取材報告

帰国後の取材報告です。

花立 ひなた(文化学園長野中学3年・長野市)


「取り組むべき問題」

 アメリカにおける銃の歴史は開拓時代や独立戦争にさかのぼり、憲法が所持を認めている。銃はどのような存在なのか。現地で取材した。
 熱心なキリスト教徒というブラッド・ウェベルさんは「暴力に反対。銃はもっと規制すべきだ」と断言した。共和党上院議員の事務所で働くジェイソン・ゲスキさんは「銃の所持は根本の権利」と言い、障害者が刃物で殺傷された相模原の事件も引き合いに出して「銃は危険だが、法律を守って所持する人は犯罪を起こさない」と話した。
報道の博物館「ニュージアム」を訪れていたパトリシアさんは「私は、日本のように規制するべきだと思う」と言った後、「でも銃を持つ人たちにとって、銃は自分を、そして生活を守るためのもの」と続けた。私は彼女の言葉を聞き、この国で今、市民生活から銃を一切なくすほどの規制はほぼ不可能だろうと理解した。
 市民が銃を持てないよう完全に規制すれば、誤った方法で使われることはなくなるかもしれない。だが自衛もできなくなってしまう。非合法の銃が出回ればなおさらだ。49人が亡くなったフロリダ州の銃乱射事件を受け、銃規制強化の法案が上院に出されたが、否決されている。完全な銃規制は不可能という状況で、銃による犠牲を出さないためにほかに何ができるかも考えなければいけない。
アメリカの銃規制の議論だけでなく、世界で起こっている問題から目を背けず、理解を深めたいと思った。若い世代が関心を高めて取り組むことで、解決策が出てくることを願う。



「異文化から学ぶ世界」

 「いろいろな国の文化が融合したものが、アメリカの文化だ」。共和党の上院議員事務所のスタッフ、ジェイソン・ゲスキさんは、アメリカの文化についてこう説明した。成り立ちが全く異なるアメリカと日本。その文化にはどのような違いがあるのだろう。アメリカで聞いた。
 「日本は組織化されていて忙しそう。アメリカはもっと大ざっぱな社会」。ニューヨークで取材を受けてくれた男性はこう答えた。
 アメリカでは、見知らぬ私に「どこから来たの?」と聞いたり、「おはよう」とあいさつをしたりしてくれる人が多くいた。日本ではなかなか経験しない。アメリカ人の陽気さ、気さくさ、優しさが感じられた。他人に対して遠慮をする、恥ずかしがることが少ないのだろう。日本人とは対照的だ。
 もしからしたら私たち日本人は、毎日の忙しさを理由に、全ての物事に対して一歩引いて対応しているのかもしれない。それが原因で、今日のグローバルの時代から日本が取り残されてしまわないかという危機感を感じる。一歩、いや二歩、前に出て行くことが日本人には必要なのかもしれない。
 今回の取材で一種の違った文化に触れられた。この経験を生かし、社会に貢献したいとあらためて思った。

松島 圭佑(中野平中学2年・中野市)


「ネットの普及と新聞のあり方」

 私の家には毎朝、新聞が届けられる。アメリカではインターネットの新聞の普及率が高いと聞いた。紙とネットの新聞について、アメリカの人々の利用状況を調べた。
 新聞について、ワシントンとニューヨークで25人に聞いた。このうち14人には「どのような手段で新聞を読んでいるか」と質問した。6人が「ネット」と答え、「紙」が3人、「両方」が5人で、紙よりネットが勝る形となった。
 「ネットと紙、どちらの新聞が良いと思うか」という質問には、8人が「ネットが良い」と回答。「紙」は4人だった。ただ、両方読んでいる人の6割に当たる3人が「紙が良い」と答えた。
 ネットが良い理由には、「どこでも世界中の最新情報を得られる」「紙は高い」「紙を使わず環境に良い」などが挙がった。両方読んでいるアルバさんは「紙は読んでいた記事の隣の記事にも目がいく。いろいろなジャンルの記事があり、幅広い情報が入ってくる」と話した。
共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さん(60)にもネットと紙それぞれの特徴を聞いた。尾崎さんが示した資料には、アメリカで日刊紙が減っていること、ネットはモバイル端末での新聞閲覧が増えていることなどが書いてあった。
 ネットでも紙でも、最新の情報を得られることに変わりはない。深く読み取り学ぶには、見返すことのできる紙の方が優れていると思う。便利さだけではなく、広く深い知識を得るためにも、紙の新聞を見直してほしい。



「アメリカ人が政治、選挙に求めるもの」

 今年はアメリカで大統領選挙が行われる。アメリカの人々は投票にどういう目的を持ち、政府に何を求めるのかを聞いた。
 ユルンさん(27)は「いい暮らしをつくるため」に投票すると言う。「医療や教育にかかる費用が高い。自分たちの負担を減らしてほしい」と求めた。トムさん(56)は「身の周りで起きている教育などの問題を改善してほしい」と答えた。
 ウィリアムさん(70)は「世界をコントロールしてほしい。中国やロシアとも上手に付き合えるようにしてほしい」と願っている。国内だけでなく、世界に目を向けて投票に行く人もいるのだ。
 「政治は身近なものと感じるか」という質問には、ほとんどの人が「そう思う」と答えた。
 アメリカの人々はなぜ投票に行くのか。この問いに、共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さん(60)は「投票によって自分の意見や立場をはっきりさせるためではないか」と答えてくれた。
 アメリカの人々にとって政治は身近なものであり、選挙は自分の意見と立場を示すために参加する。日本でも選挙権年齢が18歳に引き下げられ、7月10日の参議院議員選挙では全国で多くの10代の若者が投票した。それでも、全体の投票率は高いとは言えなかった。高齢者に比べて若い世代は投票に行かないとも聞く。日本でも、もっと選挙を、政治を身近にする必要があると感じた。

小川 真(第四中学3年・上田市)


「心の中の差別」

 アメリカで7月、警察官が黒人男性を射殺する事件、黒人が警察官を銃撃する事件が起きた。そのニュースに衝撃を受け、「人種差別をなくすには何が必要か」という問いをアメリカでぶつけた。
 共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さんの答えは「時間」だった。「1862年に奴隷解放宣言が出されてから、公民権法制定、黒人大統領の就任などがあった。黒人の地位は時代とともに確実に向上している。難しい問題だが、時間とともに差別は減っていくだろう」と語った。
 この答えに共感する一方で、疑問も残った。どんなに社会制度が整備されたとしても、差別は人の心にあるからだ。一人一人の心が変わらなければ、差別の本当の解決には至らないのではないか。人種差別に限らず、心の中で人を一度も差別したことがないという人がいるだろうか。
 アメリカで最後の取材となったジョン・ブレアさん(65)は「教育」を挙げた。「差別の意識は幼いころから芽生える。自分と違う人たちについて、正しい情報を与えることが必要だ」との理由だった。取材を終え、ノートに私へのメッセージを書いてもらった。「自分にしてもらいたいことを、ほかの人にもしなさい」とあった。聖書の言葉だと思い当たった。一人一人の心の一新こそが、社会を変える原動力だ。



