した。
 アンさんは、「理屈で話し合うことができないので、無くすことは難しい。9・11が起きたのは、テロリストがアメリカを憎み、自らの命を犠牲にしてまでアメリカに害を加えたかったから。子の世代の教育を大事にすることだ」と語った。
 その後、9・11記念博物館を訪れていたジェイコブさん(20)に取材した。彼は大学生で、イスラム教を信仰しているルームメートと、よく過激派組織の話をするという。「イスラム系の過激派組織が多いが、自分のルームメートは違う。宗教や人種は違っても、同じ人間同士なのだから話し合うべきだ。避けてしまって、直接話し合わず、向き合わないのはよくない」と話した。事件当時、小学1年だったという彼は、取材中に涙を流した。
 過激派組織の行動は、日本にとっても身近な問題になってきている。9・11のようなテロを二度と起こさないようにするためには、過去にこのような悲惨な出来事があったことをより多くの人が知ることも、大切なことではないだろうか。

萩原 日和(御代田中学3年・御代田町)


<記事が伝える遺族の思い>

 ニュージアムで9・11の記事の中に遺族の声が載っているのを見つけた。その時、「遺族の声を載せるのはなぜか」と疑問に思った。
 それから、僕は共同通信ニューヨーク支局の2人に取材をした。主に遺族の声を載せる必要性を聞いた。この質問に対して、9・11の遺族を毎年取材しているショーナ・マギーさんは、「遺族の声は、感情や情熱を持っている。これを記事に載せることで、読者にとって大惨事が身近な事になり、一生忘れない」と答えてくれた。支局長の尾崎元さんは、「読者は遺族の声を聞き、同情し、深く考える。数や事実だけでは、深く考えられない」と答えてくれた。
 この取材を通して、自分が普段読んでいる記事には、たくさんの思いが詰まっていると感じた。また、私たちがこれからもその思いを受け止める必要があると思う。



<犠牲者のメッセージ感じて>

 高層ビルが建ち並ぶ今の町の景色からは、「9・11」が起きた場所とは、想像もできなかった。
 しかし、9・11の記念博物館に入った瞬間、自分がその現場にいるような感覚に襲われた。現場に残っていた階段、逃げ惑う人々の声などが博物館の中にあったからだ。しかし、形に残っている物だけではなかった。犠牲者一人一人の顔写真、なぜ事故に遭ったのか、どのような人生だったのかという三つが分かる展示があった。そこからは、「思い」が感じられた。「恋人に会いたい」「息子の顔が見たい」…。
 このような出来事は、二度と起きてほしくない。また、一人でも多くの人に感じてほしい。犠牲者一人一人の思い。メッセージを。

矢口 駿太郎(松本秀峰中学2年・松本市)


<多様な文化を知り認め合う>

 日本の伝統文化「歌舞伎」をみなさんはご存じですか。
 私は小学校の歌舞伎クラブで3年間歌舞伎を演じてきた。今回、アメリカの人に日本の歌舞伎がどれだけ浸透しているか街中で聞いてみた。ほとんどの人は写真を見せても、首をかしげて知らない人が多かった。知っている人も数人いて、「美しく、芸術的」と賛嘆の声もあった。
 メトロポリタン美術館で会った、ラファエルさん(15)親子は、2年前、地元アルゼンチンで日本の歌舞伎役者が来たときの写真を見て、すごく美しく、すてきだったと笑顔で語った。
 400年以上の歴史を持つ日本の歌舞伎が、意外にも知られていないことに驚いた。しかし、外国でも、歌舞伎の公演がされていることを知り、歌舞伎は「美しい芸術」としてたくさんの人に認められていることが実感できた。そんな、「美しい芸術」に自分が関わってきたことを、誇りに思う。
 日本以外の世界の様々な文化を知ることは、お互いを認め合うことに通じると思う。だから、歌舞伎のことを伝えていきたいし、他の国の文化も学んでいきたい。



<平和の心をつなぐ>

 高層ビルに飛行機が激突し、黒煙を上げ、炎が上がる。今まで見たことのないすさまじい光景だった。
 9・11同時多発テロの映像を初めてみた私は、驚きと、なんでこんなことが起きたのだろうという疑問で、頭が真っ白になり、涙が止まらなかった。
 9・11同時多発テロによって、消防士の夫を亡くしたアンさんに話を聞いた。
 あなたにとって平和とは何か、という質問に、アンさんは「孫が戦争に行かず、おだやかに暮らすことが平和」と静かに答えた。
 私が以前読んだ本の一節に、「平和ほど尊きものはない。平和ほど幸福なものはない。平和こそ人類の進むべき根本の第一歩であらねばならない」とあった。
 私ができること。それは、アンさんの話を語っていくこと。それが平和への一歩になると思う。

小林 思音(豊科北中学3年・安曇野市)


<日米で違う観戦の楽しみ方>

 8月4日、ニューヨークのヤンキースタジアムでメジャーリーグを観戦した。「あなたの好きなスポーツは何ですか。」と観客に質問してみると、「野球」と答えた人もいたが、予想に反して、アメリカンフットボールやバスケットボールなど他のスポーツ名をあげた人が多かった。ガールスカウトと交流した時、「あなたの放課後の過ごし方は?」と聞くと、「さまざまなスポーツをする」と言っていた。いくつものスポーツを経験しているから、多様なスポーツに人気があるのだと思う。
 メジャーリーグの観戦で気づいたことがある。それは日本のように団体で応援する様子が見られないことだ。不思議に思って、「何人くらいで応援するのか」を聞いてみると、「数人」と答える人が多かった。日本人は、少人数で応援するのは恥ずかしいと思うが、アメリカ人は普段からよく話すし、大きな声で会話をしているため、恥ずかしいとは感じないのではないだろうか。ブーイングやウエーブの時は一体感があり、日本とは違う雰囲気を感じることができた。
 また、メジャーリーグには観客を楽しませる要素が多い。球場の整備をする人が踊っていたり、ウエーブで会場全体が盛り上がったり、まるで遊園地にいるように楽しい雰囲気だった。
 同じ野球でも、アメリカと日本では、観戦の楽しみ方に違いがあることが興味深かった。



