取材報告

帰国後の取材報告です。

滝沢 颯  (信大附属長野中学2年・長野市)

 8月1日、アメリカ取材の最終日、報道の博物館「ニュージアム」に行った。
 映画で、患者をひどく扱っていた精神科病院に記者が潜入取材をする様子が描かれていた。状況が社会に知られて良かったと思ったが、患者のふりをする行動に疑問が湧き、知る権利や自由について取材した。
 来館していた英国人デビッド・タッカーさんは、過剰な調査について「越えてはいけない一線があり、バランスが重要」と答えた。「一線とは法か」と聞くと、「法が間違っていることもある。(米国の情報活動を明らかにした)エドワード・スノーデン氏のように、法を破っても私たちには役立つことはある」。
 一方、航空宇宙博物館別館にニューハンプシャー州から訪れていたコンピューターセキュリティの仕事をしているビルさんは「法律が一線である」とし、スノーデン氏にも「違法で、機密情報を開示してしまったことが良くない」と話してくれた。
 2人の意見に共通するのは、「越えてはいけない一線がある」ということだった。しかし、一線とは何かが、それぞれだった。
 個人的には、スノーデン氏のしたことは、多くの人にとって役に立ったと思う。しかし、その行為は違法。それとは逆に、明らかに悪いが違法ではない危険ドラッグのような例もある。そう考えると、法律のあり方が、とても大切になってくると思う。しっかり機能する法をつくることが、私たちの生活を良いものにしていく重要なキーワードであることは間違いない。

 僕は今回の渡米で、日本で話題の集団的自衛権の可否について、取材することを決めていました。現地で、「平和のあり方」について、何らかの答えを見つけることが目的でした。
 9.11のテロで亡くなった遺族が作る団体「9.11家族会」の会長リー・イエルピさんに、取材することができました。僕は、「日本の集団的自衛権の行使容認について、どう思うか?」と単刀直入に質問してみました。すると、「集団的自衛権」という言葉にピンときていない様子でした。アメリカでは、あまり知られていないんだな、と感じました。「アメリカはすべての兵器を捨てるべきか」という質問には、「イエス」と答えながらも「アメリカだけでなく、他国もそうしなければ難しい」と話してくれました。平和を実現するには、国際協調が重要なんだと改めて確認することができました。
 日米関係に詳しいマンスフィールド財団のライアン・シェイファーさんは、日本の集団的自衛権の可否について、「アメリカは日本を助けているので、日本もアメリカを助けるべき」と話しました。また、アメリカはすべての兵器を捨てるべきかについては「核兵器はやめるべきだが、通常兵器は必要」という意見でした。
 他の方にも聞きましたが、アメリカでは平和への意識が、日本に比べ薄いように感じました。敗戦国である日本とアイデンティティーの違いを感じました。また、自己主張や個を尊重するアメリカらしく、平和に対しても、自分の立場からの見方や意見が強いように感じ、和を大切にする日本人としては、自分勝手でバラバラな感じさえしました。しかし、そこが人種のるつぼであるアメリカであり、日本では理解しにくい感覚なのかもしれません。
 僕はあらためて、日本人の和の心や感性、国民みんなが、強く世界平和を望み、武器を捨てることを願っている、その意識の高さはすばらしいと思いました。最近、日本は、衰退しているなんて言われますが、とんでもないと思います!
 「日本は、世界に誇れる国である」と強く感じました。

工藤 芙紗美  (長野日大中学3年・長野市)

 私はアメリカ人に憧れている。勝手な思い込みかもしれないが、アメリカ人の、特に女性は長いブロンドヘアでまつげが長く、すらっとしている。積極性があり、陽気で素直というイメージだ。私にはない容姿や性格をうらやましいと思う。
 では、アメリカ人は日本人にどんな印象を持っているのだろうか。実は、日本の文化や伝統に限らず、日本人の容姿に憧れるアメリカ人もいるようだ。
 私が取材した中では「日本人の黒髪はうらやましい。とても清楚(せいそ)な感じがする」「日本人は凛(りん)としていて控えめなイメージがある」との声があった。なろうと思ってもなれない。お互いそんな存在なのかもしれない。
 その一方、ガールスカウトのメーガンさん(15)は「今の日本人はアメリカ人のようだ」と話した。「日本の女性は髪や目の色まで変え、私たちに近い顔をしている」と。多分、テレビなどで見る、ギャルと呼ばれる子たちのことを言っているのだろう。確かに、ここまで髪を染め、カラーコンタクトやつけまつげで自分でないほどにまで変化する女性は、アメリカではほとんど見かけなかった。
 自分の持っていないものに憧れ、それに少しでも近づこうとする。日本人の一部はそう変わりつつあるが、アメリカ人もそんなふうに変化していくのだろうか。そして、グローバル化が進む中、国ごとによる人の見た目の違いもなくなっていくのだろうか。とても興味深い。

 「9・11」と聞いて、恐ろしいと感じますか。2001年9月11日、イスラム過激派にハイジャックされた飛行機がニューヨークの世界貿易センタービルに激突させた。このぐらいの知識であろう。
 ビルの中から救助された人もいたが、2500人超が死亡。事故で駆けつけた警察官や消防隊員もビル崩壊という二次災害でで大勢亡くなった。日本人の死者もいた。警察犬も死んだし、妊婦と一緒におなかの赤ちゃんも生まれる前に亡くなってしまった切ない出来事もあった。
 私たちが取材したトリビュートWTCビジターセンターでは、壁一面に亡くなった一人一人の写真が展示されていた。遺族らでつくる家族会会長のリー・イエルピさんは「犠牲者を何人と数で表すのではなく、この写真の多さで見方を変えて感じてほしい」と語った。
 現場跡地にできた「9・11記念博物館」は、飛行機が激突し曲がったビルの鉄骨、けがをした男性の写真、煙や粉砕物が広がる動画、警察無線の声などで、当時が再現されている。
 9.11。この出来事はまるで戦争だ。戦争が日本で二度と起きてはならないのと同時に、このような出来事も二度と起きてはならない。世界平和を求め、過去を大切に受け止め、しっかり未来に伝えていく必要がある。それが世界平和への近道だろう。

市ノ瀬 椋  (飯山高校2年・飯山市)

