滞在日記

滞在中、現地の様子を同行した記者に送っていただいています。

当ホームページには、都度タイムリーに掲載いたします、お楽しみに。

7/29 同行記者からのメッセージ

 成田空港を午前11時過ぎに出発するフライトで12時間半。若干の遅れもあり、出発したのと同じ7月29日の午前11時前にようやくワシントンDCに到着しました。
 長丁場のフライトはさすがに疲れた様子。入国審査で中高生は、怖そうな雰囲気の審査官が繰り出す質問に冷や汗をかきながらも、何とか切り抜けました。
 ところが、大人のスタッフが意外にも、指紋の押捺をめぐって30分ほど足止め。米国のセキュリティーの厳しさを実感しました。

 ダレス国際空港では、現地でコーディネートをしていただく川尻千晶さんと観光ガイドの女性2人と合流しました。川尻さんは、昨年のこの学生記者派遣で大変、お世話になった方で、今回も滞在中のほとんどの行程でおつきあいいただきます。どうぞよろしくお願いします。

 最初の見学先は、成田からの直行便が到着したダレス国際空港近くにある国立航空宇宙博物館・別館のUdvar-Hazy Centerです。ここでは、スペースシャトル「ディスカバリー」や、広島に原爆を落とした「エノラ・ゲイ」などが展示されています。
 別館で高校生たちは、来館者に声を掛け、英語でのインタビューに果敢に挑みました。そして、生徒たちは、川尻さんや同行している英語の教員田辺沙也子先生に助けられながらも何とかやりとげました。詳しくは、信毎本紙の記事や8月下旬の特集紙面をお楽しみに。
ちなみに私も43歳の米国人男性に「核兵器や広島についてどう思うか」と英語でインタビューを試みましたが、早口でまくしたてられ、途中、ほとんど理解不能に。「分かったふり」作戦を続け、「広島には行ったことがありますか」「こうした核兵器は2度と使ってはいけないですね」などと強引にまとめ、その場を切り抜けました。あすからは、もう少しゆっくりしゃべってもらおうと思います。

 その後はバスでワシントンDCの中心部に移動。リンカーン大統領を記念するリンカーンメモリアルや、航空宇宙博物館の本館などを見学しました。
 夕食はシーフードレストラン。夕食後は、ホテル近くにあるスーパーで買い物も体験しました。
 こうして、長い長い初日がようやく終了しました。あすは、連邦議会議事堂と国立自然史博物館を回ります。


△リンカーンの像の足元には緑色のペンキ。誰かの心ないいたずらだそうです

△バスの車窓から眺めたワシントンの美しい景観

△国立航空宇宙博物館の本館に展示されているゼロ戦

△国立航空宇宙博物館の別館で取材する中高生記者たち

△広島に原爆を落としたエノラ・ゲイ

△奥に見えているのがワシントン記念塔

△リンカーン記念堂を背景に記念撮影

7/30 同行記者からのメッセージ

 2日目はまず、連邦議会議事堂の取材です。この日はなんと、共同通信ワシントン支局、在米日本大使館の仲介で現役の上院議員さんに面会することができました。インディアナ州選出のジョー・ドネリーさんです。インディアナ州のミカシャワが塩尻市と姉妹都市提携を結んでいる縁で、面会が実現しました。一般のツアーではもちろん入れない上院議員会館にお邪魔し、ドネリー議員と握手して記念撮影。ドネリー議員は「日本はとても重要なパートナー。みなさんの訪問を歓迎します」と語りました。わずか5分ほどでしたが、とても貴重な体験となりました。
 ホワイトハウスの前では30年以上、核兵器廃絶を求めてテントで座り込み抗議をしている年輩の女性がいました。中高生たちはこの女性も取材。「広島も長崎も二度と同じ過ちをくり返してはいけない。そして、原子力発電所もなくさなければ」と訴えました。本人の生活するテントの横には、広島や長崎での原爆被害の写真が飾られています。原爆投下後の人々の悲惨な姿を写した写真は、この日訪れたアメリカ国立歴史博物館にはなかったものです。ご本人は「警察に何度も逮捕されたことがある」と話していましたが、核兵器の使用がどんな結果をもたらすのかを米国民に伝えたいという強い思いが伝わってきました。
 国立アメリカ歴史博物館では、アメリカ自動車産業の中での日本車の位置づけや、アフリカ系アメリカ人をめぐる歴史について生徒たちは、現地コーディネーター川尻千晶さんの助けも借りながら、英語でのインタビューに挑みました。国立自然史博物館でも来場者へのインタビューに挑む人がいました。日を追うごとに、みんな積極的になっています。あす以降が楽しみです。
 あすのワシントン最終日は、日系人として日米の架け橋になろうと活動を続けるアイリーン・ヒラノさんを取材。そして、夜には同世代の地元ガールスカウトと交流します。