<負の連鎖断つ思いやり>

「戦争やテロをなくすためにはどうすればいいか」。トリビュートWTCセンターで9・11に消防士の夫を亡くしたアン・バンハインさん(61)に質問をした。すると「人を憎んではいけないという教育が戦争やテロをなくすことにつながると思う」と話した。確かに、他人を憎まないことは大切だ。しかし、人間に「憎」という感情をなくすことができるのだろうか。人間は感情を持って生きているのだから、「憎」の感情も必ずあると思う。
 実際に、「9・11のテロリストは彼らの選択で罪なき人を殺した。9・11が起こった後のアメリカの対応は仕方のないことだ」ともアンさんは言っていた。戦争やテロをなくしたいと願っている人は多いけれど、実際に大事な家族を亡くすと気持ちが変わり、負の感情の連鎖が起きてしまうのかもしれない。私もアンさんと同じ境遇に立てば、同じような気持ちになるかもしれない。しかし、どこかでその連鎖を断ち切れないかと思った。
 僕は、取材をしていく中でヒントを見つけた。たくさんの人にアンさんと同じ質問をすると「相手の立場にたつ」「お互いのことをよく理解し合う」などの意見があった。それらを踏まえて、まずは、思いやりを持つことが大事ということを感じた。思いやりを持てるようになると、戦争やテロをなくすことにつながるかもしれない。今すぐ憎しみの連鎖を断ち切ることはできないが、身近なところから思いやりを積み重ね、この問題を考え続けたいと思う。

山本 優菜(仁科台中学2年・大町市)


<対話で捕鯨にも理解が>

 「日本側から私たちに伝えようとしてくれないと反対者は減らないよ。この先ずっと」。アメリカでの取材最終日に訪れたメトロポリタン美術館でインタビューに応じてくれたコンラッド・プチグさん(86)は、静かに言った。その日の私の取材テーマは、日本の捕鯨とイルカ漁についてどう思うか、だった。話を聞いた7人のうち、6人が「むごいこと」「かわいそう」と捕鯨に強い反対の意見だったが、コンラッドさんは少し違った。「日本はなぜ捕鯨やイルカ漁をするのか?」と逆に私に尋ねたのだ。
 私が「捕鯨は日本の伝統なので、調査や食料など捕ったイルカやクジラは無駄にされることなく使われると聞いています」と伝えると、意外そうな表情をした。そして、「捕鯨やイルカ漁が食を含めた伝統なら、尊重されるべきだ。だが、必要最小限にしてほしい」と語った。
 コンラッドさんは、「ザ・コーヴ」というドキュメンタリー映画をきっかけに、日本の捕鯨やイルカ漁を知り、映画の中のことが真実なら、見過ごせない問題だと思っていたという。日本人がイルカやクジラに感謝し大切に使っているなら、それを世界にもっと伝えないと日本の捕鯨は理解されない。冒頭の言葉で、そう私に教えてくれた。
 インタビュー後、私は自分のつたない説明でも耳を傾け理解を示してくれたコンラッドさんに感謝し、すっきりとした気持ちになった。その日私は、言葉だけではなく彼の姿勢から、話し合い認め合うことの大切さを肌で感じることができた。



<世界平和を目指す先駆けに>

 「日本以外の多くの国は周りの国のために命を懸けて戦っているのに、日本は自国だけを守っているなんて不公平だよね」。ワシントンDCにある報道の歴史の博物館、ニュージアム。そこに来ていたノーマン・ハービーさん(68)は、日本の自衛隊についてこう言った。
 私はアメリカで6人のアメリカ人に「あなたは自衛隊が軍隊とは違い、自国を守るためにしか動かないと知っていますか?」と聞いた。全員がYESと答えたが、それがいいことか、と聞くと意見はさまざまだった。その中で一番心に刺さったのが冒頭のノーマンさんの「不公平―アンフェア」の一言だ。私は返す言葉もなく、とてもショックだった。
 他国民の目には、日本は自分の国だけを守り他国を助けない自分勝手な国と映っても仕方ないのかもしれない。もちろんこれは何億といるアメリカ人の中の一人の意見だが、そんな風に思われていたのか、と心が痛んだ。しかし日本は第二次世界大戦で敗れ、被爆を経験した世界唯一の国である。敗戦の苦い歴史があるからこそ「平和」に対する執着心も強い。だからこそ日本は世界平和を目指す先駆けでなくてはならない。不公平だと言われても軍事力を行使するのではなく、周りの国々に戦争の悲惨さを伝え、世界中に本当の「平和」とは何かをあらためて考えてもらうことで世界平和に貢献できるはずだ。戦後70年の今、私たちは自国の平和憲法に誇りを持ち、世界と向き合っていくべきだと思う。

實吉 恵(諏訪南中学2年・諏訪市)


<教育格差は日米で問題>

 日本では今、教育格差が問題になっている。親の経済状況や学歴が、進学に影響しているのだという。同じように格差社会といわれるアメリカでは、どうなのか。教育の現状について取材してみた。
 ダレス空港で会ったスタムさんは「アメリカでは学歴に関係なく、最終的に富を得た人が成功者」という考えだった。だが、メトロポリタン美術館では「貧富の差は教育のレベルに比例する」と断言する来館者にも出会った。日米とも経済格差と教育格差は密接な関係にあるようだ。しかし、アメリカにはもっと違った事情もあった。共同通信ニューヨーク支局長の尾崎元さんによれば「アメリカでは人種の違いが教育に与える影響が大きい。白人に比べ、黒人やヒスパニック系は教育環境に恵まれないことが多い」という。教育格差の要因として貧富の差があり、それには人種問題も大きく影響していることが理解できた。
 アメリカに比べると日本の教育格差問題はまだまだ改善できると感じた。人種問題もアメリカほど深刻ではない。国の予算のなかで、教育に回す金額が驚くほど少ない日本。画一的な教育ではなく飛び級や奨学金制度を拡げれば、親の所得に関係なくだれもが能力の限り才能を伸ばすことができると思う。教育への予算を日本の未来への投資と考えることはできないだろうか。



<責任を持って報道を見る>

 最近、報道が政府寄りになってきたなと感じることがないだろうか。新聞やテレビを見ていて、そんなことが気になっていた私。アメリカでは、報道が政府とどのように距離を保っているのか。ワシントンDCにある報道博物館ニュージアムで取材した。
 国連弁護士のアナさん(40)は、「報道は政府を喜ばせるようなことはない。もし政府寄りになったとしても、それは報道の自由である」と言う。また、イボンヌさんは「メディアによって報道の左右があるとはっきりと分かる。それが明確だから読者は選択が可能だ」と言っていた。「左右に関わらず読者や視聴者の好みやニーズに沿った報道をして、利益を追求するのも自由だ」と言う意見もあった。取材を通じてアメリカでは「自由」がキーワードになっていると感じた。政府寄りになっても、結果的に商業主義に走ってしまっても、すべては報道の権利に基づいている。アメリカの人たちはそれを前提として、自分の責任で報道を選ぶ自由を行使しているのではないだろうか。
 今の日本では、戦前のような言論統制はもちろんない。だが、政府の圧力を避けるために、報道の方向をかえるのなら、そこに報道の自由はない。見る側、読む側である私たちも、責任をもって報道を選ぶべきなのかもしれない。