 私は黒人の音楽、ファッション、身体能力にとても憧れている。オバマ大統領も黒人で、オリンピックで活躍する黒人選手も多い。そんなすばらしい 人種がなぜ差別を受けるのか。とてもデリケートな問題だが、首都ワシントンで取材を試みた。
 リンカーン記念館では、パワーズさんとデイルさんの20代女性2人に取材した。「自分たちにはあまり差別はなかったが、親にはあった。南部で差 別がひどかったため、カリフォルニアに移住した。家族の絆と神を信じて乗り越えた」と語った。
 65歳のグリーンさんは「差別で仕事もまともにできず、水飲み場も別々。バスは一番後ろ。白人が来たら譲らなければいけなかった」と振り返る。 大学は行けなかったが、「自分の人種に誇りを持っている」と語った。
 連邦議会議事堂では、黒人の地位向上に取り組むドナ・エドワーズ下院議員と面会。エドワーズ議員は「差別はあまりなかった。だが大学に入って寮 に住むとき、白人の学生と同じ部屋になったが、一緒に住んでくれなかった」と打ち明けた。
 軍人の父と一緒に世界を旅する中でさまざまな人種と関わったといい、「自分が自分のままであることを信じ、本などを読んで差別を克服した。人と 人同士がもっと知り合うことが大事だ」と話した。
 取材では、語りたくないと背を向けた人もいた。黒人差別を取材することは、それ自体が差別的な行動なのかもしれない。
 その一方、取材に協力してくれた人は必ず、「自分を信じる、黒人という人種に誇りを持っている」と語った。さまざまな苦難を乗り越えたからこそ の言葉なのだろう。
 そして、取材に背を向けた人たちこそ、差別の根強さを無言で語ってくれたのだと思う。

 私はブラックミュージックが大好きだ。黒人発祥の音楽は、ゴスペル、ブルース、ソウル、ジャズ、R&Bなどがあるが、一番好きなのはヒップホップで俗に言うラップです。ラップが生まれたニューヨークなどで黒人の人々を取材した。
 大リーグ・メッツの試合を見たシティフィールドで30代の黒人男性は「ラップはメッセージ性の強い音楽で好きだ」と話した。ドライブインで、子連れの30代のチャーリーさんは「R&Bのようなゆっくりした音楽が好きだ。ラップははやりすたりがある」。ワシントンのホテル従業員ザックさん(56)は「ジャズが好きだ」と語った。それぞれのとらえ方があった。
 取材の中で、「日本のラップはアメリカと違ってルーツを知らずにやっていることが多い」という米国出身の人以外の言葉が気になった。ラップが好きな若者は「かっこいいから好き」「そのファッションが好き」などと、かっこよさをとらえている。だが、実際ラップの詞には、黒人の社会問題や自分の人生などいろいろな表現があり、テレビでは割愛されてしまうこともある。「メッセージ性が強い」と語った男性がいたが、私も黒人のいろいろな思いが込められているのではと思う。
 もっと時間をかけて取材ができたら、音楽を通して会話が弾み深いコミュニケーションがとれたのではないかとは思う。ラップに限らず自分が好きな音楽について会話する時は、誰もが笑顔になる。取材に応じてくれた人の中で、ラップが嫌いな人はいなかった。みんな良い表情だった。好きな音楽を米国で取材できたことはすばらしい経験だった。ブラックミュージックを生み出した思いやラップに込められたメッセージ。ただかっこいいだけでなく黒人が生んだ歴史だと思えた。

宮入 栞  (長野日大中2年・長野市)

 共同通信ニューヨーク支局のスコット・ディクソンさん(29)にアメリカの環境破壊、環境対策を取材した。世界の中心的存在のアメリカに、節約しているイメージが無かったからだ。「ニューヨークは大都会だから大気汚染などがあり、人々はなるべく自動車を使わず、公共交通機関を使う」とスコットさん。日本と似た対策だと分かった。
 しかし、スコットさんは「これはニューヨークだからであって、ニューヨーク以外のほとんどの地域にそのような対策はない。田舎で環境破壊自体を感じないからだ」と話した。環境問題は地球に住む全員で考えていくべきことだ。だが、実際に環境破壊を感じていなければ、対策しようという気になりにくいことは納得できた。
 ワシントンでは、アメリカン大の日本人学生、石橋未妃さん(22)に取材した。石橋さんは「大学内で環境対策は行われている。しかし、それに理解がある人は半数ほど、理解が無い人々は環境破壊を信じていない」。世界で進む今の環境破壊の実情を知らない人の多さに驚いた。
 環境破壊は今この時も進行している。だからこそ、そのような人への働き掛けが大切になってくるのではないか。

 ニューヨークを訪れた最初の日、国連本部を訪問した。国連の敷地はどこの国にも属さない国際的な領域で、郵便や警備も特別な体制になっている。建物の中には、加盟国からのたくさんの贈り物があらゆる場所にあった。また、会議場が多く、安全保障や経済発展、人権などについて、連日議論が交わされている。
 国連本部ではどんな人が働いているのだろうか。私たちを案内してくれた韓国出身で国連スタッフのセジュンさんは「各国の代表としての国連外交官のほか、国連の活動にはさまざまな分野の人が必要で、各分野のプロが働いている」と話した。
 どうやったら、国連の職員になれるのか。いろいろな方法があるが、セジュンさんは「基本的に年に1度ある国連職員採用試験YPPに受かれば国連で働ける」と教えてくれた。しかし、日本人の国連職員は少なく、国際専門職は150人ほど。これは国際専門職全体の数パーセントにすぎないそうだ。
 セジュンさんは「日本は国連資金の11%を負担している。その割合にしては、国連で働く日本人の数は少ない。もっと多くの日本人が働いてもよいと思う」と言う。確かに私が訪れたときも、たくさんの職員が廊下を通る中、日本人は見かけなかった。
 このままでは、日本は資金を提供しているだけになってしまう。もっと多くの日本人が国連で働き、発言することで日本の意見も取り入れていってほしい。世界をまとめ、世界の未来を決める国連。英語をはじめとする語学の壁は高いが、私も国連職員という仕事に興味を持った。国連への興味と関心を同世代の人たちに持ってもらえればいいと思った。

南河 凜  (依田窪南部中2年・長和町)

 アメリカでなにより私が強く感じたのは、どこでもいつでも音楽が聞こえてきたことだ。公園でギター片手に歌う人、美術館前で楽器を演奏している人、鼻歌交じりに買い物をしている人…。周囲はそれを不思議だとも変だと思わず過ごしていた。受け入れているのだ。
 日本では人並み外れた行動をすることに抵抗がある人が多いような気がする。同じような人、ことに安心感を抱き、他人にどう見られているかを気にする。それに比べて、多民族国家のアメリカはいろいろな人がいるのが当たり前で、自分と違った人やことに慣れている。他人の言動が気にならない、他人にどう思われているのかも気にしないように見えた。
 ニューヨーク・セントラルパークで歌っている人が「Everybody!」と呼び掛けたら、通りがかりの人が歌い始めた。日本で見られない光景に驚き、音楽について8人に取材した。
 アナ・マイティンさん(70)は「ディズニー音楽を聞くと、6歳のころを思い出す」。ベンさん(56)は「音楽は心の平穏をもたらす」と言った。好きな音楽は、4人が「ゴスペル」「キリスト教の音楽」と答えた。私は気付いた。日ごろ教会で歌っていれば、「歌おう」と言われて躊躇(ちゅうちょ)しないのでは、と。
 ワシントンで出会った教会歌唱隊の経験があるクリス・ペリーさん(59)は「音楽は楽しい、幸せ、踊りたい、歌いたいというメッセージを送ってくれる。それは世界共通」。その通りだと思う。感じ方は日本人も変わらないが、感じた後の行動が違う。いたるところで音楽を楽しむ人々から、そんな国民性を感じた。