△国立歴史博物館に飾られているダイヤ。所有者が不幸になるとのいわれがある

△国立自然史博物館に飾られているミイラ

△国立自然史博物館でも来場者に取材

△国立アメリカ歴史博物館に飾られているホンダ車

△ホワイトハウス前で核兵器廃絶を訴える女性を取材する中高生記者

△ホワイトハウスの前で記念撮影

△連邦議会議事堂の見学。歴代大統領の像やたくさんの絵画がありました

△中高生記者と握手するジョー・ドネリー上院議員

7/31 同行記者からのメッセージ

 きょうでワシントンも3日目。
 まずは報道の博物館「ニュージアム」を見学。地上6階建ての館内に、911米同時多発テロをめぐる展示や1989年に崩壊したベルリンの壁、東日本大震災の2日後に手書きで発行された「石巻日々新聞」などの多彩な内容が並びます。職務中に亡くなったジャーナリストをたたえる「ジャーナリストメモリアル」の中には、シリア取材中に亡くなった山本美香さんの写真もありました。
 午後は、日系3世アイリーン・ヒラノさんへの取材です。在米日系人は太平洋戦争中、「敵性国民」として迫害を受け、強制収容所に連行されました。ヒラノさんは、そんな日系人の歴史を伝える全米日系人博物館をロサンゼルスに開き、館長を20年以上務めました。2009年からは日米関係強化に向け民間レベルでの交流を進める米日カウンシルの会長を務めています。夫は、日系人として初めて上院議員になった故ダニエル・イノウエさんです。
 ヒラノさんの取材は、共同通信ワシントン支局をはじめとする各国プレスが入るナショナルプレスセンターで行いました。ヒラノさんは、日系人の苦難の歴史や、自身の生い立ち、日米関係の大切さについて話し、中高生からの質問に答えました。その一方、「今回なぜアメリカに来ようと思ったか」「どうすれば、多くの若者がアメリカに来てみたいと思うようになるか、アイデアを教えて」と生徒たちに逆質問する場面も。「日本は大切なパートナー。若いみなさん一人一人が親善大使となり、友好を深めてほしい」と締めくくりました。
 共同通信ワシントン支局では、支局長の木下英臣さんの案内で見学させてもらいました。木下さんはちなみに飯田市のご出身。今回のツアーでも、さまざまなセッティングにお力添えをいただき、本当にありがとうございました。
 夕方からは地元ガールスカウトとの交流です。リーダーの自宅にお邪魔し、同世代のガールスカウト20人ほどと、歌やゲームで交流しました。英語でのコミュニケーションに不安そうな生徒もいましたが、女の子たちの陽気な雰囲気にグイグイ引き込まれ、帰るころにはすっかり仲良しに。ブレイクダンスやギター、ピアノ演奏といった一芸を披露する人もいました。生徒のみんなは今回のツアーでこんな笑顔を見るのは初めて-と思うほど生き生きとしていました。
 交流会からの帰路は、2駅だけ地下鉄にも乗り、ホテルに無事到着しました。
 というわけで、本当に盛りだくさんのワシントン最終日でした。
 ワシントンDCでの取材はきょうで終わり。あすは早朝から、バスでニューヨークに向かいます!