「選挙に向き合う」

 ニューヨークで大統領選挙に対するアメリカ人の考えを取材した。印象に残る意見に出合った。「私の友人に、『トランプ氏には反対でも、共和党に登録しているからトランプ氏に投票する』と言う人がいる。でも、自分の信念に基づいて投票すべきだ」。ニューヨークの9・11トリビュートセンターで案内をしてくれたアン・バンハインさんの言葉だ。
 アメリカでは、自分の考えに合った政党に登録をして、その政党の候補者を支援、支持する人が多い。候補者と政党の考えが一致していれば、この方法に問題はない。しかし今年は違う。大統領選の共和党候補、ドナルド・トランプ氏の主張は、必ずしも党の考えと一致していない。共和党支持者にとっては、これまでのような理由で選ぶのが難しくなっている。
 民主党が強いというニューヨークでの取材だったため、共和党支持者の声はあまり聞けなかった。ただ、多くの人が迷っているのは分かった。その中で、アンさんのように支持政党にこだわらず、個人として選ぶ方法は、今回の選挙では意義のある選択肢だと思う。
 私は、米国民が自分にとって、アメリカにとって、そして世界にとって誰が大統領にふさわしいのか、自分の考えと意思で責任を持って選んでほしいと願う。そこに民主主義の意味があると思うし、今回の選挙で問われていることだと思う。
 日本では、選挙権年齢が引き下げられた。近い将来に有権者となる自分も、選挙の意味をよく考えて投票所に向かうべきだと感じた。

萩原 日和(御代田中学3年・御代田町)


「アメリカで触れた人間の強さ」

 報道の博物館「ニュージアム」に、人種差別に抗議して白人専用のカウンターに座る黒人学生の写真が展示されていた。白人から食べ物をかけられている写真も。黒人女性に、「この国で黒人が白人から人種差別を受けていた時の写真だ。これを見て、どう思うか」と尋ねた。
「この写真はとても力強く、特別なもの。このような出来事は、現実に私たちの生活の一部だった。合衆国の法律や社会は、これからも少しずつ良くなっていくと信じている」。女性はこう答えた。
9・11トリビュートセンターでは、同時多発テロによって夫を亡くした女性の話を聞いた。「9・11テロのことは決して忘れることはできないし、許せない。たくさん苦労もした。でも私には2人の子どもがいて、生活は止まってくれない。だから毎日の生活に一生懸命で、今日まで来た」と語った。
彼女たちは「悲しい」「悔しい」という言葉を口にしなかった。もちろん、心の奥底にはそういった感情があると思う。それを言っても、どうにもならないと知っている。目の前のことを一つ一つやっていかなければ、前に進めない。
理不尽なことや大きな悲しみは、時に避けることができない。しかし、私たちはそれを乗り越えられる「強さ」を持っている。2人の女性から学んだ。一番大きな収穫は、逆境にあっても前に進める「人間の強さ」に直接触れたことだ。



「同世代との交流会で感じたこと」

 意見をはっきりと言うことができるのはアメリカ人、意見を言わないのは日本人。これが、取材旅行前に私が持っていたイメージだった。ワシントンであったガールスカウト、ボーイスカウトとの交流会で知り合ったたくさんの友達に、このことを質問した。
 質問した全員が「自分の意見を言うことができる」と答えた。同じテーブルに座ったメンバーは、髪や肌の色、宗教、人種、ルーツが多種多様。唯一の共通点は、アメリカで育っていることだ。まさに、アメリカのミニチュア版と言える。個人個人の価値観の土台が違うため、しっかりと自分の意見を言わないと、相手に自分を理解してもらえないのだと感じた。
 私たち日本人は、相手の考えが何となく分かってしまう。多分、相手も自分の考えが何となく分かっていると思っている。だから多少の意見の差があっても、あえて口に出さないことが多い。それが日本の謙譲の美徳ではないだろうか。
 アメリカ式と日本式に優劣はない。それぞれが必要により生まれた文化の違いだ。ただ、世界的には、はっきりと意見を言える方が正しいと考えられているようだ。
 たどたどしい英語で質問する私の目をしっかりと見て、誠実に答えてくれたアメリカの方々に、「相手の意見を聞き、自分の意見を述べる」という民主主義の原点を感じた。

矢口 駿太郎(松本秀峰中学2年・松本市)


「オリンピックの本当の意味」

 今夏開催されたオリンピックについて取材した。ヤンキースタジアムでセキュリティーチェックをしていた男性に「どの競技に注目しているか」と尋ねると、彼はあまり良い顔をせず「サッカー」と答えた。そして「オリンピックは好きではない」と加えた。「他国ばかりがメダルを取っていて面白くない」からだと言う。夏季オリンピックはアメリカでも過去4回開催され、盛り上がっている。はっきり「好きではない」と言う人がいて、驚いた。
 メトロポリタン美術館では、日本のオリンピック選手について質問した。予想に反し、日本選手を知っている人を見つけることは大変だった。この日が68歳の誕生日だったメアリーさんは日本に留学経験があり、テニスの錦織圭選手を知っていた。そして「あなたは、アメリカの選手を知っているか」と聞かれた。意外な質問で返事に困り、私は「知りません」と答えるしかなかった。メアリーさんも私の様子に戸惑っているようだった。
 オリンピックは平和の祭典のはずだ。その精神を尊重すれば、世界中の人々が全ての国の選手を応援するものだろう。だが、日本では、日本選手の応援ばかりしていたと思う。他国の選手は名前も知らない。私は今回、アメリカには世界的に有名な選手がたくさんいて、多くのメダルを取ってきたことを知った。「オリンピックは平和の祭典」ということを頭に入れて、世界中のアスリートたちを応援したい。そう思う取材になった。



「アメリカ人の核兵器への意識」

 国立航空宇宙博物館に、「エノラ・ゲイ」と呼ばれる飛行機が展示されていた。B29という種類の爆撃機で、広島に原子爆弾を落としていった機体だ。ある女性が、エノラ・ゲイを熱心に見ていた。30代くらいだろうか。私は女性に「アメリカが日本に原爆を落としたについて、どう思うか」と質問した。女性は反対に、「じゃあ、落とさなかったらどうなったと思う」と聞いてきた。私はすぐに答えることができなかった。何回かのやりとりの後、私は「広島と長崎の命を守れたと思う」と伝えた。女性は納得していない様子だった。
 ワシントンで開かれたガールスカウト、ボーイスカウトとの交流会でも、同世代の彼らに核兵器について質問した。「核兵器はあった方がいいか、ない方がいいか」。どの学生も、ない方がいいと言っていた。「地球上、全ての生物の命を奪ってしまう」「たくさんの人が死んでしまう」といった理由が挙がった。「戦争中は」などと言い訳をしないで、アメリカの学生の多くが核兵器はこの世にいらないという考えを持っていることに驚いた。
 核兵器に対して、アメリカには二通りの考えがあると感じた。若い人でも自分の意見をはっきりと言うことで、平和についてより深い議論ができると思う。そうすることで、アメリカなりの平和をつくり上げてきていることを感じた。

小林 思音(豊科北中学3年・安曇野市)


