一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

前田 惇超 (長野西高校 高2・長野市)

エノラ・ゲイ」の取材を通じて

エノラ・ゲイの前で取材.jpgエノラ・ゲイの前で取材 広島に原子爆弾を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」。アメリカの人たちは、エノラ・ゲイの展示を見て、何を思うのか、原子爆弾の投下についてどう思っているのか―。
私は国立航空宇宙博物館に展示されているエノラ・ゲイの前で出会った、マーサ・ハリスさん(60)に話を聞くことができた。
マーサさんの義父イトロ・フェラマスカさん(故人)は、原爆投下の翌日、広島の被害状況を撮影する任務があった。
マーサさんは、甥夫婦のアダム・ハリスさん(24)、シェリル・ハリスさん(23)にその歴史を語り継ぐためにこの日、同館を訪れたという。
エノラ・ゲイについてマーサさんは、「エノラ・ゲイは戦争を悲劇に変えた。二度と起こしてはならないと思う」と語り、義父が生前、「(原子爆弾は)結果的に戦争は終わらせたが、 広島の惨状を見た時、罪のない人々と街を苦しめてしまい、悲しみでいっぱいだ」と言っていたと教えてくれた。
エノラ・ゲイを見ていると、当時の素晴らしい技術が分かる。その技術もひとたび戦争に使われると悲劇になる。「エノラ・ゲイ」の機名は、戦いへの不安と孤独を抱えたパイロットが母親の名前を付けたという。被害に遭った人はもちろん、戦いへの後悔と苦しみと虚しさはどちら側の人にも残る。
マーサさんは「(原子爆弾は)当時の軍隊には必要なものだったかもしれないが、発明されなければよかった、と思う。存在すらいらない酷いことだ」と語った。
私は、初めての取材を通じ、ハリスさんの一行に積極的に話しかけることで、教科書では学ぶことができないエピソードを、生の声で聞くことができた。原子爆弾、戦争に対するハリスさんらの思いを、私は忘れない。

世界で働く記者

各国メディアが入居するワシントンDCのナショナルプレスビル.jpg各国メディアが入居するワシントンDCのナショナルプレスビル共同通信ワシントン支局を取材.jpg共同通信ワシントン支局を取材
 私たちは7月30日に共同通信ワシントン支局、8月1日にニューヨーク支局を訪ねた。新聞の国際面でよく目にする【ワシントン共同】などの記事を書いているのが共同通信社だ。
ワシントンは政治の街。ホワイトハウスやNASAなどのニュースを扱う。ワシントン支局は16人のスタッフが働いていて、記者一人一人に担当する分野が決まっている。英語記事担当者は1人だけである。
デスクの金子さん(47)に聞いたところ、アメリカのメディアから引用する記事も多く、「どんな記事を書いたら、日本の読者に興味をもってもらえるか」という視点で情報を選び、さらに知りたいと思ったことを追加取材して記事にしているという。情報を記事にする時には、複数のメディアの同じ情報をいくつも調べ、誤報を出さないようにと細心の注意を払う。ホワイトハウス.JPGホワイトハウス
ワシントン支局は、日本時間では深夜から明け方となる午前2~7時がちょうど午後になるため、他の支局と連携しながら、より確実な取材ができる。
ニュースを東京本社に発信するまでの時間はおよそ30分、重要なニュースは5分程度で送るという。
一方、ニューヨーク支局は、経済、文化、スポーツ中心の記事を主に書く。私の関心のあったボストンマラソン爆破事件の記事は岡坂さんが担当した。岡坂さんは、日本各地の支局でも活躍した人で、正確な記事を書くこと、伝えることの大切さと難しさを教えてくれた。
真偽を早く見極める英語力と、アメリカのあらゆる価値観、文化をふまえて日本人に誤解のない記事を書くという記者の仕事は大変だが、とてもやりがいがあると思った。

敗戦の知らなかった歴史

 「申し訳ない。」の一言で頭がいっぱいになった。
 ワシントンに着いて2日目に国立アメリカ歴史博物館を訪れた。国立アメリカ歴史博物館.jpg国立アメリカ歴史博物館
 館内に第二次世界大戦の大きなブースがあり、入り口には、日本、ドイツ、イタリアの敗戦国の看板が展示されていた。アメリカと直接対決を行った日本は、他の2国よりもスペースが広く、私が見たことのない恐ろしい写真がいくつもあった。
 私は、日本のブースを見学していた女性フェイ・ラングさん(40)に取材をした。彼女は夫、娘、二人の息子の計五人でアメリカの歴史を詳しく知るために訪れたという。
 まず、日本のことが好きか、と聞くと、「今の友好関係の日本は好きだが、正直1945年頃の日本は嫌いだ。当時の人々、皆が全て悪い人ではなかったと思う。もちろん政府が権力を持っていたことも知っているが、当時の日本は嫌いだ。皆、そう教わって育つ」と話した。
 私が「私たちは学校で当時の日本の敗戦についてはっきり教わっていない。ここで初めて見る写真も何枚かある」と話すと、心底驚いていた。
 原子爆弾を使用したことをどう思うか聞くと、広島の投下後の写真を見て、険しい表情で「terrible thing」と呟いた。
 私がこの取材で感心したことは、子供が自国の歴史について積極的に学ぼうとしていること、そして親が学ばせようとしていることだ。彼らはどのような気持ち、姿勢で過去を受け入れているのか。日本という国をどう学んでいるのか。私たちは知るべきだと思う。ブースには、南京大虐殺や日本の飛行機が上空から爆撃する写真が掲示されていた。
 私は高校生だが、これまで第二次世界大戦はナチスというイメージで、授業でも多く扱われる。実際あの国立アメリカ歴史博物館を訪れると、日本の参戦について、自国であるのに知らないことが多すぎると分かった。また、私たちには学ぶ姿勢が足りないだけでなく、学ぶ機会が少ないと思った。
 日本人も自国が行ってしまった過ちをしっかりと見つめ直す必要があると感じた。