△日米の若者をつなぐ「トモダチプロジェクト」について話すアイリーン・ヒラノさん

△全米各州の新聞一面が並ぶニュージアムの玄関

△職務中に亡くなった記者の写真が並ぶジャーナリストメモリアル

△取材用のヘリコプターが展示されているニュージアム

△歌で歓迎してくれたガールスカウトのメンバー

△ベルリンの壁も展示されている

△ヒラノさんに質問する高校生記者

△ハンバーガーを一緒に食べたガールスカウトとの交流会

△ニュージアムに展示されている米同時多発テロで崩壊したビルの一部

△ジャーナリストメモリアルの中には山本美香さんの写真も

△アイリーン・ヒラノさんを囲んで記念撮影

△木下支局長の案内で見学した共同通信ワシントン支局

8/1 同行記者からのメッセージ

 きょうは朝7時前にバスでワシントンを出発し、一路ニューヨークへ。ワシントンからニューヨークまでは、ハイウェーを飛ばしてバスで5時間以上かかります。
 車内では、アメリカに来てうれしかったことや、驚いたことなどについての意見を生徒たちに聞きました。「入国審査官が怖かった」「お菓子が甘すぎる」「レジの人の手際が悪い」といった声が上がりました。
また、帰国後にどんなことを記事にまとめたいかも発表してもらいました。みんなしっかりと自分の考えを持っていて、感心させられました。詳しい内容は、8月下旬の特集紙面をお楽しみに。
バスがマンハッタン島に近づくと、車内の雰囲気は一気に盛りあがりました。やはりニューヨークは若者たちの憧れなんですね。
 ニューヨークでは、今回の参加者の何人かが将来働いてみたいと思っている国連本部を取材しました。ここも例によって、厳しいセキュリティーチェックがありました。ガイドツアーに参加し、さまざまな議場や国連についての基礎知識を学びました。
 夕方にはタイムズスクエアも訪れました。近くの書店を訪れ、日本の漫画が米国人にどう受け止められているのかを英語でインタビューする人も。日本の漫画をどう思うかと聞くと「大好き」と日本語で答えてくれる人もいて、取材はうまくいったようです。
 夜は、マンハッタンの夜景鑑賞。がんばったみんなへのご褒美でした。