「テロと向き合う」

 「テロをなくすことは可能なのか」。9・11米中枢同時テロで夫のブルースさんを失ったアン・バンハインさんはこの問いに、「なくすことができたらいい。それには教育が必要。肌や目の色で差別することは間違っている。自分の信念に従うと言って相手の命を奪ってはいけない」と答えてくれた。
 私はその時まで、自分がほかの命を奪うこともあり得るという可能性を全く考えていなかった。自分の考えで人を殺すことは絶対に間違った行為だと教えてもらった。「テロで失うものは命。それは誰かの娘、息子、友達であり、大切な人。一つの命でも損失は計り知れない」と語ってくれたのも印象的だった。多すぎる犠牲者を出した9・11がいかに大変な事件だったか、この言葉で身に染みた。
 今、世界のどこにいても、テロの危険性がある。日本では危機感が薄いと思うが、実際に起きていて、しかも増加している。テロはなくすことが可能なのか。たくさんの意見を聞いた今でも、私には分からない。でも、テロリストは世界の何が気に入らず、何を望んでいるのか。私たちは常に考え続けるべきだと思う。完全になくすことができなくても、考え続けて、なくす努力をすることを諦めてはならない。
多くの命を奪っても、目指すものは得られない。それを彼らに知らしめたい。



「アメリカの政治」

 今年の秋、アメリカでは国の未来を決める大統領選挙がある。日本では国のトップを直接国民が決めることはないが、アメリカでは国民が決める。国民はどのようなことを期待して大統領を選ぶのか、そもそも政治に関心があるのか、と疑問に思い、取材した。
 「今アメリカがやるべきことは、貧困の差をなくすこと」。米中枢同時テロで崩壊した世界貿易センタービル跡地で取材に応じてくれた60代男性はそう答えた。銃社会であるアメリカには物騒なイメージはあったが、貧困という印象は持っていなかったので、意外だった。交流会で出会ったガールスカウトの10代女性は、まだ選挙権を持っていない。「やはりテロが心配。だからテロ対策をすべきだ」と語った。
 取材をして驚いたことがある。同じ意見がほとんどなかったことだ。10代の若者から70代くらいの高齢者まで10人近くの意見を聞いた。貧困とテロだけでなく、生活問題、人種差別、銃規制などさまざまな問題が挙げられた。そして、全員が真剣に考えて答えてくれたことが新鮮だった。仮に私がこの質問に答える立場だったらどうだろう。彼らのように、自分の意見を言うことができるだろうか。
 多様な人種、多様な地域、多様な文化を持つアメリカ合衆国の大統領選挙。多くの人たちのそれぞれの主張を、候補者たちはどう受け止め、どういった政策を考えるのか。この秋の選挙に注目したい。

山本 優菜(仁科台中学2年・大町市)


「枠を越えた受信と送信」

 1冊のノートとフェルトペンを手に、取材をした。質問は「日本について何を知っている?」。そして、さらなる言葉を求めてペンを差し出した。1人1ページ、ノートに日本に向けたメッセージを書いてもらったのだ。
 15のメッセージが集まった。「いつか日本に行きたいよ」「オリンピックを楽しみにしている」「これからもおいしい食べ物を送り続けて」などさまざまだ。その人の思いが紙面からわき出てくるかのように詰まっている。内容はもちろん、字の太さや大きさ、表現の全てに、その人の個性がにじみ出ているようだ。
 このプロジェクトを通して、さらに取材も踏まえて感じたことは、「思いも考えも十人十色」ということだ。取材した全ての人が同じように日本を知っているわけではないし、全ての人に共通する言葉もなかった。
1人1人のメッセージ、つまり思いや考えは世界に一つしかない。思いや考えがメッセージになるには、「送信(伝える)」して、「受信(認める)」することが必要だ。
世界貿易センタービル跡地で出会ったショーンさんは「また君のような学生が来てくれることを待っているよ。私たちは両手を広げて歓迎する」とノートに記してくれた。このメッセージには、「受信」と「送信」があると感じた。「待っている」という言葉で、ショーンさんの気持ちが伝わった。そして「歓迎する」で、私たち日本人を受け止めてくれていることを感じたのだ。
きっと、戦争やテロが起きてしまうのは、送信と受信が不十分なせいだろう。国という枠を越え、送信と受信が十分に行われることが大切なのだろうと考える。



「知ること、差し伸べること、継ぐこと」

 アメリカで、2001年9月11日に起きた惨事を知らない人はいないだろう。米中枢同時多発テロが起きた日だ。今の日本ではどうだろう。9月11日が何の日か、答えられない人が少なからずいると思う。
 このテロで夫を失ったアン・バンハインさんに話を聞いた。「テロはもちろんなくすことができたらいい。全ての人が平和の中で生きる権利がある」。そう話してくれた。アンさんは、後世にこの惨事を伝えるため、ボランティアをしている。
私はアンさんに、「日本人に一番伝えたいこと」を書いてほしいとお願いした。ノートには、太く大きく「私たちは平和の中で生きている。だけど、大切なことは次世代に伝えていく必要があるね」と書かれている。テロに対する、平和に対する、次世代に対するアンさんの強い思いが伝わってきた。
私たちにできることは何だろうか。アンさんは「テロの後、多くの手紙が届いた。これらは私の大きな支えとなった。何か起きた時に、自分に何ができるのかを考えてみて。復興は助け合いなのだから」とも話していた。
何らかの事件や災害が起きたら、まずは知ることが大切だと思う。そして、自分にできる「復興の手」を差し伸べること、次の世代へ伝え、つなげていくことが、平和の中で生きる私たちの使命だと考える。

實吉 恵(諏訪南中学2年・諏訪市)


「お互いの文化を理解するために」

 海外から見た日本をテーマに取材した。大統領選の共和党候補であるトランプ氏の過激な発言を聞いて、「日本はどう思われているか」と不安になったのがきっかけだ。しかしその不安は、取材することで消えていった。
 取材を受けてくださった方の多くは、日本に来たことはなかった。だが、日本についての印象を尋ねると、「食べ物がヘルシー」「歴史が素晴らしい」「漫画が大好き」といった答えが返ってきた。中でも、50代男性の「日本人は真面目だ。よく働く」という答えが印象深い。
 「日本ではあり得ないな」と思う体験をアメリカでした。空港に降り立った直後の入国審査で職員の態度が悪く、嫌な思いをしたのだ。私がパスポートやチケットを出しても受け取ってくれず、不機嫌な表情をしている。何をすればいいのか困ってしまった。空港内では、仕事中もガムをかみ、スマートフォンをいじっている人がいた。日本の空港でそういう職員は見たことがない。
 アメリカで聞いた日本に対する印象は良く、安心した。一方で、空港で見た職員の態度に、日米でこんな違いがあっていいものか、という新たな疑問が生まれた。その答えを見つけられるように、まずは日本人として「おもてなし」の心を忘れずに生活していきたい。



「人間と動物の共生に必要なこと」

 木が多い。花がある。これは、長野県のことではない。大都市であるニューヨークシティーやワシントンで感じたことだ。バス車内から見た道路脇には必ず木があった。ホワイトハウス近くの公園には、鳥だけでなくリスもいて、人間にとても慣れていた。
 私は、人間と動物の共生に関心がある。アメリカでは、「ハリネズミを見たことがあるか」を質問した。日本ではあまり知られていないが、私のペットだからだ。取材した全ての人が、ハリネズミを見たことがあった。しかも野生のだ。私が日本で見たことがある野生動物といえば、高速道路にいたニホンジカぐらいだろうか。日本とアメリカで、人と動物との関わりに違いを感じた。
 アメリカで人気のペットを聞くと犬や猫を挙げる人が多く、日本と同じだと思った。ただ、ある女性にどんな種類の犬が多いかを聞くと、大型犬の「ラブラドール・レトリバー」と教えてくれた。小型犬が多く飼われている日本とは、そこが違うと驚いた。
 アメリカでは、自分のペットを優先して考えて自由に過ごす。鳴き声も大きい大型犬を飼う人が多いのは、こんな考え方に基づくのではないかと考えた。日本で小型犬が多いのは、ほかの人に迷惑をかけず、和の心を大切にするから。動物に関する取材を通して、アメリカと日本の考え方の違いをこう感じた。
 ワシントンやニューヨークを訪れ、日本は木々などの緑が少ないと実感した。動物との関わりもアメリカと比べると薄い。学校や地域の花壇作りや植林にも積極的に参加し、少しでも自然を豊かにしたい。10年後、20年後…。動物と共生できる日本にしたい。