 私のアメリカの印象。さまざまな民族が暮らしている。食べ物は何でも大きい。陽気な人が多い。ほかにもたくさんある。
 日本はどんな国だろう?意外にも思い浮かばない。アメリカ人に日本について聞いた。「食事や娯楽など日本の文化がアメリカにもたらす影響はたくさんある」と話したのはワシントン在住のビルさん(31)。「東京には行ってみたい。だけど、ニューヨークでもいろいろ圧倒されてしまうので、東京はもっと圧倒されてしまいそう。だから北海道に行ってみたい」という。
 また、沢山の人が「サービスが素晴らしい」と言った。「「礼儀正しい」「アメリカなら1週間かかることを日本なら2、3人でやってくれる」という声もあった。
 ジャスティンくん(10)に「日本ってどんな国?」と聞くと、ひと言「Pretty(プリティー)」。何がどうプリティーなのか。大きなアメリカ大陸に比べ、小さい日本列島を指しているのか。日本の文化や景観を指してプリティーなのか。疑問が残った。
 話を聞いた人は訪れたことはないが、日本に良い印象を持っているようだった。では、日本に住んだことのある人はどうか。ニュースや写真、記事関連のデータを日本の新聞社などに配信している共同通信社で話を聞いた。ワシントン支局のサラ・アンポルスクさんに「アメリカ人に比べて『日本人のここがすごい』と思うことは?」と聞いた。「積極的に働いてやりたいことを熱心にやるところがすごいと思う」と答えた。
 辛口な意見もあった。ニューヨーク支局長の船津さんは「質問しない」「困っている方を見ても見なかったフリをする人がいる」と指摘。確かに。これからの未来、私たち若者が日本をつくっていく柱となっていくだろう。日本の良いところは他国に発信し、他国の良いところは受信できるアンテナのような国にしていきたい。

桜井 美緒  (才教学園中3年・松本市)

 私は昨年広島と長崎に行き、原爆関係の施設で戦争を学んだ。戦後69年となり、戦争経験者がどんどん減少している。その中で、若者の戦争についての知識不足を痛感した。
 私はアメリカでの状況を知りたいと思い、自身の戦争経験を話してくれた日系2世テリー・シマさん(91)に戦争経験者の減少と若者の知識不足をどう思うか聞いた。
 シマさんは「非常に悲しい現実です。けれども、だからこそ私はこのように話す。皆さんが明日をより良くしてくれることを信じて」と語った。その後は「とにかく悲しい…」と繰り返していた。私は話を聞きながら、うなずくことしかできなかった。戦争を経験したことのある人からのみ伝わってくることがあるのだと思った。
 資料館などへ行き、過去について学ぶことも大切だが、直接語ってもらうことに勝ることはない。平和になった国で生まれ育った若者でも忘れてはいけない自国の過去がある。そして、その過去を学び、同じことを繰り返さないようにすることが私たちの世代の仕事だ。直に伝えられる人が少なくなってきた今、若者同士が刺激しあうことも大切だ。日本が平和であり続けるかは私たちにかかっている。

 私は以前、アメリカ・ニューヨークにある障害者のためのサマーキャンプでボランティア活動を1週間したことがある。そこには大勢の生徒が同じくボランティアとして参加していた。大人顔負けの仕事をしながらも皆非常に楽しそうだった。ここで私は、なぜこんなにも多くの中高生が夏休みを1カ月けずってまでボランティア活動を行うのだろう、と疑問に思った。
 調べた結果分かったことは、現在アメリカの多くの大学が入学する生徒を選抜するにあたって、筆記試験の結果だけでなく、参加してきた活動も評価するようになったということだ。これによりボランティア等の社会活動に参加する若者が増えた。しかし、ボランティアというのは本来自発的な活動であるべきもので、この状況は良いことなのだろうか。
 アメリカ人はどのように考えているか知りたくて私は取材をした。元海兵隊のジェームス・ケンドルさんは「若者が社会に貢献する素晴らしい機会となっている。多くの生徒たちにこれからもたくさんの活動に参加してほしい」と語った。また、ジェームスさんには私たちと同年代の子供がいる。父親としての意見をきくと「ティーンエイジャーは非常に自己中心的になってしまう年頃である。例え大学入学のためだとしても、この時期に他人のために働くことは重要な経験となるだろう」と話した。
 それに比べ日本はどうだろうか。中高生といえば部活動や塾、宿題に追われる日々。ボランティア活動をやる暇があるならば、ゲームやパソコンに時間を使いたい人がほとんどだろう。日本の若者はこのままでいいのだろうか。アメリカとすべて同じでなくとも、日本もこのような政策と行った方がよいのではないか、と私は今回の派遣を通して思った。

青木 文奈  (屋代高校2年・長野市)

 国立航空宇宙博物館別館でひときわ目立っていたのは、1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆を落としたB29爆撃機エノラ・ゲイだ。おそらくあの時代にもてる全ての技術を最大限まで利用し、何度も何度も改良を重ねてできあがったのがこの飛行機なのだろう。周りが映り込むほど磨き上げられた銀色の機体は、米国の勝ち戦を誇らしげに物語っているようだ。
 半年間ガイドをしているというエリック・プッシュマンさんは「核兵器はなければいいと誰もが思うが、世界には良くないことを考える人もいる」とし、「私たちはそんな人たちに立ち向かっていくべきだ」と力強く語った。海外の学校で、広島・長崎の被害の大きさや、原爆症はほとんど学ばないという課題も教えてくれた。
 当時は現代のような情報社会とは違い、インターネットも存在しなかったため、簡単に原爆の影響を調べられなかったそうだ。今では放射能が人体に与える影響も研究されているが、70年前はレントゲンをとることでも放射線を浴びるということすら分かっていなかった。
 エリックさんのほかにも来館していた何人かに話を聞いたが、全員が、原爆を落とさなければ戦争は長引き、さらに多くの人が亡くなったのではないか、という意見だった。ただ、「今後、核兵器は使ってはいけない」と口をそろえた。エリックさんも「戦争は大嫌い。もう誰にも経験してほしくない」と話した。
 エノラ・ゲイを戦争を終結させた存在と伝えてほしくない。多くの命を一瞬に奪った原爆を投下した負の遺産として後世に伝えてほしい。来年で原爆投下から70年。被爆者は年々少なくなってきている。原爆の悲劇を忘れてしまった時、あの惨禍は繰り返されるだろう。そうならないためにも、国境を越え、世代を越えて互いの声に耳を傾けていくことが大切ではないだろうか。