<核ない世界へ日本が先頭に>

 世界で唯一の被爆国、日本。原爆の恐ろしさを知っているはずの私たちの国は、オーストリアが出した「核兵器禁止文書」に賛同しなかった。アメリカの核の傘に守られている遠慮からだろうが、私は日本の対応に納得がいかなかった。今年は原爆投下70年。核兵器を持つこと、使うことの意味を、アメリカの人たちはどう考えているのか聞いてみたいと思った。
 取材をしてみると、核保有国であるにもかかわらず、多くの人が「原爆に絶対反対」と答えた。「原爆の被害は想像を超える。その非人道性を分かっていれば、誰も原爆投下が正しかったなんて思わないはず。」と、メトロポリタン美術館で会ったロペーズさん(26)。その声には憤りがこもっていた。一方、賛成意見の人も。報道博物館ニュージアムで会ったファレラさん(45)は、「長い目で見ると、原爆投下により多くの命を救ったと聞いているので、正しい事だったと思う」との答え。日本との歴史認識の違いの一端を見た気がした。
 原爆を落とした側にとっては、「もう終わった事。私たちには関係ない」と思っている人も多いかもしれない。でも、彼らが落とした1発の原子爆弾がどんな被害をもたらしたのか、知っておいてほしいと思った。核禁止文書に賛同できなかった日本。今こそ、傘の下から一歩踏み出し、核兵器のない平和な世界に向けて先頭に立って歩んでいくべきではないだろうか。

原 総吾(飯田西中学3年・飯田市)


<平和への意識を共有できる>

 2001年9月11日の米中枢同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービル(WTC)の跡地に、テロで亡くなった人達の遺族の皆さんが作った「9・11家族会」が運営するトリビュートWTCビジターセンターがあります。また、別に国が運営する9・11メモリアルミュージアムというのもあります。
 ここには、①家族を亡くした人たち②ビルから避難できた人たち③ビルの人を助けるために働いた人たち④現場周辺の住人⑤遠くからきたボランティアの人たち―が経験したことの資料などが音声、写真、ビデオなどで展示されています。
 特に心に残っていることは、消防士の夫を亡くし、「被害者の数はその多さだけ見るのではなく、亡くなった一人一人が誰かの大切な人であったことを分かってもらう」ために9年半ボランティアで話を続けているアンさんのお話です。
 テロリストはテロを起こすきっかけを作った。その国の罪のない人を殺すことは許されない。しかし、殺された人の家族は、これからテロや戦争を無くしていくには何かを憎むことはしていけない、と次世代に教えていきたい。自分がよく知らないことに直面すると、おそろしい、不安だと思うが、自分でたくさん学んで考えを見つけたり、みんなお互いに他人のことも理解する努力を忘れずに、直接会って顔をみて話し合ったりすることが大切だと教えていただきました。
 同時多発テロで初めて国土に被害を受けたアメリカは一般の人々が原爆を次世代に伝えていこうとする日本と共通した意識があることが分かり、これから平和への意識や行動を共有できるのでは、と思いました。



<原爆被害もっとアピールを>

 渡米初日、アメリカン大学で原爆展を取材しました。
 日本人のお母さんから原爆について話を聞いていた同年代(13)の米国人は、原爆の投下は必要なかったと考えていました。その理由は、「罪のない市民がたくさん亡くなったから」。でも、中学で原爆について学んだ時、生徒の50%以上が「原爆投下は仕方がなかった」と答えたそうです。私は、戦争を経験した人たちだけでなく、同年代の人も仕方がないと思っている人が多いことに驚きました。
 なぜそんな考えが多いと思うか尋ねると、「原爆は結果的に戦争を早く終わらせたし、アメリカ人の兵士が死ななくて済んだから」。世界の一番を自負する国民としてのプライドがあり、投下したあやまちを認められないのかと感じました。
 子どものころに戦争体験した80代の男女2人への取材で、「たくさんのアメリカ人にこの展示を見て、原爆の被害や悲惨さを認識してほしいし、二度と起こらないように次世代へ伝えていってほしい」と泣きながら話していたことが印象的でした。
 今回の展示は被爆した品25点、「原爆の図」が6枚ありましたが、そのシーンは原爆の事実だけではなかった気がします。私が前に見た被爆した街や人の様子の写真、ビデオの説明はインパクトがあるのに、多くなかったのは残念でした。
 また、この原爆展は20年前には反対があって場所が変更になったり、20年ぶりの開催だったり、訪れるアメリカ人が少ない気がしたので、もっとこの展示を9・11記念博物館のようにアピールするべきだと思いました。
 私たちも日本で、さらに海外へ発信するなど、できる努力を続けることが大切だと思いました。

金子 詩奈(阿智中学2年・阿智村)


<新国立競技場 費用考えて>

 今、日本国内で2020年に開催される東京五輪でメーンスタジアムとして使用される新国立競技場の問題が注目されている。建設費用が高額だという問題だ。共同通信の日本人への世論調査では、過半数以上が高すぎて反対という結果が出ている。では外国人はどのように思っているのか。ニューヨークにあるメトロポリタン美術館で取材した。
 アメリカ人で大学の教授であるウーリン・シュライガーさん(76)はこの問題を知っていると答えた上で「(高すぎて)信じられない」と言った。オーストラリア人のマイケル・クウィットさん(69)はこの問題を知らなかった。説明すると、「スタジアムは競技のためだけではない。アイデンティティ(東京五輪を象徴するようなもの)にもなりうる」と答えてくれた。
 デザインや使いやすさも大切だが、「国立」ということを視野に入れて費用を考え、東京らしさ、日本らしさを強調していけたら良いと思う。



<原爆は良い判断だったか>

 私は、昨年広島を訪れ、平和祈念館で凄惨な展示をたくさん見た。原爆の投下について、アメリカの人は戦争終結のための正しい判断だったと言うと私は予想した。しかし、アメリカン大学の原爆展でインタビューしたところ、違う意見を多く聞いた。
 第2次大戦を経験したウォルター・シップさん(83)に原爆投下は正しかったかと聞くと「他にも選択肢はあったと思う」と語った。母親が日本人のレイチェル・ハートさん(15)、マリコ・ハートさん(13)姉妹にも同じ質問をすると、「良い判断ではない」と言った。2人に学校で原爆についての授業はあるかと聞くと、「ある。ディスカッションしたが、友達のほとんどは良い判断だと言っていた」と話した。
 結果、私のインタビューした4人中4人とも、良い判断ではなかったと言ったことに、驚かされた。
 今回のような展示を世界各地で行い、核が及ぼす影響を目にしてもらうことで、その是非をもう一度考えてみてはどうかと思った。

