横山 由貴 (松本美須々ヶ丘高校 高2・松本市)
学びの素晴らしさスミソニアン
広々とした国立航空宇宙博物館の館内 成田空港からの直行便が到着したダレス国際空港を後にし、着いたのはスミソニアン国立航空宇宙博物館である。中に入ると日本と比べものにならない広さだった。広く開放的な博物館は賑やかで日本の博物館の雰囲気とはまた違った印象を受けた。
最も私の目を引いたのはエノラ・ゲイである。銀色の巨大な機体は他に比べ一層目を引き、1945年、太平洋戦争末期広島に原爆を落としたあのエノラ・ゲイであると語っていた。
エノラ・ゲイという名前は操縦士ポール・ティベット氏の母親の名前から付けられた。機体に書かれている数字の82は元は12、また尾翼にあるRという字は第6爆撃隊を示しているがそれらは全てカモフラージュであり、戦争のために作られたということが伝わってきた。エノラ・ゲイ
他にも特攻機の「桜花」や夜間偵察機「ブラックバード」など戦争に深くかかわるもの展示されていた。
それらを後にして奥に足を進めると全長37メートル高さ17メートルの巨大なスペースシャトルが堂々と展示されていた。30年近く働いてきたそのスペースシャトルは成し遂げた仕事の偉大さを物語るが如く鎮座していた。
スペースシャトル「ディスカバリー」見に来ていた人たちに何か一番気になったかを聞かせてもらった。友人と来ていたスコット・ドーゼルさんは「エノラゲイ、世界の歴史を一番変えたと思うから」、カナダから来ていたブリアンロッキンソンさんは「スペースシャトル、宇宙へ行ったから」、兄弟のジェラマヤ君とザックライアン君は「ブラックバード、ジェット機みたいでかっこいい」とそれぞれだった。
老若男女それぞれがいろんな事を思い、学べるスミソニアン博物館の素晴らしさを実感できた。
アメリカと日本の新聞を知る
共同通信ニューヨーク支局での取材 アメリカの新聞と日本の新聞、違いはあるのだろうかと疑問に思った私は共同通信社ニューヨーク支局の支局長船津靖さんにお話を聞いた。
日本とアメリカの何が違うか。それはまず第一に読者層が違うそうだ。日本の新聞は誰にでも読めるようにわかりやすい内容になっている。これに比べアメリカの新聞は、高学歴の大人や、アメリカ国籍以外の人達が読んでいるそうだ。ニューヨークタイムズという新聞約100万部のうち50万部はアメリカ人以外の人が読み、新聞の内容も密度も日本と比べものにならないくらい多いという。イギリスも同様だそうだ。
アメリカは各社ごとに特色があり、それがよくわかるのは大統領選挙や州知事選挙だ。各新聞社が理由や意見を述べ、自分が推している人を載せる。日本の新聞では見られないことで、アメリカの発言の自由を感じた。
アメリカも日本も、新聞業界は今後どう読者を獲得していくかが死活問題であり、サバイバルだ。ただ、新聞とはリーズナブルな値段で、多くの人が世の中について知る事のできる大事な媒体なのだ。これを機にまずは日本の新聞からしっかり読んでいこうと思った。
アメリカでもらったチャンスの種
成田空港から人生初めての飛行機に乗っておりたったのは、ダレス国際空港だ。映画で画面を通して見た空港が目の前にあり、そこの大きさ、迫力に圧倒された。
リンカーン記念館 ワシントンDCに到着して一番印象に残ったのはリンカーン記念館と国立航空宇宙博物館である。リンカーン記念館に着いた時は、早くあの大きく偉大なリンカーン像を見たくて見たくて仕方なかった。空港と同じで、よく映画で見るあの像が目の前に座っていた時は興奮と感動で言葉を発することができなかった。
リンカーン大統領の有名なスピーチや、キング牧師が演説の時に立った場に自分が立つことができた。国立航空宇宙博物館では別館、本館どちらも興味深かった。広島に原爆を投下したエノラゲイや、特攻機の桜花、巨大なスペースシャトル。本館では零戦、メッサーシュミット、本やテレビでみた物が目の前に広がる興奮は今でも忘れられない。
ニューヨークでは国連本部へ行った。そこはアメリカではなく、約130カ国の土地だそうで、そこを訪れただけで約130カ国に行った事になるそうだ。あの短時間で130カ国とは…と最初は信じられなかったが、そう思うと少し誇りを感じることができた。世界がもっと友好的によりよくなるための話し合いが行われている場所に、私は訪れることができたのだ。
トップ・オブ・ザ・ロックから眺めるニューヨークの夜景 ガイドさんのお話も興味深く、貴重な体験だった。この日、ニューヨークは雨だった。トップオブザロックでの夜景を楽しみにしていた私は少し残念だった。しかし雲がかかってぼんやりと光り輝くニューヨークは中々よい物だった。170階の高さから見るニューヨークは明るくて夢や希望の町だった。曇りだったが…。
国際色豊かなアメリカ。食事からしても国際色豊かだった。中華料理、ドイツ料理、イタリアン料理、韓国料理、そしてアメリカ料理。いろいろな国に触れることができた。
また行く前はまずい、まずいと聞いていてとても心配していた食事だったが、塩気が強いだけで普通においしかった。量は多くて多少残してしまった。アメリカ料理のチーズバーガーはとても大きくて驚かされた。中のパテは厚くジューシーで日本では絶対に食べることがないなと真剣に考えてしまった。ハンバーガーが大好きなので完食はした。時間がつまっててゆっくり食べる事ができなかったのが残念だった。
帰りのJFK空港内でのショッピング、家族にお土産を買える最後のチャンスだった。忙しくて場所場所でお土産が買えず、ここで買わねばとマグカップを家族の分だけ買った。白と黒とピンクのマグカップは少々高かったが家族に喜んでもらえて嬉しかった。
JFK空港では、もう一つ大事件が発生した。5ドルを足元に落とし、気付かなかったのだ。空港には危ないから気を付けてと言われていたし、何よりも気付いていなかったのだからその5ドルとは永遠の別れかと思われた。
しかし、いきなり後ろから声をかけられ、振り向くと感じのよい男性が、落としましたよと英語で言い、私に足元の5ドルを私に渡してくれた。アメリカにいる時、通じない英語を一生懸命聞いて分かろうとしてくれたり、ドアを開けておいてくれたり、Thank youというと必ず返してくれたり、たくさんの日本にいたら味わう事のできないあたたかさに触れる事が出来た。
今回、このような機会がなければ知ることができなかった事、考えることができなかったこと、見ること、聞くことなどたくさんのチャンスの種をもらうことができた。