 東京電力福島第1原発事故から、私はずっと原子力発電について考えてきた。今回取材したマンスフィールド財団もこの問題に興味を持ち、活動している。財団はワシントンや東京に事務局を持ち、米国とアジア各国の関係と理解を深めることを目的に、出版活動や交流事業にを進めている。駐日大使も務めたマイク・マンスフィールド氏の功績を称えて1983年に創設された。
 日本では東京電力福島第1原発事故を受けて、多くの場所で脱原発を求める声が上がる。長野県内各地でもデモや集会が行われている。
 米国では核の平和利用、原発についてどう考えられているのか。理事長のフランク・ジャヌージさんは「エネルギーを確保する大切な方法の一つ。米国と日本とで、原発の使い方や規制を共有していくべきだ」と話した。また、副理事長のデビッド・ボーリングさんは、約30%あった日本国内の原発からの電力供給が福島原発事故でゼロになったとし、「理屈で原発は必要と考えているが、心では要らないと思う人が多いのでは」という見方を示した。
 核燃料は1キロから発生するエネルギーが石炭約3000トンに匹敵する高密度なエネルギー源で、補給、輸送、貯蔵のしやすさについては非常に優れている。燃料費も安く、地球温暖化の心配もない。こう聞けば、原発は理想的な発電システムだ。しかし、人体に重大な被害を及ぼす放射性廃棄物の処理が大きな問題として残されている。
 ボーリング副理事長が言うように、今の日本では心の問題が勝っていて、理屈が追いついていないのかもしれない。しかし、福島の事故から何も変わらないまま原発を使い続けてよいのだろうか。完璧なエネルギーを見つけるのはとても難しい。だがそれを見つけるために研究を進め、努力することが私たちがこれからすべきことなのだと思う。

清水 千花  (上田高校2年・青木村)

 ワシントン取材の初日、ドナ・エドワーズ下院議員と面会した。エドワーズ下院議員は黒人で、女性差別・人種差別の撤廃と投票権登録の推進を主な活動にしている。私は何度も驚かされた。「人種のサラダボウル」と呼ばれるこの国に、いまだ差別が残っていたのか。投票権は登録しないと得られないのか、と。
 エドワーズ下院議員の部屋は、予想外にアットホームな雰囲気だった。棚の上には大きなぬいぐるみ、応接用の机上には花や置物、そして机には息子さんと思われる写真。赤いワンピースにヒールを履いてさっそうと現れた彼女は、アメリカの最前線で活躍するキャリアウーマンだった。
 私は女性の地位向上のため、何をしてきたのかと尋ねた。「チャイルドケアや、男女で同じ賃金が広まるよう活動してきた」と答えてくれた。自身が大学時に経験した人種差別のことも話してくれた。彼女は「自分が自分であることが一番大切。言葉や習慣なんて関係なく、壁は克服できる」と語った。これを聞いて私は、理屈より行動を起こしてみることが大事な時があるのだな、と強く思った。

 ニューヨークの2日目、「トリビュートWTCビジターセンター」と「9・11記念博物館(メモリアル・ミュージアム)」を訪れた。トリビュートWTCビジターセンターでは、犠牲になった人々の写真や探し人の張り紙、そして多くの千羽鶴を見た。ほかにもボロボロの消防服や履かれていた靴を見ながら、私は「数字上の死」ではなく「個々の人間の死」を強く感じた。
 9・11記念博物館には、現場の悲惨さを物語るものが数多く展示されていた。大きく曲がったビルの鉄骨、とけた階段、柱の跡。いったいどれほどすさまじい衝撃だったのだろうか。途方もない話である。取材するチャンスを得て、近くにいたアイルランドのルーシェインさん(32)に、ここに来てどう思ったのか尋ねてみた。すると彼女は、「すごく魂に訴えかけるものがあった。残しておくというのはいいことだ」と答えてくれた。私はこれを聞いてとてもうれしかった。同じことを思っていたからである。年齢も育った環境も違う人同士でも、共有できるものはいくらでもあると希望を見出した取材であった。

井出 七夕  (蓼科高校2年・東御市)

 驚きを隠せなかったのがリンカーン像。ワシントンのリンカーン記念館の像は、ワシントン記念塔をまっすぐ見つめていた。南北戦争前のピリピリ感と戦後の安心感の両方が伝わる大きな像だった。そして有名な〝government of the people,by the people,for the people〟(人民の、人民による、人民のための政治)という演説文が刻まれているのを見て鳥肌が立った。
 像を見ていると、なぜこれほど大きいのかと不思議に思い、人気度や影響力などが関連しているのかなと思った。そこで、ワシントン滞在中に好きな歴代の大統領を米国人に調査した。
 ワシントン、ブッシュ、ケネディらも挙がったが、最も人気だったのはリンカーンだった。なぜこんなにリンカーンは人気なのか。共同通信ワシントン支局長の木下英臣さんに取材したところ、「リンカーンは米国の政治家には父のような存在。困った時、悩んだ時、リンカーン記念館を訪れる人が多い」と話した。
 調査した中で、「リンカーンは貧しく、失敗もしたが努力して、南北戦争後にアメリカを一つの国にまとめたから」と評価する声が多かった。リンカーンは今現在の人々にも影響を与えているんだなと思った。
 私自身も、今まで感じたことのないほど像に圧倒された。リンカーンの存在の大きさを知り、諦めかけていた目標にチャレンジしよう、そして、大きな壁に突き当たっても乗り越えよう…。リンカーンは私にそう思わせてくれた。

 私は、中学3年の文化祭で環境問題について英語でスピーチしたことをきっかけに環境問題について興味を持つようになりました。環境問題について最初に告発したレイチェル・カーソン氏の生まれたアメリカで、環境問題についてどう思っているのか、取り組んでいることについて取材しました。
 アメリカで一番驚いたことは、州によってごみの分別意識が違うことです。ニューヨークよりもワシントンの方がポイ捨てが少なくリサイクルできるものを一つにまとめたりするなどの工夫があることが分かりました。
 アメリカの環境問題については、オバマ大統領が温暖化について深刻に考え始めているが、米国民は温暖化を信じていない人が多く、石炭や石油を採掘している労働者の多くは温暖化防止運動に批判の声が挙がっている現状である。このような現状に対して、マンスフィールド財団の役員は「温暖化防止運動での賛否はさまざまで、温暖化防止運動を推進するには日本がアメリカと温暖化について議論することが大切だ」と語った。その時、率直にもっと英語が話せたら、アメリカの人と温暖化について会話ができるのになと思いました。
 アメリカの環境への取り組みについて、ワシントンに近いアーリントンで50代女性のジャネットさんに取材したところ「ハイブリッド車の利用者が増え、ハイブリッド車を補充するパーキングエリアも増えてきている」と話した。他にも、LED電球を使用したり、落葉を肥料にするなどの取り組みも知ることができました。ホテル内でも、タオルの再利用を通して、タオルを洗う時に使う水の量を減らすなどの配慮を知りました。
 今回の取材を通して、日本にはないアメリカ独自の環境問題対策を知ることができました。いろいろな環境問題対策を世界中に広めて、共有していくことが大事なんだと感じました。今度、海外へ行く時はもう少し英語を勉強して、自ら温暖化防止運動を推進できるようにしたいなと思いました。

吉沢 華蓮  (岩村田高校2年・小諸市)

