小沢 梨々香 (豊丘中1年・豊丘村)
曲がった鉄骨、えぐりとられたコンクリートの跡、ぼろぼろな階段。それから遺族のみなさんに借りたというぎせい者のたくさんの写真に、行方不明の家族を探すはり紙。トリビュートWTCビジターセンターや9・11記念博物館を見て、胸が痛くなった。事件の2週間前に生まれ、このことについてほとんど知らないた私は、戦争のようにおそろしい出来事だったと知った。
WTCビジターセンターでは、9・11家族会の会長で、消防士をしていた息子さんを9・11で亡くされたリー・イエルピさんの話を聞いた。事前学習として読んだ「奇跡はつばさに乗って」(源和子著)にも書かれていた方だと思うと、会えて光栄だった。2年前に広島の平和式典に参加し、原爆 資料館でサダコ鶴を見ていただけに、ニューヨークにあるサダコ鶴を必ず見ると決めていた。そのサダコ鶴の前でイエルピさんの話を聞いた。
サダコ鶴は、広島の原爆投下でひ爆し、白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴。平和のシンボルとして、2007年に禎子さんの兄がニューヨークに届けた。1センチ四方くらいのとても小さいもので、赤色の薬の包み紙でできていた。小さく細く折られたつるにたくさんの願いがこめられているとあらためて感心した。
イエルピさんは「彼女の平和の望みをかなえる。明日をいい日にしよう。明日をいい日にするのは君たちだ」と話した。
現場跡地(グラウンド・ゼロ)にはぎせい者の名前がほられている。日本人の名前もあった。たくさんの命がぎせいになった悲さんな出来事を忘れないために、センターや博物館などはある。イエルピさんなどが伝えてくれたテロの悲さんさを、私たちが多くの人に伝えなければいけないと思った。そして、禎子さんの鶴の思いが世界中の人に届くように、私は毎年8月に鶴を折り続けたい。
エノラ・ゲイを初めて見たとき、想像していた大きさより大きくておどろいた。それに、機体がきれいすぎてこれが原爆の投下に使われた飛行機だと思うと、違和感があった。ワシントンの国立航空宇宙博物館別館でのことだ。
エノラ・ゲイの前で広島・長崎に原爆を落としたことについて、ワシントンDC在住のリチャード・ミッチェルさん(82)、アルゼンチン在住のアンディース・グランデさん(16)に取材した。原爆のことについて、「アルゼンチンでは、中学1年生のときに原爆について習う。でも、原爆を落として第2次世界大戦が終わったということだけで、その後のことは習わない」と教育について話してくれた。
原爆のひ害はひどいものなのに、落としたということだけで、ひ害が教えられていないのは残念だと思った。私はここに来て、聞いてみたい質問があった。それは、「あなたがトルーマン大統領だったら、原爆を落としますか、落としませんか」という質問だ。この質問をリチャード・ミッチェルさんにしてみると、「I don’t know! I don’t know!」と返ってきた。
やはり難しい質問だったと感じた。色々な考え方があるけれど、原爆投下でおこったひ害を知る必要があると私は思う。
教育のちがいや歴史のちがいがあるなかで、そのちがいを理解した上で正しい判断をすることが、平和へとつながっていくのではないかと思う。
この取材で得たものを大切にして、これからの将来のことも考えたいと思った。