堀 由依(長野日大高校1年・長野市)


<より良い博物館を目指して>

 一瞬、息を飲んだ。自分がまるで動物の暮らしの中に入り込んだようだ。ここはスミソニアン国立自然史博物館の哺乳類ブースだ。世界に誇る所蔵品の数々と至る所での展示の工夫。私の想像をはるかに超えたものだった。
 自分は今、博物館でボランティアをしている。そこで、日本の博物館だけではなくアメリカの博物館についても知りたいと思い、このスミソニアン博物館で取材をした。
 博物館の中央、インフォメーションでボランティアとして働いているレベッカ・ナザリエスさんに取材した。「この博物館では多くのボランティアが資料作りなど、スタッフの手伝いをしたり、私みたいにお客さんの案内をしたりとして、活躍している。また、このボランティア制度が世界からも注目されていて、見にも来る」という。展示品の一番のオススメはと聞くと「貴重な資料が多くあるので一つにはしぼれないし、ルールで一つのものを薦めてはいけない」と教えてくれた。他にも本1冊分のルールがあるそうだ。お客さんへの意識の高さと、責任の持ち方に、あらためて身のひきしまる思いがした。
 また、博物館に足を運んだミラーさん一家に質問すると、「ある物事一つに対して年代を追い、推移がわかること」と祖母のデブラ・ビショップさん。「昆虫に触れること」と息子のアキオくん(8)がうれしそうに答えてくれた。
 博物館ではより体験できることの大切さを、求められている。ここには自分の想像にない展示方法がたくさんあった。これからお互いの良い所を見つけ合うことがより良い博物館への第一歩だと思う。



<買い物のハプニングから考える>

 「あれ、10ドル足りない」。それが、私のアメリカを知る第一歩になったのかもしれない。
 ニューヨーク、ヤンキースタジアムのグッズショップでの帰りのことだった。先生に相談すると、「お札を多く払いすぎたのではないか。アメリカでは返ってこないことも多いのだ」という。日本でも、そんなことがゼロではないかもしれないが、私はまだ経験したことがない。
 現地に住む人たちは「自分が余分にお金を払ってしまったということを説明しなくては返ってこない。また、単に計算ができない人と、お金を自分のものにしようとする人がいる」と話した。日本では計算ができない人はレジ打ちになれない。しかし、アメリカでは…と思うと驚いた。
 もう一つが、賞味期限についてだ。お土産にクッキーを買おうとした時、ガイドさんに「賞味期限を確認しておこう」と言われ、目を向けると、1カ月前。それも、全部‼ 店員さんに言うと、「sorry」と言いながら残っていたという新しいクッキーを持ってきてくれた。
 賞味期限が切れていることにも驚いたが、もう一度店頭に並べ直す店員さんの行為に目を疑った。日本だったら…と考えてしまった。
 木下・共同通信ワシントン支局長は「ニュースになったことはあまりないが、大量生産、大量消費国だから、販売期限があり、それは守られていると思う」と話した。大国アメリカのやり方。賞味期限で捨てられる日本の大量の食べ物が目に浮かんだ。  日本でもアメリカでも生産地などの食の安全性への意識は高まっていることを知った。

中村 真美子(長野高校2年・長野市)


<音楽で心の会話ができる>

 私は和太鼓チームに所属している。以前、外国の方の前で演奏した時、その人たちにとても喜んでもらった。そこで、アメリカに行きたくさんの人と伝統楽器について話し合いたいと思っていた。
 ガールズスカウト交流会で同年代の子に日本の伝統楽器を知っているか聞いたところ、知らないと答えた。また、他の取材地でも聞いたがほとんどの人から同じ答えが返ってきた。また、和太鼓の良さを伝えようと話をしてもあまり興味を持ってもらえなかった。私の思いとは裏腹に現実を突きつけられた。
 音楽が伝わらない理由の一つとして、CDなどの録音した音では伝わらないものもあるということだ。歌手のライブをテレビで見るのと会場で観るのとは違うように、その場の雰囲気の中でしか分からないこともある。だから実際にその場で演奏し、興味を持ってもらうことが必要だ。
 また、言葉は国によって違うが音楽は世界共通だ。音楽は感情やメッセージを伝えることができるコミュニケーション手段の一つだと私は考えている。それを使うことで言語関係なくたくさんの人と心の会話ができると思う。音楽の中でも古くからある伝統楽器は多くの歴史や人々の思いが詰っている。それを知ることはお互いの国について考えるきっかけになるのではないか。私はそんな伝統楽器がもっと身近なものになること、そしてたくさんの人が音楽をきっかけにコミュニケーションをとってくれることを望んでいる。



<絶滅危惧種に関心を持って>

 絶滅危惧種について知っていますか―。質問したほぼ全ての人が知らないと答えた。しかし、危機にさらされている動物の保護についての考えを聞くと、全員が保護は必要だと答えた。
 ワシントンDCで話を聞いた女性は、絶滅危惧種について「ニュースで動物の絶滅の話を聞いても、皆大変だと思わない」と話した。アメリカに同行した学生記者の松本蟻ケ崎高校2年、西川茉那さんは「動物が絶滅した時のデメリットは何かを考えるべきだ」と話してくれた。
 取材を進める中で、絶滅危惧種についての関心の低さや認識の甘さが重要な問題点になっていると感じた。これらの原因として、学校で教わらない、ニュースでの報道が少ないなどの意見があった。
 解決策として、まず身近な人から絶滅危惧種について知ってもらうことが大切なのではないかと考える。それは野生動物の保護をしようという内容だけではない。私たち人間の乱獲や環境破壊が原因であることも具体例を挙げながら伝えていくべきだと思う。
 また、国立自然史博物館で取材したジェリー・アランさん(71)は、野生動物の保護に関わるなら国立公園の自然保護官の仕事があると教えてくれた。
 現在、日本では自然保護官の数が少ない。このことが日本の関心の低さを物語っているのではないか。だからこそ、この記事を目にした人たちが少しでも絶滅危惧種について関心を持ってもらえたらうれしく思う。

小林 晃大(上田高校2年・小諸市)


