萩原 日和(御代田中学3年・御代田町)
「アメリカで触れた人間の強さ」
報道の博物館「ニュージアム」に、人種差別に抗議して白人専用のカウンターに座る黒人学生の写真が展示されていた。白人から食べ物をかけられている写真も。黒人女性に、「この国で黒人が白人から人種差別を受けていた時の写真だ。これを見て、どう思うか」と尋ねた。
「この写真はとても力強く、特別なもの。このような出来事は、現実に私たちの生活の一部だった。合衆国の法律や社会は、これからも少しずつ良くなっていくと信じている」。女性はこう答えた。
9・11トリビュートセンターでは、同時多発テロによって夫を亡くした女性の話を聞いた。「9・11テロのことは決して忘れることはできないし、許せない。たくさん苦労もした。でも私には2人の子どもがいて、生活は止まってくれない。だから毎日の生活に一生懸命で、今日まで来た」と語った。
彼女たちは「悲しい」「悔しい」という言葉を口にしなかった。もちろん、心の奥底にはそういった感情があると思う。それを言っても、どうにもならないと知っている。目の前のことを一つ一つやっていかなければ、前に進めない。
理不尽なことや大きな悲しみは、時に避けることができない。しかし、私たちはそれを乗り越えられる「強さ」を持っている。2人の女性から学んだ。一番大きな収穫は、逆境にあっても前に進める「人間の強さ」に直接触れたことだ。
「同世代との交流会で感じたこと」
意見をはっきりと言うことができるのはアメリカ人、意見を言わないのは日本人。これが、取材旅行前に私が持っていたイメージだった。ワシントンであったガールスカウト、ボーイスカウトとの交流会で知り合ったたくさんの友達に、このことを質問した。
質問した全員が「自分の意見を言うことができる」と答えた。同じテーブルに座ったメンバーは、髪や肌の色、宗教、人種、ルーツが多種多様。唯一の共通点は、アメリカで育っていることだ。まさに、アメリカのミニチュア版と言える。個人個人の価値観の土台が違うため、しっかりと自分の意見を言わないと、相手に自分を理解してもらえないのだと感じた。
私たち日本人は、相手の考えが何となく分かってしまう。多分、相手も自分の考えが何となく分かっていると思っている。だから多少の意見の差があっても、あえて口に出さないことが多い。それが日本の謙譲の美徳ではないだろうか。
アメリカ式と日本式に優劣はない。それぞれが必要により生まれた文化の違いだ。ただ、世界的には、はっきりと意見を言える方が正しいと考えられているようだ。
たどたどしい英語で質問する私の目をしっかりと見て、誠実に答えてくれたアメリカの方々に、「相手の意見を聞き、自分の意見を述べる」という民主主義の原点を感じた。