 「憧れの人はいても、その人になろうと服装をまねしたりしない。近づこうと自分を磨きはするわ、少なくとも私は」。意気揚々と語る少女に私は感動を覚えた。
 米国のファッション意識について、交流したガールスカウトら20人のティーンエージャーに取材した。彼女らは自分を相手にアピールするのが得意 なようだ。20人のうち15人から「流行は知らない」「周りのファッションには興味がない」という返答をもらった。「自分を知って!」という気持ちを強く感じた。
 そして全員が口にしていたキーワードが「着心地」「スポーティ」だった。
 大リーグのニューヨーク・メッツの試合を見た球場で、エルサさん(19)は「着心地プラス肌の質に合うもの」が服選びの基準と言った。見た目より快適に過ごせる衣類を作る会社が多いという。
 そして「スポーティ」。ニューヨークやワシントンでは、ジョギングやウオーキングをする人が多かった。ガールスカウトのエイミーさん(15)もよくスポーツをするといい、「カラーショートパンツとショート丈のジャージーが好き」だそう。理由では「すぐ走り出せる」(14歳のベイリーさん)というのがあった。
 肥満大国とも言われるアメリカ。その中に入ってみると、少女たちは「自分磨き」のために服を選んでいるようだ。

 「高い一点物はまだ必要ない、シンプルで安い方が自分が際立つ」そう語るキャロライン(15)は、親とのショッピングが楽しみの一つだそうだ。年齢層をティーン(13〜19)に絞ったアメリカ滞在中の取材では、「コストパフォーマンス」(コスパ)に注目してみた。
 もともと、プラダという高級ブランド店に興味を持ち、ニューヨークにも関心を持った私だが、「あなたの好きなブランドはなんですか?」という質問に対して、「プラダ」という答えはもらえなかった。もちろん、高額で手が出せないという事もあるだろうが、他にも理由があると踏んで踏み込んだ質問もしてみた。
 ケイト(15)は「高いものを買うより、自分の趣味にあったものを何点も買った方が得」。サラ(18)は「安い方が体に合う、それに大学に行きたいからそこまでお金をかけられない」。キャロライン(15)のように家族とのショッピングを楽しむためブランドは買わないという人…。たくさんの意見をもらった。
 その中でも特に印象的だったのが、テイラー(18)さんの「高い服を着たからといって何も威張れない、フォーエバー21(ニューヨーク発祥の低コストブランド)があるし、何も困らない」というものだ。
 ブランド品は〝まとう武装〟だと思っていたが、現地の人々はそうは感じていないようだ。たくさんの服の中で、限られた予算の中でどれだけ自分をアピールできるか、ニューヨーク、ワシントンD.Cのティーンたちはブランド品よりも自分を際立たせることができる服に魅力を感じるようだ。とても興味深く、ますますファッションに引き込まれそうだ。

水口 竜吉  (梓川中学2年・松本市)

 「I don’t know(私には分からない)」。この言葉が響き、会場は沈黙した。ワシントンで私が「戦争を止めるために重要なことは」と、日系2世の元軍人テリー・シマ氏(91)に尋ねた時のことだ。
 テリー氏は太平洋戦争で米国が日系人でつくる「442連隊戦闘団」に加わった。米国内で当時、日系人は敵国の協力者として見られていたため、忠誠心を示す必要があった。連隊は戦争で成果を挙げたが、連隊の戦死者が多かった。日本の軍隊とも戦い、テリー氏と数名の日系2世の軍人たちは日本軍の捕虜となり、日系2世の1人は日本兵に銃を向けられた。
 日本兵は撃たずにこう尋ねた。「顔は日本人なのに、なぜ日本人と戦うのか」。日系2世は「アメリカ人と同じ所で生まれ、同じような生活をしてきたのだ。」と説明した。その後、その日本軍とテリー氏たちは一緒に缶詰などを食べたという。
 戦後は、日本のために日系人も汗を流した。この事に昭和天皇はとても感謝したという。これにテリー氏は、「日系人たちにとって、これはとてもうれしく感じた」と語った。敵だった日本人と日系人が、強くきずなで結ばれた瞬間だったのだ。
 今回の派遣で、さまざまな人にテリー氏へと同じ質問を聞いた。最も心に残ったのは、テリー氏の答えだ。戦争の重さ、戦争をなくすことはたやすくないことをあらためて強く感じた。
 テリー氏は「将来を担う世代が『自分たちに何ができるんだろう』と、自問してほしい」と私たちに希望を託した。自分の心に強く響いた。
 伝えてくれたことをしっかり受け止め、多くの人に伝えたい。そして、共に平和について考えていきたい。

 2001年9月11日、同時多発テロで破壊されたニューヨーク市のツインタワーは、「9.11記念碑」として2つの人工池になっている。池を取り囲む青銅板には犠牲者たちの名前が刻まれていた。その中には消防士として救助にむかい、命を落としたジョナサンという名前がある。
 今回ジョナサンの父である、リー・イエルピさんに私は会った。イエルピさんが中心に「9.11家族会」が運営されている、トリビュートWTCビジターセンターには、多くの犠牲者の写真などが展示されていた。
 イエルピさんは「写真は多くを伝える」と話し、写真の中のジョナサンも紹介した。イエルピさんの瞳が涙でにじんでいるように見えた。「私はテロで息子を殺された。しかし、このことを憎しむことはない。憎しみがテロを引き起こしたのだから」と続けた。
 そして、イエルピさんは「知識のなさや、洗脳により憎しみが生まれ、テロや戦争が起こる。アルカイダは、イスラム過激派の一部だが、イスラム教の人々をすべて、悪いと決めつけてはならない。われわれは区別していかなければならないのだ。地球に醜いものはない。中東は美しい国だ」と強く訴えかけた。テロとの戦いとして起きた、アフガニスタン紛争についても、「アフガニスタンへの攻撃を止めるべきだった」と話した。
 9.11でも罪のない多くの人々が犠牲になったが、この紛争でも同じことが起きてしまった。米国の学校では、9.11について全く教育されていないという。いまだにテロの真相は明らかにされていないのだ。負の連鎖を止めるためにも、イエルピさんのように私たち一人ひとりが、正しい知識を伝えていかなければならないだろう。記念碑に名前が刻まれている犠牲者、そして名前が刻まれていないアフガニスタン紛争の犠牲者が、安らかに眠れるよう、私は祈った。

米川 沙彩  (丘中学2年・塩尻市)

 ワシントン、ニューヨークは、世界中から富や優秀な人材が集中し、24時間休むことなく動き続ける「地球の心臓」というのが私のイメージだ。では逆に、米国人は日本にどんなイメージを持っているのか。
 最初に聞いた共同通信ワシントン支局で働くサラさんは「日本人はプライドがあり、気遣う。とても熱心に働く」と答えた。日本人の私としても、納得できた。だが、「電車の時間が正確」と言われた時は少し驚いた。日本人にとって電車やバスが時間通りにくることは当たり前。それが海外では違って受け止められていると気付かされた。
 楽しく交流したガールスカウトの同年代の子たちが口をそろえて言った日本のイメージは「アニメ」。リンジィーさん(15)は「アニメが大好き で、特に進撃の巨人やセーラームーン、ナルト、ジブリが好み」。隣にいたアンナさんも「ジブリ作品をたくさん知っている」と答えてくれた。
 やはり、日本の漫画やアニメ文化はアメリカに浸透していると実感できた。聞いてみないと分からない日本の良さもあらためて知ることができた。

