一般社団法人 長野県新聞販売従業員共済厚生会

取材報告

福島 愛美   (松本深志高3年・大町市)

オバマ選挙事務所の仕事

DSC_0462.JPG バージニア州フェアファクスにあるバラク・オバマ大統領の選挙事務所に行った。事務所には、オバマ氏を応援する手作りでカラフルなポスターや張り紙がたくさん貼ってあった。選挙事務所での活動を説明してくれたのは、代表のパーカー・ラムズデルさんだ。
主な活動は三つあるという。有権者登録の手伝い、電話を使った投票呼びかけ、そして戸別訪問だ。米国では、選挙権は18歳以上の米国市民に与えられるが、有権者登録をしないとその資格は得ることができない。だが、有権者登録をしていない人々は、ヒスパニック系の人々、貧しい地域に住む人々、そして18歳になったばかりの若者たちに多い。そのため、彼らの生活に近い場所、バス停やスーパー、または、大学のキャンパスに行って、登録の手伝いをするのだという。パーカーさんは、「政府の力を一番必要としているのは貧しい人々。安い住宅、健康医療保険、教育の提供など、政府が彼らのためにできることはたくさんある。それなのに彼らは自分たちの声を政府に届けることができていない。また、選挙は国の将来を決める約束のようなもの。軍隊や大学の学費など、若者に影響があることもたくさんあるのに、若者の投票率もとても少ない。自分の一票ではどうせ変わらないと思っている若者が多い」と話した。
次に、戸別訪問について説明をしてもらった。戸別訪問は、民主党でも、共和党でもない無党派層の人々を中心に行うのだという。パーカーさんが大事にしていることは、自分のストーリーを語ることだ。ただ「お願いします」と頭を下げてくるのではないという。自分の主張をするだけではなく、相手の話を聞き、共通点を見つける。それが、コミュニケーションであり、良いコミュニケーションをとることが、選挙にも影響する、と話した。そのあと、実際の選挙人名簿を使って、記者たちの何人かは電話で投票を呼び掛けることに挑戦してみた。
 パーカーさんが、オバマ大統領を応援するきっかけになったのは2008年の大統領選挙。当時、教師だったパーカーさんは、片親しかいない子や、祖父母に育てられた子など、ヒスパニック系の13歳から14歳の貧しい子供たちを教えていた。そんな子供たちは大統領選に出馬したオバマ氏に魅了されたのだのだという。幼いころは母親しかいなかったということ、彼が黒人だということ、オバマという珍しい名前。子供たちは、マイノリティである自分たちとオバマ氏との間に親近感を覚え、彼が語るストーリーに興味を持ち、明るい未来を抱くようになり、このことをきっかけに、パーカーさんはオバマの選挙活動を始めるようになった。
 パーカーさんは、最後に次のように話した。「人生では、常に新しいことにチャレンジし続けてほしい。何が起きるかはわからない。でもきっとチャレンジするといいことがある。」
 大統領選挙の年だったからこそ行くことができた場所で、実際に選挙活動にかかわっている人の貴重な話を聞くことができてよかった。大統領選挙というとなんだか華やかなイメージがあったけれど、根にはボランティアの人々や、事務所の人たちのような、底から支えている人々がいるんだなと感じた。

報道の難しさを感じる

ワシントン三日目、まず訪れたのはニュースとジャーナリズムの博物館、NEWSEUMだ。この博物館の基盤は自由。特に報道の自由、ということに重点を置き、さまざまなものが展示されている。
印象的だったのは、ベルリンの壁だ。片面には色とりどりのたくさんの落書き。だが、その反対には落書きなどは全くなく、近くには監視塔もある。一目見ただけで、どちらが民主主義国家で、どちらが共産主義国家だったのかがわかる。ベルリンの壁の崩壊は、共産主義と民主主義がひとつになったことを意味し、そのニュースは世界を揺るがした。このようにベルリンの壁をはじめ、9.11のテロ事件に関する展示や、3.11の東日本大震災の際に、手書きで発行されていた石巻日日新聞の号外展示もあった。
DSC_0603.JPGこの博物館はまた、ジャーナリズムがいかに世界を変えてきたのかということも伝えており、そのことをテーマにしたオリジナルの4D映画も上映されている。その映画を見た後に、同行するジャーナリストの川尻千晶さんは、「ジャーナリストには、時には、発表されたことだけでなく、潜入調査などから自分の体験を通して報道をすることも求められる。それはいつもうまくいくとは限らないし、危険なこともたくさんある。けれども、間違ったことは決して書かないで、正しい真実を報道することが大事。」と話した。
この言葉を聞いて、報道することのむずかしさを感じるとともに、情報を受け取る方にも真実を見極める力が必要だと感じた。そして真実というのは、多方面から見ないとなかなか見つからないものだからこそ、報道をする側にはもちろん、情報をうけとる側も、きちんとした知識をもって、多面的に物事を見なければならないだろうと感じた。報道の自由というのは、なんでも好き勝手に報道していいというわけではなく、真実を追い求める自由のことであり、この米国での取材は、私もその気持ちで臨みたいと思った。

アメリカで「自由」を考えた

DSC_1794.JPG8月2日には、フィラデルフィアに向かった。フィラデルフィアは米国独立の舞台だ。米国初の首都として、病院、学校、図書館、劇場など多くの米国初の建物や、レンガ造りの家並み、古い石畳の道路など歴史的なものも多く残っており、ワシントンD.Cとは違った風景を見ることができた。第一回大陸会議が開かれたカーペンターズ・ホールなどを散策した後、自由の鐘を見学した。1776年7月8日に鳴ったその音は、アメリカ独立宣言朗読のために、市民を広場に招集させたという。南北戦争中はアメリカ各地に展示された。また、奴隷制度の廃止といった公民権運動の象徴にもなり、キング牧師やガンディーなど、自由を求めて戦い続けた指導者たちが鐘と映っている写真も展示されていた。鐘は、ひび割れのためにもう鳴ることはないというが、厳重なセキリュティのもと、たくさんの人々が訪れ、記念写真を撮っていた。
 自由の鐘を見た後、皆で「自由」について話す機会があった。自由と聞いてどんな自由を想像するかという問いには、表現の自由や報道の自由、選択の自由などのさまざまな答えが出た。次に、自由とは何だろうかと考えてみた。仲間の一人、高橋紡花さんは、「自由とは自分でルールを決めることで、実は一番難しいことだと思う」と答えた。自由を言葉にすることは難しいことだった。だが世界には、自由とは何であるか、ということを話し合うことさえ許されない人々もいる。そんな中わたしたちは、鐘から感じ取った自分なりの自由を思い思いに語り合った。そして、今自分が自由でないと感じる人、という質問に手を挙げる人はいなかった。
その時ふと、米国には、自由をテーマにしたものがそこらじゅうにあったことを思い出した。これは今も米国が自由を求め続けていることを表しているのかもしれない。ひびの入った自由の鐘は、争いや差別などの重い歴史を含め、米国が自由や独立のために闘ってきたしるしなのだと感じた。そして、この鐘は過去だけではなく、今も自由に対する啓発を人々に鳴らし、訴えているのだと思う。だからこそ、世界中の多くの人々がこの鐘に惹かれ、人気を集めているのだろう。