小沼 祐之介 (長野高専2年・長野市)
ニュージアムを訪れて
世界中を探しても他に類を見ない珍しい博物館、それがここ「ニュージアム」である。名前からも連想できるとおり「ニュース」をテーマにした博物館である。
まず入場してすぐに4Dのオリエンテーションフィルムを見た。今までの報道の歴史をテーマにしたものである。中でも当時は地位が低かった女性記者がやりたい企画をえるために編集長と取引をし、違法な、まるで地獄のような病院へ潜入捜査をし、世の中へ報道したために、病院の実態が明るみに出たと同時に警察の手が伸びたという一つのストーリーがとても心に残っている。「報道する」ということがどれだけ社会に大きな影響をおよぼすか、この目に焼き付けた瞬間であった。
前述のストーリーのように、「調査報道」は米国ではとても大事なこととされている。米国の報道の自由を大切にし「正しく書く」という理念によるものだろう。このような潜入取材は潰されることもあれば、取材しても記事にできないこと、記者が死んでしまうこともある。リスクも共にある。
シアターを出て歩を進めると、「ベルリンの壁」を目撃することになった。共産主義側の監視塔も含め本物である。西ドイツ側は落書きで埋め尽くされ、共産主義だった東ドイツ側は落書き一つない。長い間ドイツを分断していた姿を実が得てみても、どこかさびしさを感じた。
6階にはその日の世界の新聞の題一面を見ることができる。文字の大きさから紙面の大きさ、レイアウトまで、各国で違いが大きく興味深かった。国民性が表れるのだろう。
5階に下りると印刷技術などない時代から新聞の一面がパネルのような形で見ることができる。誰もが一度は歴史の授業などで聞いたことがあるであろうニュースが盛りだくさんだった。最も新しい一面は東北を襲った東日本大震災の記事だった。
ニュージアムの別の場所には、被災地の避難所に掲げられた石巻日日新聞が掲示されていた。懐中電灯のもと、手書きで書かれた新聞だ。紙やインク、電気がない状況でも、なんとかニュースを伝えようとした記者の行動に感無量だ。
日本を深い悲しみで襲った大震災。世界からも支援を受けた。日本から遠く離れた米国でも、大震災のことを報道の歴史の一つとしてしっかりとらえてくれていた。日本だけではなく、ともに被災を悲しみ、支援の手を伸ばし、助け合える仲間が世界中にいることを、ここであらためて感じた。
国連に入って
世界各国の国旗が立ち並び、その奥には直方体でガラス張りの大きなビルがそびえ立つ。1945年、第2次世界大戦終了後、「世界平和を守り世界の平和をつくる」ために創設されたのが、この「国際連合(国連)」である。小学校高学年以上なら、この名を聞いたことがない人はまずいないだろう。
当時51カ国だった加盟国は、いまは193カ国にまで増えた。世界の平和に対する意識が高められてきた証拠であろう。
日ごろのニュースでもよく耳にする「安保理」とは「安全保障理事会」の略で、この会議は「平和と安全」に関する議題しか扱うことができず、決定には法的な拘束力がある。常任理事国と非常任理事国の15カ国のみの会議になる。この非常任理事国は2年ごとに地理的状況などを考慮して選ばれるが、日本は最多の10回選ばれており、1回務めたあとは2年間休みとなるので、世界でもトップの頻度で務めていることになる。
総会ホールという国連で最大の会議場で行われるのが、193カ国が参加し一カ国1票の平等の権利を持った「総会」である。各国の首脳が集まる場では、六つの公式言語(英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語、アラビア語)により、同時通訳をしている。総会では、安保理と異なってどんな国際問題でも議題に持ち込めるものの、ここでの決定事項は法的拘束力をもたない。
国連ではこのほかに「世界のすべての人の生活水準を上げる」という意味で、貧困を減らす、教育を広める、男女平等を推進するといった「8つのミレニアム」という活動をしている。世界では年間180兆円もの軍事費が使われており。国連平和維持活動も各地で行われている。
国連では現在日本人が約120人働いている。しかし、国連では日本人の働ける枠が300人まであるものの、定員の半数にも満たない。専門的な技術が必要な職も多く、求められている人材とマッチングがうまくいかないといった問題もあるようだ。
誰もが国連で働けるわけではない。しかし、平和できれいな日本に住んでいることに満足せず、もっと広く世界に目を向けてみたい。世界には戦争、貧困、不平等といった、背を向けてはいけない、他人事ではすまされない問題が山積みになっている。おつりを募金することからでもいい。小さなことから世界の問題に目を向けてみたいと思った。
巨大な自然史博物館
ワシントンにある国立自然史博物館は、スミソニアン協会に属する19の博物館・美術館の一つである。スミソニアン協会は1864年8月10日に創設されて以来、現在の収蔵品は1億4000万点を超え、実際に展示さているのはたった2%だという。
世界最大級のこの博物館群の中でも特に世界最大の博物館といわれるのが、この「自然史博物館」である。約1億2650万点、スミソニアン全体の9.2%を占める途方もない数の収蔵品である。
入り口の手荷物検査を通過し、博物館の中へ足を踏み入れると、今にも動きだしそうな巨大なアフリカ像が出迎えてくれた。1995年に捕獲され、慎重3.9㍍、体重8㌧。これまで捕獲された中では捕獲された中では最大の大きさの象になる。ただし、長い牙はグラスファイバー製、本物だと剝製が立っていられないからだ。
2階には博物館で断トツ人気のコーナー、「鉱物と宝石」が展示されていえる。7500点以上が収蔵され、実際には約2500点の宝石たちが厳重な警備のガラスケースの中で光り輝いている。中でもひときわ輝いていたのが「ホープダイヤモンド」である。一時持ち主だった「ホープ」氏にちなんで名付けられたこのダイヤは、いくつもの時代をながめながら、かつては112カラットあったものが、45カラットまで削られてしまった。持ち主が次々と非業の死を遂げていくこのダイヤは「呪いのダイヤ」とも呼ばれ、何人もの富豪の死を見届けてきた。今この「ホープダイヤモンド」が何を思っているのか…。
スミソニアンの自然史博物館。目を奪われる展示物の数々は一生に一度は見ておくべきだと断言しておこう。