 ニューヨークにある「トリュビュートWTCビジターセンター」は、2001年に起きた同時多発テロで亡くなられた方々のために造られた建物だ。
 私はここで、このテロで消防士だった息子さんを亡くしたリー・イエルピさんに会った。リーさんは「誰か殺されたら、その殺した人を簡単に嫌いになれる。でも、私は、人に話してその憎しみを消す。なぜなら、小さな憎しみが積み重なってこのようなことが起きたから」と語った。
 展示されている中に、「ハート・オブ・スチール」という置物があった。これは、その名の通り、鉄製のハート形の置物だが、真ん中にひびが入っている。私はこれを見て、2つに割れているな、と思った。イエルピさんは「ブロークン・ハート」といったん紹介してくれた。私は、テロの結果、だれかの恋や愛情が引き裂かれ、失われたことを表現しているように見えた。しかし、これに続けて、イエルピさんは「これは『割れつつあるだけではなく、割れたハートが直ってきている』とも見えるのです」と説明した。
 「きっとこれはこうだろう」。そんなふうに決め付けることが多い私自身に気づかされた。物事を多方面から見ることで、新しい物が見えてくるのだと、イエルピさんから学んだ。
 そして、最後イエルピさんからこんな言葉を頂いた。「未来は、みんなの手の中にある」。きっとこれは、私たちで未来を良くすることも悪くすることもできるんだというメッセージなんだと受け取った。この事件は何年たっても、多くのものを語りかけるであろうと確信した。

山村 未悠  (長峰中学3年・茅野市)

 アメリカで私が一番取材したかったのは花店だった。ニューヨーク2日目にメトロポリタン美術館近くの「ウィンザー花店」を取材できた。オーナーのサムさんは気さくな人で、働いている人みんなが楽しそうに花束を作っていた。原色の花が多く、アメリカではバラが一番人気だそうだ。
 実際、ホテルなどにいた人に「何の花が一番好きですか?」と聞いたところ、ほとんどの人が「ローズ」と答えた。
 サムさんは「店で花を置く場所を毎日変える。花束を作る時は、客の意見をしっかり聞きながらも自分の好みでデザインする」と話した。「あなたにとって花とは何か」と聞いた。答えは「美しいもの。みんなが素晴らしいと思うもの」と答えてくれた。花への思いは日本とそんなに変わらないと感じた。花屋で働いている人はみんな花が好きで、花に囲まれている人は幸せそうだった。
 ほかの市民には「どんな時に花を贈るか」と質問した。誕生日やお見舞い、感謝の気持ちを伝える時などが挙がった。ビルさんは「季節の変わり目にガールフレンドに贈る」と言った。季節の変わり目なんて日本ではあまり考えられない。少し日本と違うと思った。
 ワシントンのスーパーマーケットの花のコーナーには、日本よりもたくさんの種類の花があった。すでに花束になっている物も置いてあった。日本のスーパーにはこんなにたくさんの花は置いていないので、そこも違うなと思った。私は、もっと日本人もアメリカの人のように花を贈ることが多くなればいいと思う。花をもらってうれしいと思う人は多いと思うし、もっと普段の生活の中に花を取り入れていってほしい。

 アメリカに行き、興味を持ったことは同性婚についてだ。私のイメージは、アメリカでは同性婚をみんな認めていると思っていた。日本は同性婚は法律的には認めていない。だが、東京ディズニーランド内のホテルが同性結婚を受け付けると発表し、すでに同性同士の結婚式が行われている。
 アメリカで同性婚を許可している地域は、ワシントンD.Cと19州あり、禁止している地域は6州ある。私が取材した中で、同性婚について反対の意見を言っていたのは、10人中1人だけだった。バージニア州の女性で、「同性婚についてどう思っていますか?」と質問すると、「反対。その考え方は神の教えに背く。神の教えに背いていると神は私たちに何か罰を与えてくるだろう。私は同性婚は好きじゃない」と答えてくれた。
 ほかにも賛成といった意見の中にも、「問題はないと思うが、教会での結婚はやめてほしい。そこまでして結婚する必要はないと思う」といった意見もあった。反対する人や、あまり良く思っていない人は宗教の問題も関わっているということが分かった。
 賛成した人の意見の多くは、「自分は違うが、別にいいと思う。お互いが愛し合っているのならばいいと」といった意見がほとんどだった。私は最初、アメリカは自由の国だから同性婚についてももっとみんな受け入れていると思っていた。でも、取材してみて、「自分には関係ない」「法律的に決まってるのならそれでいいんじゃないか」といった意見もあり、アメリカでも反対している人やあまりよく思っていない人もいるんだなと思った。
 取材した中にロンドンから来た女性がいた。イギリスでは同性婚は認められているそうだ。でもその女性は「私はいいと思っているけれど、その考えに反対している人はたくさんいる」と言っていた。
 私は同性婚について賛成している。絶対に、男の人と女の人が結婚しなければならないなんて決まりはないし、お互いがひかれあって愛し合っているのならいいと思う。それに、10人中9人が同性婚について賛成していると言っていたので、もっとそういう考えが世界中に広がって行けばいいと思う。でも、もし自分がキリスト教の信者だったら、と考えると「神の教えに背いてはいけない」となってしまうのだろうか。

小沢 梨々香  (豊丘中学1年・豊丘村)

 曲がった鉄骨、えぐりとられたコンクリートの跡、ぼろぼろな階段。それから遺族のみなさんに借りたというぎせい者のたくさんの写真に、行方不明の家族を探すはり紙。トリビュートWTCビジターセンターや9・11記念博物館を見て、胸が痛くなった。事件の2週間前に生まれ、このことについてほとんど知らないた私は、戦争のようにおそろしい出来事だったと知った。
 WTCビジターセンターでは、9・11家族会の会長で、消防士をしていた息子さんを9・11で亡くされたリー・イエルピさんの話を聞いた。事前学習として読んだ「奇跡はつばさに乗って」(源和子著)にも書かれていた方だと思うと、会えて光栄だった。2年前に広島の平和式典に参加し、原爆 資料館でサダコ鶴を見ていただけに、ニューヨークにあるサダコ鶴を必ず見ると決めていた。そのサダコ鶴の前でイエルピさんの話を聞いた。
 サダコ鶴は、広島の原爆投下でひ爆し、白血病で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴。平和のシンボルとして、2007年に禎子さんの兄がニューヨークに届けた。1センチ四方くらいのとても小さいもので、赤色の薬の包み紙でできていた。小さく細く折られたつるにたくさんの願いがこめられているとあらためて感心した。
 イエルピさんは「彼女の平和の望みをかなえる。明日をいい日にしよう。明日をいい日にするのは君たちだ」と話した。
 現場跡地(グラウンド・ゼロ)にはぎせい者の名前がほられている。日本人の名前もあった。たくさんの命がぎせいになった悲さんな出来事を忘れないために、センターや博物館などはある。イエルピさんなどが伝えてくれたテロの悲さんさを、私たちが多くの人に伝えなければいけないと思った。そして、禎子さんの鶴の思いが世界中の人に届くように、私は毎年8月に鶴を折り続けたい。

