一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

細田 柊登 (伊那北高2年・南箕輪村)


 以前から同世代のパキスタンの女性人権活動家マララ・ユスフザイさん(17)に興味を持っていた。マララさんのタリバンの圧力に屈せず、「すべての子どもたちに教育を、学校に通う権利を」と訴え続けている姿勢は多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月、下校途中に武装勢力に頭部を撃たれたが奇跡的に命をとりとめ、教育の大切さを訴える活動を続けている。13年7月12日にニューヨークの国連本部で教育の大切さを訴える演説を行った。
 私たちは7月28日、その国連本部を訪れた。マララさんが演説した信託統治理事会議場に入ることができ、彼女の存在に少し近づくことができたようで感動した。
 ガイドを務める高沢麻紀さん(38)は「彼女はすべての女性を勇気づけ、世界中の人々を動かした」とたたえた。共同通信ニューヨーク支局の記者ショーナ・マギーさんはマララさんの演説の聴衆の1人であり、「言葉が力強い。今まで聞いた演説で最も感動的だった。学生もお年寄りも外交官も、多くの人が真剣に聞いていた」と話した。
 国連本部職員のミゲルさん(37)は、教育の不足が紛争などの主因とし、「それは貧困からきている」と述べた。パキスタンでは、貧困により教育を受けられず不満をためた若者が行きつく先が、イスラム過激派の集団となるそうだ。
 この負のスパイラルを断つには、パキスタンを含めた各国の教育を改革する必要がある。マララさんが主張するように、貧富や性別に関係なく平等に教育を受けられるようにすることが、世界平和につながると実感した。
 日本は義務教育制度が整いほぼすべての人が教育を受けられる環境にあるが、それが普通だと思ってしまっている。私たちはその恵まれた環境に感謝すると同時に、教育を受けているからこそできる判断を下し、どんな行動をとるべきなのか考える必要がある。


 私たちは7月31日、ワシントンを訪れ、太平洋戦争中にアメリカで「敵性外国人」とされ自由を奪われ、差別を受けてきた日系2世のマリー・ムラカミさん(87)とテリー・シマさん(91)を取材した。
 ムラカミさんは真珠湾攻撃後に発令された大統領令9066号によりユタ州のトパーズ強制収容所に入れられた。収容所は有刺鉄線に囲まれ管制塔が立ち、部屋は小さくほこりまみれでベッドとストーブしか備えられていなかったため、生活はとても困難だった、と語った。シマさんは戦時中に日系人によって編成された「第442連隊戦闘団」の一員として戦い、同戦闘団がアメリカ政府に忠誠を示すために多くの犠牲を払ったことを語った。戦後は日系人が日本でのGHQの占領政策に関わり、日本が復興し大国として成長するのに大きく貢献したことなどを話した。
 私はこの取材まで、戦中の日系人の苦難の歴史を知らなかった。他の中高生記者も知識のある人は少なかった。そこで、このことをもっと日本で広めるべきではないかとシマさんに尋ねると、「そのような質問をしてくれて光栄。話したことを日本に持って帰って広めてほしい」と答えてくれた。
 さらに、日系人の歴史は、日本からアメリカに移住している日本人にも関係があると考え、取材を重ねた。アメリカに住みガイドの仕事をする日本人の久美子・レスコさん(48)は、過去に日系人が積み上げてきた努力がアメリカで暮らす自分たちの地位改善につながっていると言い、彼らを「日系人の地位向上を目指し、成し遂げようと突き進んでいた。素晴らしい」とたたえた。1988年、当時のレーガン大統領が国のトップとして戦時中の日系人の強制収容が重大な誤りだったと認め、謝罪したことに大きな意味があったとも語った。
 共同通信社ワシントン支局長木下英臣さん(51)はシマさんたちの努力のおかげで日本人も尊敬されていると言い、私たちがシマさんたちから直接話を聞けたのは素晴らしいことだと語った。シマさんたちを含めた、戦時中の苦しい経験をしている方々は高齢化している。私たちはそのような方々の歴史を語り継いでいく義務がある。木下さんは、「君たちが思ったことを記事にすることで日系人の苦難の歴史を伝えることができる」とも言ってくれた。この言葉で、記事にすることの必要性を感じ、この記事を多くの方に読んでもらいたいと思う。