一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

ルジチカ・イザベラ (清水中学校 中3・松本市)

国連で考えた食料問題

国連本部前で記念写真.jpg国連本部前で記念写真 8月1日、私たち学生記者は、ニューヨークにある国連本部を訪れた。国連では様々な問題について話し合っているが、その中で環境問題、特に食料問題に興味を持った。
国連には、WFP(World Food Program)という食料支援機関がある。この機関は、飢餓と貧困のない世界を目指すことを目標に1961年に設立された。戦争や内戦、自然災害等が起きた際には、その地域に食料を届けて命を救い、その後も食料を用いて生活の復興を助ける。例えば今は戦闘が続いているシリアで、国内各地に逃れた人々や、周辺の国に逃れたシリア難民に、緊急食料支援を実施している。
また、学校給食を通して、十分な食料を得られない子供達を助ける、「レッドカップキャンペーン」という活動も行っている。この活動では、WFPが途上国の学校へ行き、子供たちの未来への希望を表す赤いコップで給食を配っている。でも、1人コップ1杯なのだ。私達が食べている給食とは、量も内容もかなり違う。
今回アメリカに行って、食事がものすごい量だったということが、強く印象に残った。どうがんばっても食べきれない量の食事が出る国がある中で、多くの人が飢餓に苦しんでいる国があるのは、おかしい。食料問題以前の問題で、先進国が必要以上に大量に消費しているだけだ、と思ってしまった。
国連のガイドツアーで説明を聞く中学生たち.jpg国連のガイドツアーで説明を聞く中学生たちそうはいっても、地球温暖化や人口増加により、近い将来、世界中で食料不足が今より深刻な問題になると言われている。国連では、その解決策として、例えば昆虫を食べたり、寒暖の差や乾燥に強く、栄養価に優れる「キヌア」という穀物を食べたりすることを考えている。キヌアは、アンデス地方で栽培されていて、その並外れた栄養価はNASAでも宇宙食として注目されているそうだ。
今年、2013年は国連が制定した「国際キヌア年」で、国際的な認知度の拡大が期待されている。日本ではキヌアの知名度はまだ低いが、アメリカでは健康食品として人気が出てきている。ヨーロッパではキヌア入りのパスタやチョコレートも販売されているそうだ。将来、温暖化で農作物を育てるのが困難になっても栽培できる、栄養価が極めて高い食品として注目されている。
しかし、国連に詳しいジャーナリストのショーナ マギーさんは、将来の食料問題の解決策について、「まず私たちがするべき事は、残食を減らすことだ。」とおっしゃっていた。本当にその通りだと思う。今でも食料が足りていない9億人の人々にこれ以上我慢しろと言ってもどうしようもない。先進国に住んでいる私達が努力して、無駄に消費する生活を変えていかないと、将来の食料問題は解決しないと思った。
平和維持活動について説明を聞く.JPG平和維持活動について説明を聞く










日系人の暮らし

 1941年の真珠湾攻撃は、米国に住む何の罪もない日系人の生活を一変させた。私は、米国生まれで結婚を機に松本市に移り住んだ日系3世の渡辺アイリーンさんを取材し、強制収容所に入れられたご両親の話を聞いた。渡辺さんは父の知り合いだが、私たちが米国派遣で取材したアイリーン・ヒラノさんと面識があると知り、驚いた。帰国後に取材した渡辺アイリーンさん.jpg帰国後に取材した渡辺アイリーンさん
 第2次世界大戦が始まったころ、ロサンゼルスにいた渡辺さんの父親のマサオさん、母親のツエさんはクリーニング店を開き、新しい生活を始めようとしていた。しかし、開店して間もなく日本が真珠湾を攻撃。スーツケースに詰められる物だけ持ち、48時間以内に家を出て行かなければならなくなった。収容所に持っていけない物は、とても安い値段で売り払わざるを得なかったという。
 そして、どこへ行くかも知らされないまま汽車に乗り、鉄条網が張り巡らされた強制収容所に連れて行かれた。カリフォルニア州にあるマンザナール収容所だ。土の床のバラックに住み、シャワーやトイレは共同で仕切りもなく、食事もひどかったという。妊娠中だったツエさんは何も対応してもらえず、子どもを無事に出産できなかった。「母はこのことを悔やみ続けていた」と渡辺さんは話す。そして終戦後の46年、渡辺さんが誕生した。
 終戦から40年以上たった88年、米国政府は強制収容は重大な誤りだったと謝罪し、収容所にいたことを証明できる人に1人2万ドルの賠償金を払った。だが、収容所にいた多くの日系1世はその時、既に亡くなっていた。
ワシントンで中高生記者に日系人の歴史を語るアイリーン・ヒラノさん.JPGワシントンで中高生記者に日系人の歴史を語るアイリーン・ヒラノさん 私たちが米国で取材したヒラノさんは、こうした苦難の歴史を伝えようとロサンゼルスに建てられた「全米日系人博物館」の初代館長を20年間務めた。いまは民間の非営利団体「米日カウンシル」の代表として「トモダチ・イニシアチブ」に取り組んでいる。
 これは東日本大震災の復興支援から生まれた活動で、日米の若い「トモダチ世代」が教育や文化交流などで友好を深め、若いリーダーを育てる官民の試みだ。昨年は、東北出身の学生約500人が米国を訪れ、友情をはぐくんだ。
 ヒラノさんは、親世代の受けた苦難を理由に米国を憎むのではなく、歴史を伝え、日米両国の若い「トモダチ世代」に未来への希望を託していると感じた。そして、私たちも「トモダチ世代」なのだ。
 日米にとどまらず、世界中の国々と良い関係をつくるために、世界中の若い人たちがお互いを理解し「トモダチ」になることが必要だ。今回の米国派遣で現地のガールスカウトと仲良くなったことも、こうした活動につながるはずだ。世界中にトモダチの輪を広げていきたい。