原 総吾(飯田西中学3年・飯田市)


「世界の女性の社会進出」

 世界では今、女性の政治的指導者が増えている。今年に入ってからだけでも、台湾の蔡総統、イギリスのメイ首相。そしてアメリカ大統領選の民主党候補はヒラリー・クリントン氏だ。初の女性大統領が誕生するかもしれないアメリカで、女性の社会進出について取材した。
 15人がインタビューに応じてくれた。全員が「女性の社会進出は大切なことで、アメリカは進んでいると思う」と答えた。具体例として挙がったのが、やはりクリントン氏だ。現在は、政府高官やパイロット、学校長などの重要な職に就く女性がたくさんいると教えてくれた人がいる。一方で、「賃金差など難しい問題は今もある」と話す人もいた。
 共同通信社ニューヨーク支局の大塚圭一郎記者は「議員や社長として働く女性は、日本に比べて相当多いのではないか」と話した。それが可能なのは、夫婦で家事、育児を分担したりするからだという。日本では出産、育児などを理由に女性が退職し、キャリアを中断するケースが多い。1985年に男女雇用機会均等法が施行されており、女性も男性と同じように働くチャンスはある。大塚記者は「企業や自治体が工夫して、働きやすい環境を整えるべきだ」と語った。
 たくさんの人に取材する中で、日本もアメリカも女性の社会進出にはまだ課題があると感じた。少子高齢化が進む日本では、社会の活力を維持するために女性の社会進出を期待する声がある。将来の日本のためにも、女性の働きやすい環境が整備されなければならないと感じた。



「悲劇を繰り返さないために」

 ビルに衝突する飛行機、崩れ落ちる建物、逃げ惑う人々…。これらから多くの人は2001年9月11日に起きた米中枢同時多発テロを思い起こすだろう。僕たちはその跡地「グラウンド・ゼロ」に行ってきた。
 崩壊したツインタワーの跡地は、犠牲者を追悼するためのプール型モニュメントになっている。その周りには、犠牲者3千人余の名前が刻まれている。それを見ると、犠牲者の多さが胸に迫ってくる。
 「テロで失われた命は誰かの子どもであり、たくさんの友人がいたはず。広い人間関係に影響を及ぼす。亡くなった人々がもしその後も生きられたとしたら、後の世界でどんなことをしてくれただろう。今となっては分からないことが大きな損失だ」。9・11トリビュートセンターで、アンさんはこう語った。アンさんは同時多発テロで消防士だったご主人を亡くした。10年間語り部のボランティアとして、これまで500回ぐらい話をしている。テロをなくすためには、お互いに違いを理解することが必要だと語ってくれた。
 テロや紛争などで毎年たくさんの方が亡くなっている。人が亡くなることほど悲しいことはない。悲しい思いをする人を減らすためには、全ての人がお互いに違いを理解することが大切だ。そう強く感じた。

金子 詩奈(阿智中学2年・阿智村)


「安全な食べ物を」

 濃い。ヤンキースタジアムでの夕食に、長蛇の列ができていた屋台のチーズホットドックを食べた。恐ろしいほどにチーズが濃い。「アメリカらしいな」と思ったのと同時に「体に悪そう」と思った。
私はスタジアムのフードコートで、来場者に「普段食品を選ぶ時に何を基準に選ぶか」と聞いた。「ヘルシー」「味」「作るのが簡単」という意見が多かった。「安全・安心」は少なかった。なぜだろう。
共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さんは「米国の食の歴史はまだ浅い。植民地時代を経て、おなかいっぱいになることが食の目的になっていると思う」と解説してくれた。
 米国人はよく食べるイメージがある。だから、食についてこだわりがあるだろうと予想していた。現地で食べた食事はこうだ。口に入らないほどの大きさのハンバーガー。食べきれない量のパスタ。ジュースの色と甘さにも驚いた。色、量、味などにおいて疑問を感じた。
有機については、どう考えているのだろうか。メトロポリタン美術館で、マリリン・フランクさん(63)に取材した。マリリンさんの息子は菜食主義で、有機栽培の食べ物しか食べないという。「卵は2ドル程度で買えるのに、息子は12ドルで有機の卵を買っている」とマリリンさん。それに対し、マリリンさんは「クレイジー(ばかげている)」と繰り返していた。
「どうしたら有機野菜が選ばれるようになると思うか」と聞くと、「もっと値段が安くなる」「幼いころから食べる物の質を考えるような教育をする」ことを挙げた。
私は有機野菜を食べて育った。安全性もおいしさも知っている。だから大事だと思える。でも、たくさん食べる米国では、値段の高い有機の物を買う人は少ないのかもしれない。
日本では、生産者情報が見られる食品も多い。無添加食品もよく見かける。毎日の食事が自分たちの身体にどう関係するか、それが未来の子どもたちにどう影響するか知るべきだと思う。安全であること、健康的であること、さらには和食の良さを海外にもっと発信していきたいと思った。それが世界の安全な食生活、健康につながるのではないかと思う。



「自由とは」

 米国には自由の女神像が2種類ある。一つはスタチュー・オブ・リバティー、ニューヨークにあるあの有名な自由の女神像だ。もう一つはスタチュー・オブ・フリーダム。ワシントンの連邦議会議事堂の上に建てられている像だ。リバティーもフリーダムも日本語訳は「自由」だ。この日案内してくれたガイドの方によると、リバティーは勝ち取った自由、フリーダムは生まれながらにして持っている自由の意味がある。
 報道の博物館「ニュージアム」で、独立戦争での取材活動を紹介する映像を見た時、「米国は当時、テロリストだった」という説明を聞いた。衝撃的だった。独立戦争時代、米国側からすれば英国は強大だった。力を持たない反乱者が英国に勝つのはつらく困難な道のりだった。しかしそれに勝ち、リバティーを得た。
 フリーダムは、人権について表している。アメリカには白人も黒人もキリスト教徒も同性愛者もいる。その中で差別も生まれただろうし、尊重する気持ちも生まれた。9・11米中枢同時多発テロでご主人を亡くしたアン・バンハインさんは「みんな違うことがいい」と言った。私は、互いを認め、尊重し合えばテロや戦争がなくなるかもしれない、と思った。
 この取材旅行で「自由」のイメージが変わった。「開放感」とか「気まま」のようなイメージを持っていた。でも実は、人々の葛藤の歴史の上に成り立ち、支配されていた歴史から勝ち取った自由と、生まれながらにして持っている人権の尊重であることを知った。今自由であることがどれだけ尊いことか。日本では当たり前のように過ごしているが、世界には不自由な暮らしをしている人がまだたくさんいる。そのために自分たちに何ができるか考えるべきではないだろうか。そう考えさせられた取材旅行になった。