<肌で感じた日本の印象>

「日本文化が今海外で大ブーム‼」などといったフレーズをバラエティ番組や雑誌なでよく見かける。果たして自分が海外に行っても日本文化が浸透していることを実感できるのか。米国人に日本に対して抱く印象を取材した。
 取材した中で最も多かった意見は「日本は治安が良く、安全である」との内容だった。取材した人のほとんどが日本を一度も訪れたことがないにも関わらず治安が良いと答えたことは、とても興味深い。日本の良さにあらためて気付かされた。
 次に多かった意見は日本の食文化に関する内容だった。ロバートさん(45)は、「日本食と聞いて焼肉やサッポロビールが思い浮かぶ」と話した。またザックさん(18)は「寿司の中でも特にはまちが好き」と答えた。日本食の文化が浸透していることを実感した。
 一方戦争に関する内容の意見もあった。マイケルさん(26)は「第2次世界大戦が日本のイメージ」と答えた。戦後生まれた自分は米国に対し戦争の印象を抱いていないため、同じ戦後に生まれたマイケルさんがそうような印象をもっていることにとても驚いた。
 取材を終えて米国人は年齢・性別に関係なくさまざまな印象を日本に対して抱いていることがうかがえる。現地に赴き、実際に意見を肌で感じることは非常に大切なことであると学んだ。



<原爆は負の遺産との認識を>

 戦後70年の節目に合わせて、米国の首都ワシントンDCのアメリカン大学で原爆展が開催された。米国での原爆展は1995年以来20年ぶりの開催となった。前回の原爆展では退役軍人団体の反発を受けて展示の大幅縮小となったと聞き、今回の原爆展ではどのような内容の展示会となっているか興味を感じた。
 原爆展の展示物で最も印象があるのが、戦後広島の子供たちが、ワシントンの子供たちに描いた絵である。戦後広島にこのような歴史があったことに驚いた。
 原爆展の見学者の一人、ロレイン・フリーマンさん(85)に話を聞いた。フリーマンさんは高齢ながら歴史を学ぶために展示会に来たという。彼女に展示会に来る前と今で心境の変化があったか質問した。彼女は原爆をより身近なものに感じたと話した。最後に彼女は涙ぐみながら、原爆のような悲劇を2度と起こしてはならないと話していた。
 米国ではいまだに原爆を落としたことを正しいと考える人が多い。原爆は太平洋戦争を終わらせた存在であるが、同時に負の遺産としての認識も広がっていってほしい。

永井 優(野沢北高校1年・佐久市)


<米国求める本当の自由見たい>

 アメリカには「Statue of Liberty」と「Statue of Freedom」があります。日本名では両方「自由の女神(自由の像)」と言います。アメリカに行くまで自由の女神が2体あるとは思いもしませんでした。そして、自由という英単語が二つある事も知りませんでした。と同時にこの違いを知りたいと思いました。
 二つの彫刻が製作された時代やその経緯からおそらく「Statue of Liberty」の「Liberty」はイギリスの植民地支配からの「独立」という意味で、「Statue of Freedom」の「Freedom」は奴隷の「解放」だと想像します。
 僕は小さい時からアメリカに憧れていました。それはディズニーランドだったり、ハリウッド映画や音楽だったり。アメリカに対しての興味は尽きることがありません。けれどあってはならない9・11の映像や、白人警官が黒人少年を射殺するニュースを耳にすると、アメリカという国が分からなくなってしまいます。その答えに少しでも近づきたくてアメリカ行きを強く望みました。
 自分の目に映った夢の国アメリカは全てがきらきらして、一週間胸の高鳴りが止まりませんでした。そして、そこで暮らしている人たちがうらやましくてたまりませんでした。しかし残念な事がありました。それは差別です。アメリカには昔から黒人差別がある事は知っていました。しかし、現地に行ってみると差別は黒人だけでなくアジア人やヒスパニックなど多くの人達が差別されていることに驚きました。そして自分も「ジャップ」と言われたり、笑えないアメリカンジョークで馬鹿にされたりとたくさん差別されました。
 とてもショックだったのですが、それ以上に過去にLibertyを求め活動していたキング牧師や先人たちの汗と涙、そして犠牲が今に生きていない事が悲しかったです。それにインタビューをしていくと多くの人が「差別はなくならないと思う」とあきらめていたこと、そして戦争に対し賛成する人の声も多かったこともとても残念でした。
 アメリカ人はこの2体の自由の女神を誇りに思っている事が感じられました。なのにも関わらず人種差別や格差社会を正すことも無く今日まで来ています。いつかまた、アメリカが求めている本当の「自由」の姿を見てみたいと心から願っています。



<日本人ってすごい>

 日本人ってすごい。アメリカに行ったからこそ思うことです。
 まず手先の器用さです。ガールスカウト交流で一緒に折り紙を折ろうとした時に、折り紙の端と端をそろえて折ることが出来ず、すぐに飽きられてしまったのです。その代わりに折ってあげるとすごい、と喜んでくれました。これは昔から折っていないから慣れてないんだなと思っていました。
 次に思いやりの心がある事です。全てのお店がそうというわけではないのですが、アメリカの店員は不愛想です。また、ニューヨークで買い物をした時、お金を出すのが遅くなっただけで、ものすごく嫌な顔をされ、机を叩きながら急かされました。その時は本当にびっくりしました。
 そしてアメリカ人の多くは仕事の勤務中にも関わらず、携帯電話を使用しています。そして公共の電源を平気な顔をして使っています。その他にも公共のトイレが汚かったり、街中にゴミが散らばっていたりしていました。アメリカではこういう風景が普通なのかもしれないけれど、日本では考えられず、居心地が悪かったです。
 そして一番違うところ。それは料理です。どの料理も味が濃く、盛り付けなど関係なく大盛りです。日本だったらどんな料理も綺麗に盛り付けされていて、味付けはそんなに濃い味ではないと思います。日本料理の味には「あまじょっぱい」や「塩辛い」など色々あります。しかしアメリカの料理は「甘い」なら「物すごく甘い」し、「辛い」なら「物すごく辛い」という感じでした。
 それが一番感じられたのはアメリカのケーキです。アメリカのケーキはとても鮮やかな色をしていて、クリームはじゃりじゃりしていて、味覚を麻痺させるぐらい恐ろしく甘いです。そんなケーキも面白いと僕は思います。
 自国を出ることで自国の良さが分かると言いますが、まさにその通りだと思いました。アメリカ人がどうでもいいと思ってしまうところに日本人の繊細さが感じられ、改めて日本人ってすごいなと思ったのです。そして日本人であることを誇りに思います。

田邉 博智(松本工業高校2年・松本市)


