学生記者20人は31日、長野県各地から成田空港近くのホテルに集まりました。夕方の結団式で、空港やホテル、取材など実際の場面を想定した英会話を練習しました。街でインタビューする時には「少し、時間をいただけますか」と相手の都合を聞いてから質問を始める―など実践的な内容でした。
20人が顔を合わせたのは2回目ですが、成田に着くまでの電車やバスの中で会話が弾み、夕食のころにはかなりうち解けた様子。どのメンバーも頼もしく見えました。
午前11時の便で出発します。朝食もしっかり食べましたよ。空港でのチェックは緊張するけど…。搭乗までは待ち時間もあって、楽しんでいます。半日後にはワシントンに降り立ちます。元気に行ってきます!
ワシントンに到着しました。空港から国立航空宇宙博物館別館に直行し、さっそく初めての取材をしました。この別館には、スペースシャトルや広島に原爆を投下した「エノラゲイ」が展示されています。今年は、現職の米国大統領が初めて広島を訪れた年でもあります。エノラ・ゲイの前で、他の来館者に原爆投下についての考えを聞く中学生もいました。
その後、バスでワシントンのリンカーン記念堂を訪ね、ホワイトハウスも外から眺めました。屋外は強い日差しにうだるような暑さ。どの学生記者も眠気や旅の疲れが見えましたが、ガイドさんの説明を聞いたり、果敢にも訪れていた人たちにインタビューしたりしていました。「英語が聞き取れない」「インタビューを断られた」という声も上がっていました。ここからが頑張りどころです!
朝7時から夜8時すぎまで、盛りだくさんの一日でした。
連邦議会議事堂は厳しいセキュリティー検査を受けて入場し、すべて英語のガイドツアーに参加。連邦議会や政治の歴史を学びました。また、カーク上院議員(共和党、イリノイ州選出)の事務所を訪ね、スタッフの1人にインタビューをしました。学生記者から質問が途切れることはなく、銃規制、人権、オバマ大統領への評価など広く深い内容になりました。国立自然史博物館の見学、ゲストを招いた昼食会をはさみ、午後は大統領選の民主党候補に決まったヒラリー・クリントン氏の選挙事務所を訪問。21歳、22歳の女性が選挙活動を説明してくれ、ここでも学生記者から次々と質問が出ました。
スーパーマーケットでは日本へのお土産を探しました。値札からお得な商品を見つけるなど、結構な買い物上手でした。
夕方、同世代であるガールスカウト、ボーイスカウトとの交流会は、とても楽しい経験になりました。中盤、持参した千代紙や手ぬぐいなどをプレゼントし、その使い方、折り紙の折り方を教えていました。「英語が聞き取れない」「話せない」と諦めることなく意思疎通を取っていました。終盤、「大統領、または首相だったら、最優先させる政策は何か」というテーマで討論もしました。
あすはニュースの博物館「ニュージアム」を訪れた後、5時間かけてニューヨークへ向かいます。
見知らぬ土地で、見知らぬ人に声を掛け、自分が考えた質問をぶつける(しかも英語で)。学生記者のみなさんの姿がまぶしく見えます。
午前中はワシントンDCで、ニュースやジャーナリズムの博物館「NEWSEUM(ニュージアム)」を訪れました。米国のジャーナリズムや「自由」の歴史が、工夫された展示でたどれます。1時間弱の自由時間には、自分のテーマで来場者に取材もしました。
タイトなスケジュールで精力的に活動する学生記者20人。5時間かけてニューヨークへと向かうバスの中では、随行している竹内先生のリードでワークショップが行われました。それぞれが試して成功した取材のこつを共有したり、描写力や相づち力をアップさせる特訓をしたり。残りの時間も、次の取材に向け、コーディネーターの千晶さんや竹内先生、島倉先生に質問して、大人を眠らせませんでした。
渋滞にはまったものの、ほぼ定刻通りにニューヨークへ到着しました。ロックフェラーセンターにある展望台「トップ・オブ・ザ・ロック」からマンハッタンの夕景を眺めました。不夜城タイムズ・スクエアの喧噪の中にも身を置きました。