堀 由依(長野日大高校1年・長野市)


「小さな行動が持つ力」

2001年9月11日、ニューヨークのWTCで同時多発テロが起きた。343人の消防士を含む約3千人もの人が亡くなった。
今回、私は9・11記念博物館近くで、スーツ姿の男性に「9・11のテロについてどう思うか」と尋ねた。答えは「できれば何も話したくない」。彼の中で言葉にできないほどのつらい記憶として残っていることを瞬時に理解した。私は謝罪の言葉だけ言って去った。
私が質問した人の半数は彼のような反応をした。冒頭の数字だけでは伝わらない事件のむごさを感じた。
一方、9・11で消防士の夫を亡くしたアン・バンハインさんは、事件から15年たった今の胸の内を語ってくれた。私は最後に「どのように日常を取り戻していったのか」と尋ねた。アンさんは「とにかく助け合った」と言った。ニューヨークには、世界中からの支援の手が差し伸べられ。彼女にもたくさんのメッセージが届いた。「それら全てが心の支えとなり、元気づけられた」という。
記念博物館には、灰をかぶった衣類や焼けた靴、壊れた眼鏡といった物が並び、テロの恐ろしさを伝えている。とともに、各地から寄せられた多数のメッセージも展示されていた。それらは何か不思議なパワーを感じさせた。
日本でも、東日本大震災のような甚大な災害が今後も十分起こり得る。私たちは、現地に出向くことはできなくてもメッセージを送ることはできる。ちっぽけなことのようでも、必ず被災者の力になるのだ。取材で聞いたアメリカの人の声とともに、1人の小さな行動が大きな力を持っていることを伝えたい。



「『おもてなし』は国境を越えた心持ち」

「おもてなし」は、日本人特有の心持ちだと思っていた。しかし今回、必ずしもそうではないと気付かされた。
行きの飛行機内では、日本人のキャビンアテンダント(CA)のおもてなしに触れた。
配られた機内食の弁当が滑り落ちそうになった。前席の背もたれに取り付けられた私のテーブルが、なぜか前方に傾いていたのだ。手で押さえて食べようとしたところ、あるCAがおしぼりシートを弁当の下に敷いてくれた。本来の用途ではないが、見事にストッパーの役割を果たし、手で押さえることなく食べることができた。
柔軟に機転を利かせて、あえてする必要のないはずのことをしてくれた。「日本人だなあ」としみじみ感じた。
一方、アメリカ滞在中のホテルでも、心に残る対応を受けた。
誕生日の友達に送ろうと、私はアメリカでバースデーカードを買った。ホテルのフロントで送り方を尋ねると、切手が買える店への行き方を教えてくれた。切手を手に入れた私は「これでカードが送れる」と、またフロントに行った。
だが、女性スタッフが「封筒に入れないと送れない」と言う。カードには封筒が付いていなかった。私はうろたえた。
体格のいい男性スタッフがやってきた。「この白い紙で封筒を作ったらどうだ」。そういう言うだけでなく、その場で即席の封筒を作ってくれた。こうして私はバースデーカードを出すことができた。
「アメリカ人はがさつだ」というイメージはないだろうか。おもてなしの心を持つのは、日本人だけではない。国境を超えた心持ちなのだ。あのバースデーカードが、おもてなしの心と共に友達に届くことを願っている。

中村 真美子(長野高校2年・長野市)


「異なる立場を理解する」

世界平和を考える上で、私は真っ先に国連を思い浮かべる。だが、現実の世界はテロや貧困などの問題が山積みだ。国連が存在する意義は何か。5カ国が拒否権を持つ安全保障理事会は時代に合っていないのではないか。以前から抱いていた疑問を、アメリカで出会った人に投げかけた。
「安全保障理事会の常任理事国に強大な力が集中していると思うか」。この問いに、夫と旅行中というドイツ人で教師のジュリアさん(29)は「イエス」と答えた。「でも、変える必要はない。長期的に問題を解決するためには、常任理事国は固定しておくべきだ」と続けた。思いもしなかった答えだった。しかも常任理事国でないドイツの人だ。一方で明快な説明に納得もし、自分の考えが揺らいだ。
国連の存在意義については、大学で経済学を教えているというアメリカ人男性(65)をはじめ複数の人が「世界の問題を議論し、解決しようとする唯一の機関だ」という点を挙げた。
国連での議論が全てを解決できるわけではない。けれど、国連が発信することで平和への機運が生まれる。よりどころだと感じた。
予想外だったのは、アメリカ人は取材した8人のうち5人が、国連について「よく知らない」と答えたことだ。ニューヨークで聞いたエリンさん(60)は「ほとんどのアメリカ人は国連について十分な情報を与えられていない」。共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さんも「アメリカで国連のニュースはめったに流れない。国民の関心は低い」と話した。
共同通信社ワシントン支局次長の坂本泰幸さんの言葉が心に残る。「時代の変化に応じて常任理事国を変えることも必要だと思う。だが、置かれた状況により加盟各国の考えが異なるため、難しいだろう」。異なる立場、異なる意見があるからこそ、国連の役割は難しく、かけがえがない。世界平和のために私たちができることも、まずは思い込みをなくし、異なる立場があることを知り、尊重することだと思った。



「国境を越える食べ物」

アメリカの食べ物と言えば、ハンバーガー、ピザ、ホットドッグ…。これは私が抱いていた印象だ。実際、今回のアメリカ滞在中もこれらを食べた。しかし、こうしたジャンクフードには限りがある。アメリカの人は普段、どんな物を食べているのだろうか。アメリカでの食事について取材した。
ワシントンで会った日本政治アナリストのトバイアス・ハリスさんは「アメリカの食はさまざまな国の影響を受けている」と語った。確かに、最近は食べ物が国境を越えて融合していると感じる。カリフォルニアロールは日本のすしがアメリカ風にアレンジされたものだ。「カリフォルニアロールは日本食か」と米国人に尋ねた。ほとんどの人は「違う」と答えたが、中には「日本食だ」と答えた人もいた。
日本食についても取材した。ロンドンから来た観光客の夫婦は、夫のスティーブさん(53)が「すしが好き」。妻のサラさん(55)は「すしは好きではない。スーパーで売っている薫製された魚のすしは好き」と話した。薫製魚のすしとは、新たなアレンジだ。日本食もそうして融合していると感じた。
世界では、日々食べ物の国境がなくなりつつある。国境を越えた食べ物は、時にその土地の味覚に合わせて改良され、生き残っていく。

小林 晃大(上田高校2年・小諸市)