 エノラ・ゲイを初めて見たとき、想像していた大きさより大きくておどろいた。それに、機体がきれいすぎてこれが原爆の投下に使われた飛行機だと思うと、違和感があった。ワシントンの国立航空宇宙博物館別館でのことだ。
 エノラ・ゲイの前で広島・長崎に原爆を落としたことについて、ワシントンDC在住のリチャード・ミッチェルさん(82)、アルゼンチン在住のアンディース・グランデさん(16)に取材した。原爆のことについて、「アルゼンチンでは、中学1年生のときに原爆について習う。でも、原爆を落として第2次世界大戦が終わったということだけで、その後のことは習わない」と教育について話してくれた。
 原爆のひ害はひどいものなのに、落としたということだけで、ひ害が教えられていないのは残念だと思った。私はここに来て、聞いてみたい質問があった。それは、「あなたがトルーマン大統領だったら、原爆を落としますか、落としませんか」という質問だ。この質問をリチャード・ミッチェルさんにしてみると、「I don’t know! I don’t know!」と返ってきた。
 やはり難しい質問だったと感じた。色々な考え方があるけれど、原爆投下でおこったひ害を知る必要があると私は思う。
 教育のちがいや歴史のちがいがあるなかで、そのちがいを理解した上で正しい判断をすることが、平和へとつながっていくのではないかと思う。
 この取材で得たものを大切にして、これからの将来のことも考えたいと思った。

牛丸 瑛理香  (松本秀峰中等教育学校4年・松本市)

 7月28日、ニューヨークの国連本部を訪ねた。建物内には加盟各国の寄贈品があり、それぞれ意味がある。スウェーデンが贈った経済社会理事会の会議室の天井には特徴があった。傍聴席から見て奥にある発言席の上には天井の構造物があるが傍聴席側にはないのだ。あえて未完にし、「世界が抱える問題の解決は、いつまでもたっても終わらない」というメッセージが込められている。
 国連では世界の平和と安全、開発、人権擁護を3つの柱としている。安全保障理事会以外の国連の決議には拘束力がないため政治問題の解決には課題が多いが、人道支援は成果が上がっているそうだ。
 食糧問題では国連機関のWFP(世界食糧計画)が、途上国の学校で、赤いプラスチック製コップで生徒にご飯を支給している。これにより学校に通う子どもの数も増えたという。国連職員の高沢麻紀さん(38)は「今はWFPが支援しているが、今後は支給を地元プログラムに組み込み、途上国の自立を目指したい」。食糧を与えるだけでなく、作物の育て方を教えたり種をあげたりしている。
 食糧問題も「いつまでも解決しない」ものかもしれない。自分にできることは、問題を解決するための知識や技術を持った大人になることではないか。そう考えた国連見学だった。

 8月1日、国立航空宇宙博物館別館を見学した。多くの航空機がずらりと並び、今にも動きだしそうな様子だった。異様な黒い姿が人目を引く「ブラックバード」、折りたたみ式の攻撃機「晴嵐」など数々の航空機が展示されていた。「それ」は、日本やドイツといった敗戦国のコーナーの近くにあった。周囲に暗い色の航空機が多い中、銀色の機体は輝いて見えた。広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」だ。周辺を見回して気になったことがある。広島の被害に関する展示がないのだ。それでは原爆が戦争を終わらせた側面ばかりが強調されるように感じた。
 これについて、元アメリカ海軍兵士の祖父と訪れた、アルゼンチン人のアンディース・グロンダさん(16)は「中学生の時に学校で原爆投下について習い、多くの人が亡くなったことは聞いたが、原爆症については詳しいことは習わなかった」と話していた。また、博物館職員のエリック・プッシュマンさん(66)も学校で広島の被害についてあまり習わなかったとした上で、「原爆投下はアメリカ人の中では、妥当だったと考える人が多い。あくまでも仮定だが、もし実際に米軍が日本本土に上陸していたなら、両国とももっと多くの死者を出していたかもしれない、とアメリカ人は考えてしまうのだ」と話してくれた。アメリカで国としての原爆の教育がなされていないのならば、より一層私たち日本人が被害について学び、後世に伝えていかなければならないと感じた。日本とは異なるアメリカ式の考え方を学べて勉強になった。

浅輪 優樹  (松本深志高校2年・松本市)

 私たちが訪れたニューヨークやワシントンのホテルや施設は、冷房が効き過ぎていた。原発事故による電力事情や地球温暖化対策などのため、国全体で節電に取り組む日本と比べ、無駄があると思った。
 米国では、地球温暖化はどう考えられているのか。アメリカにおけるアジアへの理解を深める事を目的に活動し、日米事情について詳しいマンスフィールド財団で話を聞いた。
 アメリカ人の多くは、遠い未来より経済や健康といった身近なことに関心を持つ傾向があるため、地球温暖化が危機的な課題として捉えられていない―と言われた。そんな中、オバマ大統領は環境政策を推進しようとしているが、反対する人が多いそうだ。反対派として挙げられるのは、そもそも気候 変動を信じない人々、石油・石炭に関係した仕事に就いている人々という。
 地球温暖化という世界規模の課題でも、国民の考え方やエネルギー資源への関わりの違いで取り組みに温度差がある。マンスフィールド財団役員のジョシュア・アーチャーさんの話が印象深かった。「地球温暖化対策を重視する日本などが、アメリカを交渉の舞台に乗せ、真剣に議論していくことが大切だ」

 日本では、古くから魚介類をたくさん食べてきたが、最近は若年層を中心に魚離れが起きているという。一方、健康志向が高まる海外では、魚料理を含む日本食が注目されている。魚にとても興味がある私は、ワシントンで魚食事情を調べてみた。
 ワシントンで、和食とアジア料理を出しているすし店「TONO SUSHI」で取材した。日本人板前のシマモトコウセイさんに、店で人気のすしを尋ねたところ「サーモンが人気。日本では握りずしが一般的だが、アメリカ人は巻き物が好きだ」と答えてくれた。店のメニューを見せてもらうと、ほとんどがロール状のすしだった。
 巻き物というと日本ではノリで巻かれているものを想像するが、アメリカではノリが外から見えない巻き方で、ご飯やネタ、アボカドといったものが外側になっている。外側の見た目に焦点が当てられているようだ。
 ガールスカウトの女子中高生たちにも好きな魚について聞く機会があった。サーモンが断然人気のようであったが、マグロやシイラといった声も上がった。
 地元の住民たちが利用するスーパーの鮮魚コーナーも見てみた。夜に行ったため売り場の魚は多くはなかったが、サーモンが多いというのが印象的だった。生の切り身以外にも冷凍、ジャーキー、スモークなどの加工品も並んでいた。アメリカ人にとって、サーモンがなじみ深いものだということをあらためて実感した。他にも、キハダ、タラ、オヒョウ(カレイの仲間)、カニ、ロブスターなどが売られていたが、日本ほど種類は多くなかった。
 アメリカの魚食文化の一端にふれることができたが、アメリカはとても広いので、ほかの地域の様子も知りたくなった。