 あすは取材の最終日。同時多発テロの現場となったグラウンドゼロや共同通信ニューヨーク支局を取材します。


△国連の会議場を見学

△PKO活動についても説明を受けました

△国連本部前で記念撮影

8/2 同行記者からのメッセージ

 きょうでいよいよ取材も最後。きょうも盛りだくさんな内容です。生徒のみなさんも疲れがたまっているころかと思いますが、みんな大丈夫…のようですね。

 まずは2001年の同時多発テロについての展示がある「9/11トリビュートセンター」を訪れました。トリビュートセンターには黒こげになったガラスや犠牲者の遺品、行方不明の肉親を捜そうと遺族が手作りした写真入りの張り紙などが並んでいます。ほこりで全身真っ白になりながら、逃げる人の姿をとらえた写真もあります。
 見学の後は、テロの現場で救護活動に当たったブレンダ・バークマンさん(61)と家族会の会長リー・ウエルピさん(69)の話を聞きました。バークマンさんは、昨年夏のこのツアーでも体験談を話してくれた人です。テロのあった日は非番で自宅にいて、テレビで発生を知ったこと、来る日も来る日も深夜まで捜索したけれど、生存者は誰も見つからなかったこと、知り合いの消防士250人を失ったことなどを涙ながらに語ってくれました。泣きながら聞いている生徒さんもいました。
 ウエルピさんは、息子さんも消防士で、同時多発テロの救助で命を落としています。「憎しみからは何も生まれない」と語り、「若いみなさんがここで知ったことを多くの人に伝えてほしい」と中高生に訴えかけました。
 この2人は昨年秋、東日本大震災の津波の被害に遭った岩手県陸前高田市を訪れ、被災者の話を聞いています。イエルピさんは「私たちの経験が、被災者のみなさんの力になれば」と話してした。
 そして、中高生はここでも積極的に質問。諏訪南中3年の佐藤奏光さんは「日本はいま平和だと思うか」、野沢北高校2年の赤岡あずみさんは「米国はテロを受けて、武力で報復しているが、これについてどう思うか」などと鋭い質問を浴びせていました。
 午後はセントラルパークを歩きました。大都会の真ん中にある巨大な公園を散策。サングラスをかける人もいて、ちょっとしたセレブ気分を味わいました。
 そして、世界4大美術館のひとつ、メトロポリタン美術館を訪れました。世界でも14点しかないフェルメールの作品、マネ、ゴッホ、ドガ、モネ、セザンヌ、ルノワール…。名画がこれでもかと続き、ちょっと幸せな気分です。日本のコーナーを見学した生徒さんもいて、みなさん芸術鑑賞を楽しんでいたようです。
 最後の取材先は共同通信ニューヨーク支局。支局長の船津さんは、モスクワ、ロンドンで特派員を務めた経験があります。船津支局長や経済デスクから、国連の動きや世界経済の動向などホットな話題をうかがいました。上田西高校2年の小川彩那さんは「日本の家電メーカーがこれから、韓国のメーカーに負けないようにするにはどうすればよいか」などと質問を浴びせていました。
 そして、船津支局長からは英語の勉強についてのありがたいアドバイス。「英語は何年やってもなかなかうまくならないけれど、とにかくあきらめない、やめないことが大切」「英語を母国語としない外国人と英語でコミュニケーションするのはそれほど難しくない。ぜひ頑張って」。生徒たちは本当に真剣に耳を傾けていました。私も拝聴しました。
 ニューヨーク最後の夜は長めの食事会。共同通信の船津支局長、ニューヨークの大学に通う高橋菜々海さんも交えて、楽しい時間を過ごしました。
 これで、今回の取材ミッションはすべて終了。あすはJFケネディー空港から日本に戻ります。

 ところで、今回は1日の感想を毎日、生徒さんに書いてもらいました。連日、リアルタイムで紹介するつもりでしたが、あまりのスケジュールのハードさにこのHPにアップできませんでした。帰国後に追って、更新させてもらいます。
 それでは、また日本でお会いましょう!


△テロ当時の体験を語るバークマンさん

△セントラルパークの散策

△ウエルピさんとがっちり握手

△捜索活動で犠牲になった消防士の消防服

△国際情勢について語る船津支局長

△海を背景にピースサイン

△はるか遠くに見える自由の女神像

8/3 同行記者からのメッセージ

 いよいよアメリカを離れる日が来ました。整然とした美しい町並みのワシントンDCとは打って変わり、高層ビルが立ち並び、雑然としたエネルギーがみなぎるニューヨークはとても刺激的。わずか2日間の滞在でしたが、国連本部、共同通信ニューヨーク支局といった硬派な取材に加え、ロックフェラーセンターでの夜景鑑賞、セントラルパークでくつろぐ人へのインタビュー、夕食会後のホテルまでのウオーキング(約10分)などニューヨーカー気分をちょっとだけ味わいました。
 
 出発前の荷造りも大変だったようです。おみやげをたくさん買い込んだ人も多かったようですが、スーツケースの重量オーバーは大丈夫だったかな。携帯用のはかりでチェックする人もいました。

 出発前のホテルのロビーでは、このツアーのほとんどの行程で同行し、生徒のインタビューをサポートしてくれたアメリカ在住のフリージャーナリスト、川尻千晶さんがあいさつしました。川尻さんは、生徒たちの様子を見守り、応援し続けた旅行スタッフや、アメリカへ送り出してくれた両親への感謝を忘れないように、そして今回の経験をきっかけに、どんな小さなものでもいいから夢を持ち続けよう-とメッセージを送ってくれました。
 今回のツアー。川尻さんのおかげで生徒たちもいろいろな人にインタビューすることができ、異文化への扉を開くきっかけをつくってくれました。本当にありがとうございます。日本に来て、長野にいらっしゃることがあれば、今回のメンバー、さらに昨年の派遣メンバーで協力しあって全力で歓迎したいと思います(幹事は未定)。