<人間に必要なのは対話>

「核や戦争は断じてあってはならない。人間に必要なのは顔を合わせ互いを理解しようとする対話。今のあなたと私のようにね」。アメリカン大学の原爆展で涙を流しながら絵を見つめるユダヤ系女性フリーマンさん(85)が語ってくれた時、取材への一切の不安が消えた。
 米国取材を行う中で今米国や世界で起きている様々な問題に触れるうちにあるキーワードが浮かび上がった。「対話」だ。
 ミークス下院議員スタッフ、ビトル氏(40)は今だなくならない黒人差別について「経済的に見れば人種差別が非合理的なことは明らか。解決策は小さな、しかし沢山の対話だ。」と語った。
 夕食会ゲストの日系人記者は私たちが取材先で「JAP」と差別を受けた事に対し、「普通日本人はJAPと言われても黙っている。しかし、差別はいけないことだと伝え、対話しないことには何も始まらない」と述べた。
 アメリカに行ったからこそ気づけたこと、それは相手を見つめ、理解する努力をすること、「対話」の大切だった。性別、人種、世代、国境、これらを越えるため人間に必要なのは「対話」だ。それは日本や世界においても変わりはない。インターネットの普及により顔を合わせずとも会話ができる現代。今こそ人々は「対話」することを忘れずに生きる必要があるのではないだろうか。



<二国の精神と共通点を見た>

 アメリカと日本の精神の違いは何だろうか。
 連邦議会議事堂で米国誕生の映画を見た。力強くひたむきな開拓者たちの物語だ。当時の人々と同じく、その子孫である現代アメリカ人は、自分の国やルーツに誇りを持っている。さまざまな人たちで入り乱れる社会であるからこそ、自身に自信を持ち、個性を積極的にアピールできると思う。対して日本人は何においても平均を意識しすぎるのではないか。
 「日本人は繊細かつ完全主義で信頼できる。しかし、アメリカ人にあって日本人にないものはリスクだ。危険をかえりみず挑戦する心だ」。夕食会のゲストだった日系人記者が言った。米国は日本に比べ、世論の移り変わりが早いという。例えば、同性愛への理解の問題についてもアメリカは世界的に見て、より深い理解が広がっている。それもアメリカの国民性ゆえなのかもしれない。
 しかし、原爆展や9・11記念博物館を取材するうちに、二国の共通点も見えてきた。それは、非常時における団結力だ。2011年の東日本大震災では、日本人一人一人が他人のことを考え支え合い、配給トラックの前には静かに列を作り順番を待つ姿があった。9・11では、殉職した消防士たちをたたえ、街は星条旗にあふれたという。
 米国に行くことで今までとは異なった印象を持つ二国の精神と共通点を見ることができた。互いの国の性格や文化を取り入れて高め合っていける二国であってほしい。

佐藤 澪(豊科高校2年・白馬村)


<世界平和と国連の役割>

 私は今回の取材で国連本部に行くことを知った時ふと思った疑問がある。毎日世界のどこかで戦争が起きている中で「世界平和のために」と創設された国際連合は役目を果たしているのかということだ。少し難しいかと思ったが、次いつ行けるか分からない国連本部。本当に聞きたいことを聞いた。
 国連に行く日の前の晩、国連で働いている日本人の梅津伸さん(48)にお話を聞く機会があった。率直に気になっていたことを聞いてみた。梅津さんの答えは「難しい質問だけど、そうであってほしいと思っている。国連本部はニューヨークにあるけれど自分とかけ離れていると思ってほしくない。一人一人がどういう世界にしたいか。その考えと人間の知恵にかかっている」というものだった。
 私はアメリカ国民の考えも知りたかったので同じ質問を国連にいた観光客にも聞いてみた。仲の良さそうなご夫婦に聞いてみた。奥さんのエレインさん(65)は「役割を果たしていると思う。様々な国を一つにしているから」。一方、ご主人のデビッドさん(66)は、「国連で達成したことは多い。けれど今も戦争は起きている。そういう意味では上手くいっていないかも」と話した。私と似た意見だった。けれどこの考え方も地域や民族によって大きく異なるだろう。
 もっと取材がしたいと思った。今より平和な世界を自分たちで作っていくために。



<アメリカの食事は本当にHeavy?>

 私が今回の派遣で知りたかったこと、それは日本とアメリカの違いだ。違いといってもいろいろある。気候、文化、学校生活、食べ物、スーパーなどなど。何もかもが違う中で、私はアメリカと日本の食の違いを取材することにした。よくテレビなどで言われているアメリカの食べ物のイメージは本当なのか、自分で確かめたかった。
 まず日本人にアメリカの食事について実際に食べてみてどう感じたか聞いてみた。多かった意見は、「朝から重い」「ケーキが甘すぎる」「量が多い」「野菜が少ない」「果物はおいしい」というものだ。確かに日本食とは正反対と言っていいほど違った。しかし、アメリカ人に同じ質問をしたところ、全く違う答えが返ってきた。
 12歳のAlex君は、「アメリカは広いから、場所によって大きく異なる。南の方ほど重くて甘い物が多い。たくさんの種類から選べるから僕は好き」と言っていた。
 25歳のYariさんは、「アメリカは日本と比べると、重いし味も大ざっぱだけど、自分の口に合うものを選んで食べればおいしく健康的でいられる」と話していた。
 私はアメリカにくるまで、アメリカには重くて油っぽい食事しか無いと思っていた。その考え方がこの取材で見事に勘違いだったと分かった。本当に実際に行ってみなければ分からない。あらためてそう思った。

堀 尚裕(長野工業高専1年・南木曽町)


<差別を受けた驚きと怒り>

 あなたは「ジャップ」と言われたことがあるだろうか。ジャップとは日本人を卑しめて言う差別用語である。多様な人種を受け入れているイメージの強いアメリカだが、その想像とは異なる文化がそこにはあった。滞在中に訪れた博物館や野球会場では、見知らぬヒスパニック系アメリカ人の男女から「ジャップ! ジャップ!」と繰り返し言われた。同様の体験をしたのは私だけではない。博物館の中で展示品を見学していた際やすれ違い狭間に「ジャップ、どけよ!」と言われた学生記者もいた。
 このような体験した学生記者の多くから「まさか自分も差別されるとは思わなかった」、「自由な国というイメージが覆された」という意見が挙げられた。また私自身も、この現実に驚きや怒りを覚えた。同時に自らが初めてマイノリティという立場になり、他国で生活することが容易ではないことを知った。
 しかしながらマイノリティが発生するのはアメリカに限ったことではない。日本に住む外国人にとっても、彼らはマイノリティという立場になるのである。私自身がアメリカに行きマイノリティという立場に立ったからこそ、新たな視点で日本の社会を見ることができた。
 「ジャップ」という差別語で相手を呼ぶ彼らのように、私自身も日本に暮らす外国人を偏見のまなざしで見つめてしまったことがあるという反省の念に駆られた。
 日本に暮らす外国人を異国から来た一人として見るのではなく日本に暮らす一員として共存するべきだと思う。アメリカが教えてくれたことは自分が国際人として生きていく上で他国の人も認め合い平等に暮らすことである。



