一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

五十嵐 唯人 (東北中学校 中2・長野市)

「設計から解き明かす国連に込められた思い」


国連本部の模型.jpg国連本部の模型 あいにくの曇天の中、国連ビルは高くそびえ建っていました。僕は現地に来る前から国連ビルの設計に興味を持っていました。国連ビルを初めて見た時の第一印象は「変哲のない一般的なビル」でした。そこで国連ビルを設計した設計士を調べてみることにしました。国連ビルは、ともに世界的な建築家のオスカー・ニーマイヤー氏とル・コルビジェ氏が設計したビルです。そこで僕は、オスカー・ニーマイヤー氏に注目し焦点を当てました。
オスカー・ニーマイヤー氏はブラジル、リオデジャネイロ市生まれでリオデジャネイロ国立芸術大学建築学部を卒業し、レーニン国際平和賞(1963年)、アメリカ建築家協会ゴールド・メダル(1970年)、プリッカー賞(1988年)、高松宮殿下記念世界平和賞(2004年)などさまざまな賞を受賞しています。
そんな世界的な設計士がなぜ僕に、第一印象で「何の変哲もない一般的なビル」という印象を与えるようにビルを設計したのでしょう。巨匠が作った駄作というわけではないですが、なぜどこにでもあるような一般的なビルの形に設計したのでしょう。ニーマイヤー氏の設計の特徴と現地で見ることから解き明かすことにしました。
ニーマイヤー氏の設計した建造物の特徴は曲線を使って構成されていることだと思います。ニーマイヤー氏はコパン・コンプレックスという建造物を設計しました。このコパン・コンプレックスはブラジルサンパウロ市にあり、敷地面積は10572.80平方メートルというとても巨大な居住用ビルです。このビルの特徴は前面の壁が波のように曲がっていることです。
しかしニーマイヤー氏が設計したブラジル旧保険省庁舎やブラジル大統領府は曲線が使われていません。国連ビルの壁は一切曲線が無いシンプルなデザインのビルでした。この違いを自分なりに考えてみました。まずコパン・コンプレックスとブラジル旧保険省庁舎の違いは政治が関係しているか、いないか、ということです。曲線はグラフにすると安定しません。これは、政治の関係している建造物に曲線を使うのは縁起が悪いとニーマイヤー氏は考えたためではないでしょうか。
国連本部前で記念写真.jpg国連本部前で記念写真この考えを当てはめると曲線の使われていない国連ビルは世界の中心地なので、平和を願いニーマイヤー氏は曲線を使わなかったのではないでしょうか。
また、この建造物には彫刻的な物がついていません。ニーマイヤー氏が設計したブラジルのあるブラジル大統領府には彫刻がついていました。なぜニーマイヤー氏はこの国連ビルに象徴にもなる彫刻をつけなかったのかと僕は現地で思いました。
中に入ると庭に馬に乗った勇ましい男性が兵器を壊している銅像がありました。この銅像を国連のガイドさんはロシアから贈られたものと言っていました。国連の中に入ると、ペルシャから贈られた絨毯やインドから贈られたオブジェなど各国からの贈られた物がたくさんありました。これは各国から贈られた物がある中、彫刻を国連の象徴にすると、その彫刻を造った国が国連の象徴になることを表すと第三者にとられることを避けたのではないかと考えました。
国連ビルの内部には様々なものが展示されていました。例えば広島に落とされた爆弾も展示されていました。他にはUN(United Nations)と記してあるヘルメットや軍用品などもありました。国連は平和維持のための機関なので、戦争には参戦しないというイメージがありましたが紛争などが起きた場合、両勢力を引き離すために出動するそうです。話し合いで解決せず軍事行為を行い解決することに少し悲しみを覚えました。
あくまで僕の見解ですが、この考えを当てはめると「ただのビル」はあらゆる願いを建造物という形として残した「理想のビル」になっていることが分かりました。また内部に展示されていた平和維持のための物品、後世に平和を訴えていく物品を間近に見ることができ、いい経験をすることができました。


戦争に対する意識の違いとエノラゲイ

ゼロ戦.JPGゼロ戦 宮崎駿監督が「風立ちぬ」という映画を製作しました。この映画の中心となっているのはゼロ戦です。そのゼロ戦が、ワシントンDCの国立航空宇宙博物館に展示されていました。第2次世界大戦時に最強を誇るアメリカもゼロ戦からは逃げることを指示しました。それほど恐れられていたゼロ戦。なぜアメリカほど技術のある国が日本のゼロ戦を恐れたのでしょう。その疑問は添乗員さんの話によって簡単に解決されました。
ゼロ戦が恐れられた理由は軽量設計のため急な方向転換が可能だからです。日本は中に乗っている人の安全より敵を倒すことを優先しています。戦闘機の後ろにある板はベニヤ板を使用しています。それに比べアメリカは中の人を守るため鉄板を使用しています。日本は「お国のために死ぬのは名誉だ」と国民に言っていました。つまり日本は人の命を兵器にしていました。
戦争の最後になってくるとプロペラのない戦闘機や翼のない戦闘機で敵の戦闘機に突っ込む戦法を取っていました。あくまで僕の見解ですが、日本とアメリカでは兵器の量で差がありました。しかし兵器の量で差があっても人命を兵器として消耗するものとして扱ったことも敗因のひとつではないのでしょうか。
エノラ・ゲイ.JPGエノラ・ゲイまた国立航空宇宙博物館の別館にはB29、あのエノラゲイも展示されていました。日本人にとっては広島に原爆を落とした惨たらしい戦闘機です。銀ぴかのボディは周りの戦闘機より大きく目を引きます。その銀ぴかの機体には黒字で「エノラゲイ」という文字が記されていました。このエノラゲイという文字は日本に戻った今も僕の脳裏に焼きついています。
エノラゲイはただの戦闘機ならそこまで惨たらしいことはないと思います。しかし、原爆を落としたので惨たらしい戦闘機です。
アメリカでは原爆を落とすことは戦争を終わらせるために必要とされていました。何年か前、エノラゲイの元搭乗員が、もし当時と全く同じような状況になり、必要とされるのならまた広島に原爆を落とすだろうとのニュースが報じられたのを覚えています。これを聞いて僕はショックを受けました。
しかし同時に、まだ日本は世界に原爆の恐ろしさを伝えることができていないのではないか、とも思いました。原爆が落とされてから70年近く経ちました。もう原爆の恐ろしさを身をもって体感した方も数少なくなってきました。これから先原爆の恐ろしさを風化させるようなことはあってはなりません。僕たちの世代が原爆の恐ろしさを受け継ぐために、世界に原爆の恐ろしさを発信していかなければならないと実感しました。