小林 大純 (岡谷東高校 高3・箕輪町)
世の中をよいものにする
リンカーン・メモリアル ワシントンDCでバスから降りると、太陽が真っ青な空から我々を照らした。そして視線を上げるとそこにはギリシャ神殿のような建物がそびえ立っていた。リンカーン・メモリアルだ。
ここはアメリカ合衆国16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して建てた記念館で、館内にはリンカーン大統領の像やゲティスバーグ演説の内容が壁に彫られている。ゲティスバーグ演説といえば「人民の、人民による、人民のための…」が有名ということもあり、この記念館前では数多くの公民権獲得に向けた演説が展開された。その代表的なものがキング牧師による「I Have a Dream」である。
これらは大きく日本の教科書でも学ぶ部分である。では、それに付け加えて、日常にあった差別やそれに対抗したことにも目を向けてみよう。
我々は国立アメリカ歴史博物館へ行った。博物館内には、一つのカウンターに四つの椅子が並ぶシンプルな展示がある。これはアメリカ南部ノースカロライナ州のグリーンズボロという街で起きた話を説明している。国立アメリカ歴史博物館のランチカウンター
それは1960年に起きた話だ。当時は街中のあらゆる場面で黒人差別があった。そのうちの一つ、ある店のカウンターでも差別があった。その店のランチカウンターは白人専用の席で、黒人が座ることはできなかった。しかし、若い黒人男性4人はそれを承知の上でカウンター席に座り、コーヒーを注文した。人種差別に対抗するためである。店側はこれを無視していた。しばらくして黒人男性たちは店側に追い出されるが、次の日、また次の日と日を重ねるごとに黒人の仲間を連れて人数を増やし、そのカウンター席に座り、コーヒーを注文し続けた。
こういった「無言の抵抗」はこれを機にアメリカ南部各地へ広まり、こうした差別抵抗運動は、翌年にはアメリカ南部各地で7万人以上が参加するほどに発展した。
今日でも日常的に人種差別は続いている。可能なら、私は日常的な差別について取材を通して知りたかったが、それは考慮の上、不可能だった。
人種差別というものは職に就くことにも関わってくる。昔は、アフリカ系アメリカ人は差別の影響により就ける職業がかなり絞られていた。今回私がアメリカで感じたことは、あらゆる施設の警備員や力仕事などにはアフリカ系アメリカ人が常にいたことだ。しかし、それは個性によって選ばれていると私は信じたい。
我々日本人も“人種差別”という言葉から目を背けてはならないのではないかと思う。
もっと視野を広げてみよう。世界には多くの人種や民族の中で暮らしている国がある。お互いが理解し合って共存しなければ、よい社会を、よい国を形成することができない。どのようにしたら共存できるかを一人一人が考えよう。
また、先程のランチカウンターの話のように、たった4人でも世の中をどうにかしようと思えばどうにかなる。ということに習い、私は、些細なことでも大きな結果を招くということを忘れずに日々励んでいきたい。
アメリカ体感・ヒップホップの本場で取材
私はヒップホップミュージックが大好きだ。俗に言うラップである。日本中、いや世界中で若者を中心に絶大な人気を誇っているこの音楽の発祥の地はニューヨークだ。私は街で、ヒップホップについて取材した。
私は取材をする中で、「最近のヒップホップは本質を見失っている」「もっとラップの歴史を勉強しなければ」と訴える日本人ラッパーの言葉が気になっていた。
ヒップホップは黒人から生まれた文化で、人種差別と因果関係がある。実際、ニューヨーク出身のラッパーの大多数が貧困地域の出身で、彼らは生きるため、お金を稼ぐために音楽という武器を使う。音楽を通して、自分の生きざまや街で起きている現実を訴えるのだ。NYのセントラルパークで取材
では、本場の米国ではどう受け止められているのか。ニューヨークで取材した30代の男性は「最近のラップのメッセージは多様化している」と話す。都市郊外の貧困地域で生まれ育った人と、それ以外の人とではラップ本来のメッセージの感じ方が異なると言う。ワシントンDCで取材したニューヨーク出身の40代男性は「ラップは人種差別についてというよりも世代的な音楽だと思う」と語る。
取材では、米国出身の人以外からも話を聞いたが、彼らもまた、ラップをカッコイイ音楽としかとらえていないと答えた。
一方、ニューヨーク郊外出身の黒人の方に話を聞くと、「ラップは小さいころから聴いている。自分自身、差別などをされた経験に痛感する部分があるのでラップは好きだ」と答えた。
クールでカッコイイラップの裏側には、黒人差別などの負の歴史が絡んでいる。物事は常に表と裏がある。グローバル化が進むこれからの世界。私は物事の表面だけを見るのではなく、裏側にあるもう一つ先のことを理解できるようになりたい。