<人種差別に対する意識の違い>

清閑さを保つワシントン。そんな身勝手なイメージを覆す事実に触れた。それは、この街にもまだ複雑な白人と黒人の差別が残っているということである。奴隷解放宣言を発し、人種差別の歴史において名を残した人物リンカーン。彼の記念館を訪れて取材を行った。実際にアメリカに住む白人と黒人が人種差別に対してどのような意識を抱いているのか尋ねた。
 黒人の多くは、お互いが認め合わない限り人種差別は解決できないと語った。中でも白人にいじめられた経験があるという20代の黒人男性は「私たちの人生は君たちが想像できないくらいに普通ではないのだ」と険しい表情で話した。一方で白人の多くは、今日も人種差別が起きていることを認めようとしなかった。50代の白人男性は「人種差別はない。最近の報道は間違っている」と語った。両者の平等な権利を学ぶ記念館に居合わせながらも、彼らの意識には大きな隔たりがあったのである。お互いに認め合い共存できる社会が理想の姿とするならば、その道のりは長い。
 以上の取材を通して、この問題を解決することは高校生の自分一人では難しいことであると思った。しかし多くの人が自分の狭いコミュニティを抜けだし、もっと広い世界で多様な出来事に関心を持とうとすればより良い社会が築くことができるのではないだろうか。

小林 愛実(諏訪清陵高校2年・茅野市)


<仕方のない戦争はあるのか>

「憎しみは何も解決しない」
 そう言うのは9・11の遺族のアンさん。アンさんはこう語った。
「私が本当に言いたいことはテロリストたちは無実の人を犠牲にしたということです。アフガニスタンを含め、中東地域とアメリカの関わりについては長い歴史があります。だけど9・11を起こし、自分たちの選択によって無実の人を殺しました」
 テロはとても卑劣だ。それは率直な感想だったが、しかし、私はそこでひとつ疑問を持った。その後米国が報復として行った戦争で中東地域の罪のない多くの人々が亡くなったこと、アンさんはその結果を望んでいたのだろうか。
「私はもちろん戦争のない世の中のほうがいいに決まっていると思います。しかし今の『テロとの戦い』というのは国と国との戦いではなく、国家とある特定の団体との戦いになっています。だからテロを防ぐために戦争はときには避けられないことがあります。それが現実です」
 壁にはあの日亡くなったたくさんの人々の写真が飾られていた。これでもまだ一部で、犠牲者3025人全員の写真を展示すればとても収まらないという。しかしそこには亡くなったその数十倍ともいわれる中東の人々の写真は無かった。
 果たして仕方のない戦争はあるのか。その思いを抱えながら帰国した。これから政治、社会についてもっと深く学びたいと強く感じた。



<忘れられない光景>

 この旅で忘れられない光景がある。それはホワイトハウス前で一人、テントを張って核兵器廃絶を訴える女性の姿だった。彼女の名はコンセプション・ピショットさん。
「私は日本からやってきた高校生です」と話しかけると彼女は「ああ、日本。核はいけません。長崎、広島をもう二度と繰り返してはなりません」と繰り返し私に向けて言った。
 彼女の片方の足の指は複雑に絡まり合っていた。テントに展示してある傷ついた女性の写真はピショットさん自身だという。それは彼女がこの活動を続けるにあたって暴行が加えられたということを示すものだった。しかし彼女はそれでもこの活動を34年間し続けた。
 私は10ドル札を缶に入れて彼女に敬意を示した。あたりには人が集まってきて、彼女は言う。「未来はあなた方、そしてこどもたちに懸かっています」
 核兵器をなくすためには一人一人が行動をすることだとアメリカン大学原爆展の館長は語っていた。それを強く感じた出来事だった。

中川 泰成(伊那北高校2年・伊那市)


<未来に目を向けて生きる>

 8月6日のアメリカで30人ほどに「今日は何の日か知っているか」と、質問をぶつけてみた。日本人にとっては特別で忘れることのできない日だ。しかし、アメリカでは知られていなかった。答えることのできない人ばかりだった。そこで「70年前に」「広島で」と付け足すと答えられない人は一人もいなかった。30人ほどの中で唯一、車いすに乗ったおじいさんが「8月6日は広島に原爆が落とされた日だ」と即座に答えてくれた。
 その時、私はもやもやしていた気持ちがなくなった。大事なのは原爆が落とされた日を知っている事でなくて、落とされたという事実を知っている事だと思ったからだ。日にちは大事だが「知っている」ということが一番重要なのだと思う。
 しかし、知ってどうすればよいのだろう。日本で友達に「正直、戦争のことを知らなくても大学には入れて生きていける」と言われた。私もその通りだと思った。しかし、違うとも思った。後世に伝えていく必要があるからだ。知らなければ伝えることもできない。
 まず「知る」という行動を起こすべきだ。戦争があったという事実、戦争は苦しみしか生まないということを知る。そして、未来を造っていくのは私たちなのだから、自分には無関係だと思ってはいけない。
 私は過去を振り返り、学び、終戦から日本を立て直してくれた、先の日本人に感謝し、未来に目を向けて今を一生懸命生きたい。



<納得できず耐えられない差別>

 私は差別を受けた。ヤンキースタジアムで私は「ジャップ」と、何回も浴びせられた。怒りに震えた。しかし、言い返すことができなかった。我慢することが美徳だと思ったからだ。しかし、それは間違いだったと日系人記者に教えていただいた。フレッドさんは、「二度と言うな。言ってはならない言葉だ」と相手に教育するべきだったとアドバイスしてくれた。が、私にはハードルが高いことだと思った。
 なぜなら、彼に会う前日にワシントンのニュージアムで「Japs Accept Allies Terms Unreservedly」と大きく書かれた、1945年に発行された新聞を見た。それは、「ジャップが無条件降伏を受け入れる」という意味で原爆投下後の新聞であった。私は憤慨する思いだった。しかし、それ以上に空虚感を強く覚えた。
 その日の夕方、私は、実際にアメリカ人に何回も「ジャップ」と言われたのだ。アメリカは自由の国という強い憧れを持っていた私はとてもがっかりした。70年たった今もアメリカ人は私達日本人を差別の目で見ているのだと感じ、さらに、英語で言い返すことができない勇気のない私が情けなかった。
 日本に帰った今、ヤンキースタジアムで「ジャップ」と言われた経験は滅多に経験できないことだったのでうれしく思うことができる。しかし、新聞に書かれていた「ジャップ」には今も、これからも納得できず耐えられないだろう。