「命の重みと平和への願い」

 「彼は素晴らしいことをした」。オバマ米大統領の広島訪問について、ワシントンで取材した60代の男性はこう評価した。日米関係という外交面を理由に挙げた。取材したほか数人も、同じように肯定的な意見だった。広島訪問に対し、米国では「謝罪するのか」といった批判、懸念があると思っていただけに、意外でもあった。
 原爆投下によって犠牲になった20万もの命。その一人一人にさまざまな人間関係があっただろう。同じように、一瞬にして多くの犠牲を出した9・11米中枢同時多発テロの遺族アン・バンハインさんは言う。「たとえ1人の犠牲でも、その人は誰かの大切な人」。突然、大切な人を失う気持ちは計り知れない。そして、彼らは誰よりも平和を望んでいるはずだ。
 国立航空宇宙博物館では、広島に原爆を投下したB29爆撃機を見た。半世紀以上前のものとは思えない迫力で、言葉を失った。その開発には原爆そのもの以上に費用がかかっていたという。第2次世界大戦中、こうした航空機によって多くの人が亡くなった。その一方で、航空技術は大きく発達した。私たちが遠い海の向こうに足を踏み入れることができるのも、この時の技術の発達があったからに違いない。皮肉だ。だからこそ、多くの犠牲を忘れてはいけないと思った。
 アンさんは「次の世代に伝えなければならない」とも言っていた。教科書の数行だけで知った気にならず、一つ一つの命、人生にスポットライトを当ててみると、命の重みが分かってくる。過去を学び、未来を考え、それを伝えることが大切だ。そうすることで、平和の光が見えてくるはずだ。



「求められるおもてなしを」

「いらっしゃいませ」。はつらつとした声が店内に飛び交う。日本の店ではよくある光景だ。
米国での取材で、飲食店や土産店にも足を踏み入れた。品ぞろえや内装はすてきな店ばかりだったが、何か違和感を覚えた。店員の接客だ。大声で笑い話をする中年の女性店員、会計時もずっと下を向き無愛想な若い店員、さらにはおつりが合わない、など。日本では考えられない光景に、困惑した。
私は以前から接客に興味があった。よい接客とは、店員が客を立てることで成り立つと思っていた。日本にしろ米国にしろ,接客は店によって異なり、単純に日米で比較はできない。だが、自分の思い描いていた理想とは、かけ離れていた。
一方で、店を出る際、「Thank you」「Have a nice day」などと、独特のフレンドリーさで声を掛けられた。決して悪い気はしなかったし、むしろまた来たいとさえ思った。
東京オリンピック招致で日本から世界に発信された言葉「おもてなし」。グローバル化も進み、誰もが外国人訪問者と関わる機会は増える。価値観は人それぞれ違う。TPO(時・場所・場合)で絶妙な距離感を保ちながら「おもてなし」をすることが大事だと思う。

永井 優(野沢北高校1年・佐久市)


「医療制度の改善でどの人にも光を」

 あなたが日本で救急車を呼ぶとする。お金を払うとは考えないだろう。だがアメリカでは、一部の地域を除いてお金を払わなければならない。
私は有料の救急車に違和感を覚えていた。しかし、ワシントンで取材したジャーナリストの80代男性は「お金を払うのは仕方がないことだ。日本と違い、アメリカは病院が全て私営だから、自分たちで収入を増やさないといけないからね」と言った。
取材するうちに、より大きな問題が起きていることが分かった。「経済格差の影響が、受けられる治療にまで出てきている」と複数の人が指摘した。アメリカには日本のような医療保障制度がない。十分な医療を受けられるのは裕福な人々に限られるという。在米日本大使館でスピーチライターだったジョン・トベさん(55)は「医療費をもう少し安くし、誰もが格差なく治療を受けられるようにしてほしい」と願う。
アメリカには世界最新の医療技術があるのに、その恩恵を受けている人があまりにも少ないことを知った。たとえ貧富の差があっても、全ての人が十分な治療を受けられるような政策を考えていくべきだ。命の大切さを深く考え、平等な一つ一つの命と向き合っていく社会をつくっていかなければならない。



「米国大統領に求めること」

 アメリカは今、4年に1度の大統領選挙を迎え、世界中から注目されている。クリントン氏とトランプ氏、どちらが大統領になると思うかを、ワシントンとニューヨークで計20人に尋ねた。85%(17人)がクリントン氏、15%(3人)がトランプ氏を挙げた。
 ボランティアでクリントン氏の選挙活動をしている女性(21)は「クリントン氏は国民のことを考えてくれている。だからアメリカを一つにまとめ、雇用が増えると思う」と言った。レストランで働く40代男性はどちらの支持者でもないが、「トランプ氏は実業家だがクリントン氏は政治家。今までのキャリアがある。だからクリントン氏が大統領になるだろう」とみていた。
 支持する候補も聞いた。政治に興味があると答えた人は皆、クリントン氏を支持していた。トランプ氏と答えた人は若い人が多く、支持理由が「何となく」と具体的でない。トランプ氏の特徴的な演説に影響されたのだろうか。そして、「どちらも好きではない」と答える人が目立った。

田邉 博智(松本工業高校2年・松本市)


「折り鶴への願い」

アメリカで出会った人に、私は小さな折り鶴を渡した。私たち日本人は願いを込めて鶴を折る。それを説明し、その方が折り鶴に託したい願いを聞いた。
 ニューヨークでは、アン・バンハインさん(62)に渡した。9・11米中枢同時テロで消防士だった夫を亡くし、その経験を伝えるためにボランティアでガイドをしている方だ。アンさんは「私には孫がいるの。その子が大きくなるころには世界から戦争がなくなっていてほしい。だから私は平和を願います」と語ってくれた。
9・11で崩壊した世界貿易センター跡地はモニュメントが造られ、公園のようになっている。仕事の合間に休憩していた男性は、奥さんががんの治療中だという。「早くよくなってほしい」という願いを話してくれた。
コネチカット州の看護の専門学校に通うペイジ・ネストさん(19)は、アルバイトのためワシントンにいた。彼女の願いは「アメリカの学費を下げてほしい」。アメリカの学業について教えてくれた。学生が学費の支払いに苦労しているという話は、鶴の取材以外の場でも聞いた。
私は折り鶴に、取材相手との距離を縮めたいという願いを込めていた。アメリカにはないこの文化をどの人も真剣に受け止めてくれ、アメリカ人の寛大な心に触れることができた。皆さんの願いが叶うことを心から願う。



「人種や文化が混ざる国」

私は、以前から思っていた。「アメリカは、ルーツや宗教などが異なる人がいるのに、どうやって仲良くしているのだろう」。その疑問を、アメリカで率直に尋ねた。2人の答えが印象に残った。
1人目はジェイソン・ゲスキさんだ。イリノイ州選出で共和党の上院議員事務所で、日米関係を中心に外交や安全保障を担当している。ゲスキさんは料理店にたとえた。「ここから2ブロック先に、いろいろな国の料理店が集まっている場所がある。その料理店の人たちは対立をせず、仲よくやっている。アメリカは移民の国。その人たちがいろいろな文化を持ってきて、それらが混ざり合うことでうまく成り立っている」と答えてくれた。
メトロポリタン美術館で取材した大学生のセバスチャン・トレスさんの話にも、料理店が登場した。「アメリカには昔からさまざまな人がいて、自分以外にいろいろな人がいるのを知っている。経済面だとフランス人がフランス料理店を経営したり、ドイツ人がドイツ料理店を経営したりすることでアメリカの経済が成り立っている。そんな風に仲良くしているよ」。そして最後に、「僕は、いろいろな文化が混ざり合っていくのは、とても面白いと思う」と言った。
世界には数え切れないほどの文化がある。アメリカだけでもかなりの数があるに違いない。異なる文化の存在を認め合い、生活面でも経済面でも文化と文化が混ざり合ってもう一つの文化が成り立っていく。そうしてみんなで仲良くしている。とてもすてきな国だと思った。

佐藤 澪(豊科高校2年・白馬村)


