一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

牛丸 瑛理香 (松本秀峰中等教育学校4年・松本市)


 7月28日、ニューヨークの国連本部を訪ねた。建物内には加盟各国の寄贈品があり、それぞれ意味がある。スウェーデンが贈った経済社会理事会の会議室の天井には特徴があった。傍聴席から見て奥にある発言席の上には天井の構造物があるが傍聴席側にはないのだ。あえて未完にし、「世界が抱える問題の解決は、いつまでもたっても終わらない」というメッセージが込められている。
 国連では世界の平和と安全、開発、人権擁護を3つの柱としている。安全保障理事会以外の国連の決議には拘束力がないため政治問題の解決には課題が多いが、人道支援は成果が上がっているそうだ。
 食糧問題では国連機関のWFP(世界食糧計画)が、途上国の学校で、赤いプラスチック製コップで生徒にご飯を支給している。これにより学校に通う子どもの数も増えたという。国連職員の高沢麻紀さん(38)は「今はWFPが支援しているが、今後は支給を地元プログラムに組み込み、途上国の自立を目指したい」。食糧を与えるだけでなく、作物の育て方を教えたり種をあげたりしている。
 食糧問題も「いつまでも解決しない」ものかもしれない。自分にできることは、問題を解決するための知識や技術を持った大人になることではないか。そう考えた国連見学だった。


 8月1日、国立航空宇宙博物館別館を見学した。多くの航空機がずらりと並び、今にも動きだしそうな様子だった。異様な黒い姿が人目を引く「ブラックバード」、折りたたみ式の攻撃機「晴嵐」など数々の航空機が展示されていた。「それ」は、日本やドイツといった敗戦国のコーナーの近くにあった。周囲に暗い色の航空機が多い中、銀色の機体は輝いて見えた。広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」だ。周辺を見回して気になったことがある。広島の被害に関する展示がないのだ。それでは原爆が戦争を終わらせた側面ばかりが強調されるように感じた。
 これについて、元アメリカ海軍兵士の祖父と訪れた、アルゼンチン人のアンディース・グロンダさん(16)は「中学生の時に学校で原爆投下について習い、多くの人が亡くなったことは聞いたが、原爆症については詳しいことは習わなかった」と話していた。また、博物館職員のエリック・プッシュマンさん(66)も学校で広島の被害についてあまり習わなかったとした上で、「原爆投下はアメリカ人の中では、妥当だったと考える人が多い。あくまでも仮定だが、もし実際に米軍が日本本土に上陸していたなら、両国とももっと多くの死者を出していたかもしれない、とアメリカ人は考えてしまうのだ」と話してくれた。アメリカで国としての原爆の教育がなされていないのならば、より一層私たち日本人が被害について学び、後世に伝えていかなければならないと感じた。日本とは異なるアメリカ式の考え方を学べて勉強になった。