細田 智香(伊那西高校2年・駒ヶ根市)


<廃棄する食品の多さに…>

 豚肉、二ンジン、じゃがいも、よし、今日は肉じゃがにしよう。その前にちょっと小腹がすいちゃったからとうもろこしでも食べようかな。あ、でもこれ5日くらい前に茹でたやつか…色が変ってるし、捨てよう。あ、この納豆2週間前に賞味期限切れてる! 危ない危ない処分処分っと。…このような光景、あなたの家では見られるだろうか。
 初めてアメリカのレストランに入った。出てきたのは山盛りのスパゲッティ。6人で分けるのには十二分すぎる量で、とにかく量が多かった。最終的にすべてのテーブルに運ばれたお皿には料理の約3分の2が残っていたが、その皿を当たり前のように店員が下げていった。
 考えずとも、あの料理の行く末は想像できる。とても衝撃的だった。「どうしてそんなにもったいない事ができるの…」と思った。セキュリティーの仕事をしているおじいさんに「たくさん残ってしまった料理が平気で捨てられることについて」尋ねた。「とても残念なことだ。世界には食事があるだけで幸せという人が沢山いる。食べ物があることに感謝し、食事ができない人たちのために何か行動すべきだ」と話してくれた。
 しかし「日本で冷蔵庫を開けた時、いつでも沢山の食べ物が入っていて、何を食べようか迷うことができるだろう」と言われた。その時、私たち日本人も多くの食べ物を廃棄、処分している事を思い出した。日本は、賞味・消費期限切れ、色・形の悪さなど、とりわけ気にする国で、他の比べてみると素晴らしいことのように思えるが、現実はそういった規定から外れた食品のほとんどが廃棄処分されている。さまざまな問題を起こさないための対策であるが、私たち日本人が考えていかなければいけない問題の一つであることには違いない。
 では私たち消費者に何ができるのだろうか。第一として、「食べ物を残さない」ということ。お皿をきれいにして、いただきました。と手を合わせよう。そして今度は冷蔵庫を覗いてみよう。無駄にしてしまった物は無いだろうか。食品を買う際にも、必要な分だけを買う心掛けをすれば、経済的にも良くなっていくはずだ。こうしたあなたのちょっとした心掛けで、日本は変わることができるかもしれない。



<自身で見出す自由に>

「日本どうなっちゃうんだろう」。秘密保護法が強制採決されたとき、私はこう思った。そして疑問を抱いた。私たちの自由は本当に存在しているの? 「報道の自由」―アメリカの建国の大きな礎となっている自由の一つであり、日本にも存在しているといわれる。アメリカで働く日系人記者に「アメリカと日本に“報道の自由”はあると思いますか」と尋ねると、「アメリカには日本と比べてはるかにある。政府と戦うのがアメリカ、協力的に見られるのが日本。妥協すべきでない、日本はもっと戦うべきだ」と力強く話してくれた。
 またこの質問に対し、共同通信ニューヨーク支局の尾崎元さんは「存在する。しかし、存在するからといって好き勝手に報道することは自由ではない。自由を与えられている限り、それを常に点検し見直していかなければならない」と語った。さまざまな人に話を聞くなかで、報道機関は実際に「政府からの圧力」を受けていること、日本に「記者クラブ」というものが存在すること、などの事実も知ることができた。とても難しい問題だとあらためて感じた。
 世界報道の自由度ランキング61位(180カ国中)の日本。秘密保護法や福島第一原発問題が関わってきていると言われ、世界の報道の自由から、日本は逆行しているように思われる。世界中で、インターネットやスマートフォンが発達し、自分の意見やさまざまな情報を発信、受信することがとても簡単になってきている。ある意味、自由になり、ある意味締め付けがきかなくなっている。きちんとした情報が私たち国民に降りてきているのかあいまいな今、自分で情報を取捨選択しなければならなくなってきている。私たちの自由は、「与えられる」のではなく、「自身で見出す」ものになっていくのではないかと感じた。



<日本、世界の自由と平和とは?>

 自由の女神の足元に注目したことはあるだろうか。そこには引きちぎられた鎖と足かせがあり、それを女神が踏んでいる。当時アメリカに存在していた抑圧や弾圧からの解放を意味し、1886年以降、アメリカの自由の象徴としてそこに立っている。そんなわけか、「アメリカ=自由の国」という印象を持っている人も少なくないはずだ。そして私もその一人であった。この6日間さまざまな方々から話を聞いてきた。そして一つ、気になることができた。それは、「日本の、世界の『自由』って『平和』って何だろう」ということだ。結論から言うと、派遣が終わった今でも何なのか分かっていない。
 アメリカには、肌の色、人種の違いから起こる差別、経済格差などの問題が存在している。私たちは実際に差別を体験した。悔しくて、悲しかった。しかし気がついた。私たち日本人も外国人に対する差別をしていることを。銭湯の入場拒否など、調べてみるとこれでもかと出てくる。なんだ、日本もアメリカも変わらないじゃないか。これで自由の国と言えるのか。自由って何なのだろうか。
 9・11トリビュートセンターのアンさんは、「あなたにとっての平和とは?」という質問に、「子どもや孫が戦争に行かなくなる世界」と答えた。しかし「戦争はあったほうがいいと思いますか?」という質問には、「もちろん無いほうがいい。しかし、避けられない戦争もあるとは思う」と答えた。現在、日本では、集団的自衛権を行使することが決議され、同盟国であるアメリカの手助けをする日がやってくるかもしれない。戦争しないから平和なのか。戦争して訪れる平和のために戦うのか。平和って何なのだろうか。
 私にはいくら考えても分からなくて、この世界にはどちらも存在していないようにも思えてしまう。あまりにも漠然としすぎている。実態が何なのか分からないにもかかわらず私たちは、自由を、平和を、語りすぎている気がする。だから、簡単に「自由の国」や「世界平和」のように使ってはいけないのでは、と私は感じた。
 戦後70年が経った今、あなたが考えるこの国の、世界の「自由」と「平和」とはどんなものだろうか。自分の中のそれらが、本当にそうなのかもう一度考えてみてほしい。そして誰かと伝えあってほしい。そうすることで戦争や核の存在をあらためて知り、考え直す事が出来ると私は思うからだ。戦争をただの過去にしないために、これからの未来のために、考えてみる事から始めよう。