「英語を話せるようになるために」

 私が住む白馬村は、海外からスキー客が多く訪れる。地元の観光業活性化に興味を持つ私は、日本人の英語力に着目した。アメリカで、非英語圏の方々に「あなたにとって1番いい英語勉強法は?」と尋ねた。
 ニューヨークにある国連本部では、中国人女性が英語で案内をしてくれた。彼女は「英語を母国語とする国に実際に行って学ぶことが大切だ」と話した。彼女はアメリカに来て4年で、国連本部でガイドをするまでの英語力を身に付けていた。
最初に質問したドイツ人の女性は「旅をすること」。彼女は3年間英語学校に通ったそうだ。私がインタビューしたほかの人も、ほとんどが実際に使うこと、外国に興味を持つことが大切だ、と答えた。
 私が中学校から毎日のように勉強してきた文法も長文読解も、あくまで受験のためだ。今回、英語を話したり聞き取ったりするのに苦労し、これまでの学習は少しも役に立たないと実感した。
本当に大切なのは、異文化とつながるための話し英語だ。学校の英語教育でも、子どもたちが外国人と交流する機会をもっとつくってほしい。地元の白馬村でも、外国人は外国人が経営する宿に泊まるので、交流の機会が多いとは感じない。
自分の言葉が伝わるうれしさ、違う考えを持つ人と話す楽しさに気づくことが、つながる英語力を付ける第一歩になると思う。アメリカで私が体験したように。



「アメリカで感じた日本との違い」

 今回の記者派遣で最も印象に残ったのは、日本とアメリカの考え方の違いだ。特に、ワシントンで行われた現地のガールスカウト、ボーイスカウトとの交流会で感じた。
 日本からの私たちと現地の同世代の男女が7人ほどのグループに分かれ、ディスカッションをする時間があった。「大統領や首相になったら、何を第一の政策にするか」をテーマに意見交換した。年下年上も関係なく自分の意見を発表し、司会者がいなくても発言が止まらなかった。
私がこれまで日本で経験した意見交換は、司会者が進行しないと進まない静かなものだった。今回のディスカッションも、私は「何かある?」と聞かれてから発言していた。
 グループでまとめた意見を全体に発表する時だった。私のグループは、私と同い年のクレアちゃんが代表者になった。マイクの音が小さく会場に届きにくいことが分かると、クレアちゃんは「私、叫ぶわ」と言って発表し始めた。私だったら自分の意見を大勢の前で発表することが恥ずかしく、こんなことはできなかっただろう。
 一人一人が自分の意見を持ち、それを伝えること、人前で発表すること。今回の旅行で、私たちはその当たり前のことが苦手であると感じた。私は自分の意見があっても、ほかの人がどう思うか気になって言えないタイプだ。そもそも日本は、周りとの協調が大事にされる。違う考えを言えば「変わっている」「奇抜だ」と言われる社会ではないか。アメリカは、個々の意見が尊重される。いや、自分の意見を持っていないと認められない国だと感じた。
相手の意見を尊重し協調することは大切だ。私たち日本人はそれに気を遣いすぎて、言いたいことを言えていないのではないだろうか。

堀 尚裕(長野工業高専1年・南木曽町)


「“LGBT”と共に生きる」

LGBTという言葉を知っているだろうか。性的少数者(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)のことだ。
アメリカでLGBTの方への差別的な事件が起きていることは耳にする。しかし今回、ワシントンやニューヨークで私が取材した人は、口をそろえて「私たちは普通の人と同じように彼らを尊敬している」と言った。なぜ反対意見に出合わないのか。共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さんはこう分析した。「都市部の市民は多様性を認めているから差別は行われにくい。逆に言えば、アメリカ南部や中部で差別や事件が起こっている。また、世界規模で見たとき中東やアフリカそしてアジアではまだまだ差別が行われている」
ニューヨークでは、ゲイバーを経営するジョン・ブレアさん(65)に取材する機会を得た。彼は「差別は『加害者が無知であること』が唯一無二の原因だ」と言い切った。つまり、同じ環境にいないことが彼らに対する偏見を生み、差別が行われるというわけだ。
ジョンさんは「多民族や多文化、LGBTも、互いに認め合って共生できる人間を育成する教育が子どもたちには必要だ」とも語った。私もその通りだと思う。私は以前からLGBTに興味があったので彼らのことを理解していると思っていた。だがアメリカで取材して、私も今まで「自分と彼らは違う」との思いがあったと気付いた。偏見で彼らを見ていたと実感した。
今、私は自分がゲイになったとしても特別おかしいことだと思わない。ただ、多くの日本人はLGBTに偏見を持っていると思う。LGBTの方も私たちと同じように好きになった人を愛しているだけである。すなわち“Love is Love.(愛は愛)”であることを理解してほしい。



「SNSの力」

アメリカでの取材活動を通じて、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の力を感じた。
SNSは、インターネットを通じたサービスで、どんな地域に住んでいる人とでも連絡を取り合えたり、社会に意見を発信できたりできる。
私がアメリカで、SNSがその役割を発揮していると感じたのは「政治」だ。ヒラリー・クリントン氏のバージニア州選挙事務所では、スタッフが「TwitterやFacebookのハッシュタグ(#~)を利用した応援方法がある」と語った。ハッシュタグは、同じテーマの投稿に付ける目印、と言えばいいだろうか。そのテーマに興味のある人が投稿をすぐに見つけられる仕組みは便利だ。また、選挙活動にメディアを使用するのは発信の効率化も図れる。
出会いを出会いのままにしないのも、SNSの持つ力ではないだろうか。今回の派遣で、多くの出会いがあった。私は、同世代のボーイスカウト、現地の日本人、自分の取材に応じてくださった方と、今もSNSでつながりを持っている。「もう一度問いたい!」そう思った時、すぐに彼らに聞くことができるのは幸せなことだ。また、彼らの友人とSNSで新しくつながることも可能なのだ。
SNSは多くの人が利用しており、日々問題も起こっている。しかし、それらの問題はSNS自体が引き起こすものではなく、SNSを扱う人々の側、使い方に原因があることを忘れないでほしい。SNSを正しく利用できることが、現代人に求められている。

小林 愛実(諏訪清陵高校2年・茅野市)


「投票率を上げるために」

 日本では今年、選挙権年齢が18歳に引き下げられた。いくつか指摘された課題の中で、私は投票率の低さが問題だと感じた。アメリカは大統領選の真っただ中であり、18歳選挙権先進国。投票率アップのヒントを得たいと取材をした。
 私たちが訪れたワシントンとニューヨークでは、投票を呼び掛ける大きな看板をあちこちで見た。だが、各種選挙の投票率は日本と同等かそれ以下だと、複数の人が指摘した。アメリカでは投票資格を得るために事前登録が必要だが、18歳、19歳といった若者の登録数も少ないという。共同通信社の木下英臣ワシントン支局長は「アメリカは移民の国だから、選挙人登録をしていない人が多い」と話す。選挙、政治に対して自主的、積極的というイメージがあったので、意外だった。
 では、どのように投票者数を増やす努力をしているのか。木下支局長は「主には、移住してきた人々に登録を呼び掛けている」と説明する。大統領選の民主党候補クリントン氏のバージニア州選挙事務所でボランティアをするグレースさん(21)も「登録、投票をしてもらうために、通年で戸別訪問、電話などをしている。大学内でも呼び掛ける。ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)も駆使している」と話した。
 私たち学生には学校という場があり、SNSは日頃から使っている。戸別訪問やSNSの利用、学校内での活動については、日本ではできないことも多い。リスクを考えるばかりでなく、有効利用することが大切だと思った。
 「有権者にとって最も大事なことは何か」。私は取材した人にこう尋ねてきた。ワシントンで会った日本政治アナリストのトバイアス・ハリスさんは「投票することだよ」と言った。より多くの若者が投票するために、私たちにできることを考え、行動することが大切だと思う。



