一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

青木 文奈 (屋代高校2年・長野市)


 国立航空宇宙博物館別館でひときわ目立っていたのは、1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆を落としたB29爆撃機エノラ・ゲイだ。おそらくあの時代にもてる全ての技術を最大限まで利用し、何度も何度も改良を重ねてできあがったのがこの飛行機なのだろう。周りが映り込むほど磨き上げられた銀色の機体は、米国の勝ち戦を誇らしげに物語っているようだ。
 半年間ガイドをしているというエリック・プッシュマンさんは「核兵器はなければいいと誰もが思うが、世界には良くないことを考える人もいる」とし、「私たちはそんな人たちに立ち向かっていくべきだ」と力強く語った。海外の学校で、広島・長崎の被害の大きさや、原爆症はほとんど学ばないという課題も教えてくれた。
 当時は現代のような情報社会とは違い、インターネットも存在しなかったため、簡単に原爆の影響を調べられなかったそうだ。今では放射能が人体に与える影響も研究されているが、70年前はレントゲンをとることでも放射線を浴びるということすら分かっていなかった。
 エリックさんのほかにも来館していた何人かに話を聞いたが、全員が、原爆を落とさなければ戦争は長引き、さらに多くの人が亡くなったのではないか、という意見だった。ただ、「今後、核兵器は使ってはいけない」と口をそろえた。エリックさんも「戦争は大嫌い。もう誰にも経験してほしくない」と話した。
 エノラ・ゲイを戦争を終結させた存在と伝えてほしくない。多くの命を一瞬に奪った原爆を投下した負の遺産として後世に伝えてほしい。来年で原爆投下から70年。被爆者は年々少なくなってきている。原爆の悲劇を忘れてしまった時、あの惨禍は繰り返されるだろう。そうならないためにも、国境を越え、世代を越えて互いの声に耳を傾けていくことが大切ではないだろうか。


 東京電力福島第1原発事故から、私はずっと原子力発電について考えてきた。今回取材したマンスフィールド財団もこの問題に興味を持ち、活動している。財団はワシントンや東京に事務局を持ち、米国とアジア各国の関係と理解を深めることを目的に、出版活動や交流事業にを進めている。駐日大使も務めたマイク・マンスフィールド氏の功績を称えて1983年に創設された。
 日本では東京電力福島第1原発事故を受けて、多くの場所で脱原発を求める声が上がる。長野県内各地でもデモや集会が行われている。
 米国では核の平和利用、原発についてどう考えられているのか。理事長のフランク・ジャヌージさんは「エネルギーを確保する大切な方法の一つ。米国と日本とで、原発の使い方や規制を共有していくべきだ」と話した。また、副理事長のデビッド・ボーリングさんは、約30%あった日本国内の原発からの電力供給が福島原発事故でゼロになったとし、「理屈で原発は必要と考えているが、心では要らないと思う人が多いのでは」という見方を示した。
 核燃料は1キロから発生するエネルギーが石炭約3000トンに匹敵する高密度なエネルギー源で、補給、輸送、貯蔵のしやすさについては非常に優れている。燃料費も安く、地球温暖化の心配もない。こう聞けば、原発は理想的な発電システムだ。しかし、人体に重大な被害を及ぼす放射性廃棄物の処理が大きな問題として残されている。
 ボーリング副理事長が言うように、今の日本では心の問題が勝っていて、理屈が追いついていないのかもしれない。しかし、福島の事故から何も変わらないまま原発を使い続けてよいのだろうか。完璧なエネルギーを見つけるのはとても難しい。だがそれを見つけるために研究を進め、努力することが私たちがこれからすべきことなのだと思う。