 JFケネディー空港へ向かうバスの中では、引率した7人のスタッフと現地ガイドさんが生徒たちにメッセージを送りました。
 空港に着くと、靴まで脱がされるセキュリティーチェックがあり、それを無事通過すると、最後のショッピングタイム。大人チームの中には、1週間不在にした家族へのサービスをと-おみやげを買い込み、COACHのバッグを買い求める人も複数いました。
 帰りのフライトはさすがにみなさんお疲れの様子。ようやく成田空港に降り立ち、出国審査を終えて一安心です。パスポートをなくす人もなく、無事、帰国することができました。

 帰りの電車は、長野方面、松本方面に分かれ、降りる駅もそれぞれです。近くの席同士でおしゃべりを楽しみ、記念写真も撮影。乗り換えや下車の際のわずかな時間に別れを惜しみました。長野に向かう新幹線では、わざわざ新幹線のホームまで降りてきて、生徒を出迎えたり、車内のメンバーに手を振ってくれたりするご家族もいて、とてもうれしかったです。みんなを無事、長野県まで連れ帰ることができ、スタッフ一同もホッとしました。

 これで今回の旅は終わり。ただ、忘れないで! 日本に戻って、終わりではありません。みなさんにはこれから、重要なミッションがあります。今回の貴重な体験、しっかり記事にまとめてくださいね。中身については、こちらでしっかりとチェックさせてもらいます。

 それではみなさん、8月下旬に信濃毎日新聞に掲載予定の特集紙面を楽しみにしていてください。

◎滞在日記・同行記者からのメッセージ


 最後になりましたが、同行記者からメッセージを送ります。
 自己紹介が大変遅くなりましたが、私、信濃毎日新聞の地域活動部で記者をしている阿部と申します。普段は、中高生や大学生向けの「ステップ!」というページを担当し、中高生や大学生の書いた記事を添削し、このページに掲載するような仕事をしています。
 今回の取材旅行。世界各国や日本全国のニュースを信毎に配信する共同通信社のワシントン、ニューヨーク両支局には大変、お世話になりました。
 両支局をはじめとする各所に、中学・高校生をぞろぞろ引き連れて取材に出向き、ご多忙な中、ご迷惑ではないかと少し心配しましたが、それぞれの場所で歓迎していただき、本当にありがとうございました。
 今回感じたことは、大人は若い人たちに、何かを伝えたいのだ-ということです。共同通信社のみなさん、コーディネーターの川尻千晶さん、米国で出会ったさまざま人たち、そして、私たち旅行スタッフも…。
 そして、そんな大人たちの「伝えたい」という気持ちを引き出したのは、まさに生徒全員の「学ぼう!」という真摯な姿勢があってこそです。真剣に耳を傾け、的確な質問をする生徒たちの姿に、今回の旅行中、いろいろな方からお褒めの言葉いただきました。

 本当にみんなよく頑張ったね。正直な話、みんながこんなにも英語でコミュニケーションを取ろうとするとは思わなかったです。とてもうれしい「想定外」でした。このハードスケジュールに文句の一つも言わず、頑張った生徒たちを、ご家族のみなさんもしっかり褒めてあげてください。Good Job!

 みんながこれからどういう学生生活を送り、大人になっていくのか。兄貴のような立場で、楽しみに見守っていきたいと思います(本当は親子くらい年が離れていますが…)。

 それでは、またこれからもよろしくお願いします!


△出発前のロビーで生徒たちにメッセージを送る川尻千晶さん(右)。本当にお世話になりました

△重いスーツケースを手に成田エクスプレスへ

△新幹線の車内。記念撮影をして名残を惜しみました

△タイムズスクエアの交差点を歩く中高生記者。これでニューヨークともお別れです

△新幹線ホームまで出迎えに来て、お礼のメッセージを送ってくれたご家族(あわてて撮ったのでピンボケしてしまいました)