「教育で争いをなくす」

 9・11トリビュートセンターを訪れた。9・11米中枢同時テロの悲劇を忘れないための施設だ。焼けた鉄骨や飛行機の一部、犠牲者の遺品などが展示されていた。テロの傷痕は生々しく、目を覆いたくなるものだった。戦いを起こしてはいけない。心からそう思った。
 戦争やテロをなくというのは、途方もなく大きな問題だ。解決のためには、一体何が必要なのだろうか。
 9・11で夫を亡くし、センターでボランティアをしているアン・バンハインさんは「お互いを理解すること、違う考えの人がいることを学ぶことが大切」と話した。また、「自分の信念に従って生きることを学ぶことが大切だ。しかし、自分の信念に従って人を殺してはいけない」と言い、それには教育が必要だと訴えた。
 私はアンさんの話を聞き、アメリカに渡る直前に教えられたことを思い出した。「戦争というものは、歴史を十分に学んでいれば起こらない。その結果は全て等しく悲惨なものだから」という言葉だ。テロや戦争をなくすための教育。あらためてその重要性を感じた。
 ISに関連するテロが続いている。私たちは正しい教育をして、争いをなくさなくてはいけないと思う。

中川 泰成(伊那北高校2年・伊那市)


「アメリカのカウンセリング文化について」

アメリカはカウンセリング(精神医学に基づいた助言)の環境が整い、人々の姿勢もカウンセリング受診に対してオープンなイメージがあった。今回、いずれも成人の女性4人、男性3人の計7人にカウンセリング受診に対する考えを聞いた。
7人中6人は受診経験があった。また、女性2人に聞いたところ、自分の子どもにもカウンセリングを受けさせていた。35歳の女性は「娘には、私でもカウンセラーでもいいから、自分の感情を話すように教えている」と話す。「カウンセリングを受けることは、一般的だと思うか」という質問には、全員が「そう思う」と答えた。
「男性は感情を人に話すのが下手。世間体を気にしてカウンセリングをなかなか受けない」と言う女性が2人いた。しかし、私が取材した男性3人にそうした躊躇や後ろ向きの姿勢はなかった。28歳の男性は「男だから行かない、ということはない。悩んでいるなら行くべきだ」と語った。
 受診経験のある6人には、その理由も聞いた。母の死、元夫のDV(ドメスティックバイオレンス)といったつらい経験が挙がった。2児の母という女性は「いたずらをやめないから」という理由で子どもを受診させていた。
やはり、アメリカではカウンセリングを受けることが決して特別なことではないと分かった。近くにクリニックがあるといった環境が一番の理由だろう。
日本はアメリカに比べ自殺率が高い。日本も、気楽にカウンセリングへ赴ける環境整備、雰囲気づくりが必要だ。



「アメリカで改めた原爆投下への思い」

今回の旅で、何度も平和について考えさせられた。
アメリカに到着してまず、国立航空宇宙博物館を見学した。第2次世界大戦当時の旧日本軍とアメリカ軍の戦闘機が展示されていた。その中に、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラゲイ」があった。日本の戦闘機に比べはるかに大きく、輝く機体。ガイドの方が「日本の兵士はこの機体を見た瞬間に敗戦を悟った」と説明してくれた。
国連本部の見学コースには、原爆投下で全壊した長崎の浦上天主堂から見つかった「聖アグネス像」が展示されていた。焼け焦げた石像の背中は原爆の威力を物語り、その表情は悲しげに見えた。
9・11トリビュートセンターには、広島で被爆して12歳で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴が展示されていた。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルである禎子さんが病床で折った千羽鶴。同じ悲劇を繰り返さないという願いをこめ、貞子さんのお兄さんが寄贈した。
原爆を投下し、国民の多くが「正当な攻撃だった」と捉えてきたというアメリカ。過去の出来事について考え、日本、アメリカ間の平和へ課題を考えた。

細田 智香(伊那西高校2年・駒ヶ根市)


「アメリカで見たバリアフリー」

訪れた先々で、バスから見る街で、車いすに乗っている人を見かけた。見る頻度が日本にいる時より明らかに多い。1人で移動している人もいた。
アメリカにはADA(障害を持つアメリカ人法)という法律がある。公共施設は障害者が健常者と平等に利用できるよう環境を整えることが義務付けられている。この目で見て、バリアフリーの環境がものすごく整っていると感じた。
美術館、博物館、野球場―。どこも、サイン一つで車いすを借りられる。ホテルや多くの飲食店も含め、必ずスロープがある。
メトロポリタン美術館に来ていたフランス人女性(22)はけがをして車いすを使っていた。「アメリカでは、車いすを使うことで困ることはない。フランスとは比べものにならない。アメリカは、障害を持っている人を理解しようとする意識が高い」と話していた。
宿泊先で出会ったアメリカ人のロシャーン・バナムさん(32)は日本の米軍基地で働いている。「自分のもとで働く身体障害者はとてもつらそう。アメリカにいれば、もっと生活はしやすいはずだ」と語った。「アメリカは障害のある人をみんなが受け入れている。障害を重荷に感じずに暮らせる」とも言った。
日本では今年4月、障害者差別解消法が施行された。私がアメリカで見た光景が日本で見られるのは、一体いつになるのだろうか。日本でも、だれもが障害のある人を社会の一員として受け入れれば、障害は重荷にならないはずだ。障害がある人のことをもっと知ろうとして理解する。そして受け入れる。それは、今すぐ私たちができることだと思う。



「夏休みの過ごし方から見えるアメリカ」

アメリカの高校生は日本の普通の高校生より夏休みが長い。その上、宿題がない。そこで自然と湧いてくる疑問がある。「一体、何をして過ごしているのか」
ワシントンでの交流会で、ガールスカウトの女の子に尋ねた。多く返ってきた答えは「インターンシップをする」だった。インターンシップとは、自分の興味のある分野の団体、企業などで報酬なしで働くことだ。大統領選の民主党候補、ヒラリー・クリントン氏のバージニア州選挙事務所で出会ったグレースさんも学生インターンシップで選挙活動をしていた。
共同通信社ニューヨーク支局長の尾崎元さんよると、アメリカでは子どもも社会の一員として考えられている。6歳ぐらいになるとレモネードやクッキーを売っている子も多いという。家計のためではなく、あくまでも「あなたも社会の一員なんだから、お金を稼ぐのは当たり前でしょう」という考えからだそうだ。私たちが訪れた連邦議事堂でも、小学生くらいの子どもたちが働いていると聞いた。
幼い頃から「社会」を意識し、関わっていくアメリカ人。子どもたちが社会に高い関心を持つのは当然だ。鉛筆を持って、机に向かい、カリカリと問題を解くことだけが勉強ではない。若いうちから社会経験をし、社会の一員として生活していくことが、これからの日本には必要になるのかもしれない。インターンシップが当たり前になっているアメリカの社会が、うらやましいと思った。