いま全世界が「テロ」に直面しています。今日は、2001年9月の米中枢同時テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地に近い「9・11トリビュートセンター」、跡地の地下にある「9・11記念博物館」を訪ねました。トリビュートセンターでは、消防士の夫を亡くしたアン・バンハインさんが話をしてくださり、また跡地の案内もしてくださいました。「人の立場も考えも肌も違っていていい。違う人を尊重することが大切だ。憎む相手を殺すため、自分の命を落とすことがあってはいけない」など、穏やかだけれど重いメッセージをたくさん受け取りました。
トリビュートセンターには、広島で被爆し、鶴を折り続けた佐々木禎子さんの折り鶴が展示されています。禎子さんの家族が寄贈したものです。跡地周辺には新しい世界貿易センターが建設されるなど、恐らく風景は様変わりしています。その中で、崩壊したツインタワーがあった場所は、建物を建てずにメモリアル施設になっています。深く掘って、地上レベルから少しずつ水が流れ込んでる構造です。底が見えないこと、水が少しずつ流れることにも深い意味がありました。周りには、犠牲者の名前が刻まれています。今日が誕生日の人の名前には、白い花が添えられていました。
昼食には、共同通信社のニューヨーク支局長が来てくださいました。昼食後はそのまま同支局を訪ね、支局長の話を聞きました。ここでも、学生記者は自分が取材しているテーマに関する質問を次々と支局長にぶつけていました。
夕方は、ヤンキースタジアムでヤンキース対メッツの「地下鉄対決」を観戦。広大なスタジアム観客席は徐々に埋まっていきました。応援は日本のような鳴り物を使いません。メッツが得点を重ねるごとに場内の歓声が大きくなり、熱気に包まれました。学生記者は、ショップで買った帽子を早速かぶったり、ホットドッグやピザを食べたりしながら観戦しました。
本日、取材日程を全て終えました。
国連本部ではガイドツアーに参加し、安全保障理事会、総会などの議場を回りました。通路にある展示で難民や世界の軍事費といった世界が直面する課題やPKOなど国連の活動について説明を受けました。
午後は、世界最大級の美術館であるメトロポリタン美術館へ。フェルメールとゴッホの作品をグループで見た後、各自で鑑賞しました。じっくり見るには数日かかるという規模で、広い部屋がいくつも続き、迷いそう(いや、迷いました)。楽しみにしていた人も多い場所。中高生記者たちは、あっという間に散っていったのでした。
夕食はフェアウェルパーティーがありました。食事はマッシュポテトにスペアリブ、フライドチキンなど。食べながら、1人1人が「1~3分」のロングスピーチでこの派遣期間を振り返りました。「アメリカの人は、自分の意見を持っている」「最後は自分1人の力でインタビューができた」などの声が上がっていました。
派遣日程は、帰宅まで続きます。6日、アメリカを出発します。
アメリカでの取材は、現地コーディネーターの千晶さんがいつも前へ前へと引っ張ってくれました。初回の学生記者派遣から、毎年お世話になっている方です。1人1人のテーマにぴったりな取材相手を探し当てる名人。その千晶さんとホテルでお別れしました。ニューヨーク市内を眺めながらJFK空港へ。出国時のセキュリティー検査は、靴まで脱ぎました。機内に乗り込むまで1時間超の余裕があり、アメリカ最後の買い物をゆっくり楽しみました。
さあ、半日後には、成田です。
午後4時前、成田空港に到着しました。空港で解団式をし、成田エクスプレスに乗りました。そして、長野方面グループは東京で下車し、新宿駅まで行く松本方面グループを見送りました。ホームに立つ男子1人が号泣。あぁ、旅が終わるんだなぁ、としみじみ思う場面でした。
千晶さんがお別れの時に言っていたました。「この取材の旅に送り出してくださったご家族に、ありがとうと言おう」と。本当にその通りです。ずっと記憶に残るであろう人、言葉、場面に出会うことができました。ありがとうございました。