細田 柊登  (伊那北高校2年・南箕輪村)

 以前から同世代のパキスタンの女性人権活動家マララ・ユスフザイさん(17)に興味を持っていた。マララさんのタリバンの圧力に屈せず、「すべての子どもたちに教育を、学校に通う権利を」と訴え続けている姿勢は多くの人々の共感を呼んだ。2012年10月、下校途中に武装勢力に頭部を撃たれたが奇跡的に命をとりとめ、教育の大切さを訴える活動を続けている。13年7月12日にニューヨークの国連本部で教育の大切さを訴える演説を行った。
 私たちは7月28日、その国連本部を訪れた。マララさんが演説した信託統治理事会議場に入ることができ、彼女の存在に少し近づくことができたようで感動した。
 ガイドを務める高沢麻紀さん(38)は「彼女はすべての女性を勇気づけ、世界中の人々を動かした」とたたえた。共同通信ニューヨーク支局の記者ショーナ・マギーさんはマララさんの演説の聴衆の1人であり、「言葉が力強い。今まで聞いた演説で最も感動的だった。学生もお年寄りも外交官も、多くの人が真剣に聞いていた」と話した。
 国連本部職員のミゲルさん(37)は、教育の不足が紛争などの主因とし、「それは貧困からきている」と述べた。パキスタンでは、貧困により教育を受けられず不満をためた若者が行きつく先が、イスラム過激派の集団となるそうだ。
 この負のスパイラルを断つには、パキスタンを含めた各国の教育を改革する必要がある。マララさんが主張するように、貧富や性別に関係なく平等に教育を受けられるようにすることが、世界平和につながると実感した。
 日本は義務教育制度が整いほぼすべての人が教育を受けられる環境にあるが、それが普通だと思ってしまっている。私たちはその恵まれた環境に感謝すると同時に、教育を受けているからこそできる判断を下し、どんな行動をとるべきなのか考える必要がある。

 私たちは7月31日、ワシントンを訪れ、太平洋戦争中にアメリカで「敵性外国人」とされ自由を奪われ、差別を受けてきた日系2世のマリー・ムラカミさん(87)とテリー・シマさん(91)を取材した。
 ムラカミさんは真珠湾攻撃後に発令された大統領令9066号によりユタ州のトパーズ強制収容所に入れられた。収容所は有刺鉄線に囲まれ管制塔が立ち、部屋は小さくほこりまみれでベッドとストーブしか備えられていなかったため、生活はとても困難だった、と語った。シマさんは戦時中に日系人によって編成された「第442連隊戦闘団」の一員として戦い、同戦闘団がアメリカ政府に忠誠を示すために多くの犠牲を払ったことを語った。戦後は日系人が日本でのGHQの占領政策に関わり、日本が復興し大国として成長するのに大きく貢献したことなどを話した。
 私はこの取材まで、戦中の日系人の苦難の歴史を知らなかった。他の中高生記者も知識のある人は少なかった。そこで、このことをもっと日本で広めるべきではないかとシマさんに尋ねると、「そのような質問をしてくれて光栄。話したことを日本に持って帰って広めてほしい」と答えてくれた。
 さらに、日系人の歴史は、日本からアメリカに移住している日本人にも関係があると考え、取材を重ねた。アメリカに住みガイドの仕事をする日本人の久美子・レスコさん(48)は、過去に日系人が積み上げてきた努力がアメリカで暮らす自分たちの地位改善につながっていると言い、彼らを「日系人の地位向上を目指し、成し遂げようと突き進んでいた。素晴らしい」とたたえた。1988年、当時のレーガン大統領が国のトップとして戦時中の日系人の強制収容が重大な誤りだったと認め、謝罪したことに大きな意味があったとも語った。
 共同通信社ワシントン支局長木下英臣さん(51)はシマさんたちの努力のおかげで日本人も尊敬されていると言い、私たちがシマさんたちから直接話を聞けたのは素晴らしいことだと語った。シマさんたちを含めた、戦時中の苦しい経験をしている方々は高齢化している。私たちはそのような方々の歴史を語り継いでいく義務がある。木下さんは、「君たちが思ったことを記事にすることで日系人の苦難の歴史を伝えることができる」とも言ってくれた。この言葉で、記事にすることの必要性を感じ、この記事を多くの方に読んでもらいたいと思う。

市岡 恵梨  (飯田風越高校2年・松川町)

 マンスフィールド財団はアジアと米国の人々の間で相互理解と協力関係を促進するために設立された。東日本大震災の原発事故をきっかけに、専門家が進めた日米原子力ワーキンググループの研究にも協力した。
 日本の原子力について、財団理事長のフランク・ジャヌージさんは「個人的な意見としてはエネルギーの安定を確保する上では非常に大切。しかし、原子力は事故が起きれば人間の命という犠牲を伴う。使うならば規制し、検査されなければならない。そしてどのように安全を確保するのか日米で考え ていくことが必要だ」と語った。
 また、「理屈では必要と思うが、ハートでは必要ないと思っている人が日本では非常に多い」と語った。原発を稼働させるべきかについて、明確なイエス、ノーは示さなかった。
 米国は今も原発に頼っているが、この日米原子力ワーキンググループは原子力推進でも反対でもない。東日本大震災以降、日本に襲いかかった問題に真摯(しんし)に向き合おうとする熱意をジャヌージさんから感じられた。原子力問題も私たち「若い世代」が鍵になる。どうしていくべきか、もっと自分自身でも考え続けていかなければならないと決意した瞬間だった。

 今回アメリカで訪れた場所の多くは、荷物検査がかかせなかった。国連やトリビュートWTCビジターセンターはもちろんのこと、精密なX線検査が行われており、驚いたのは美術館や博物館までも荷物検査を行っていたことである。ペットボトルを持ち込ませないといった規制について、一人ひとりに時間をかけて行われていた。ここまで検査が厳しくなったのも2001年9月11日の中枢同時テロ以降だという。
 われわれ日本人からすると非常に手間のかかるものだったが、あらためて日本の安全さを実感し、このような検査があるからこそ、私たちは安心して取材ができたのだと感じた。
 自由の国、アメリカ。荷物検査が厳しいという面から見ると不自由に感じてしまうが、やはり「人」の面から見ると日本人とは比べものにならないほど自由だった。共同通信ニューヨーク支局長の船津靖さんは「日本人は面識のない人、例えば電車で隣になった人とは会話をしない」「イライラして急いでいる人が多い」「日本は特殊な国である」と語った。日本人の私からは考えたことさえなかったが、アメリカ人から見た日本人は奥ゆかしい反面、開放的でないことに気付かされた。ニューヨークの街も、取材したアメリカ市民も、出会った人全員がウェルカムな姿勢で受け入れてくれ、そこにアメリカの自由と温かさを感じることができた。遠くに聳(そび)え立つ自由の女神がアメリカらしさを物語っていた。

塚田 奈那  (飯田高校2年・平谷村)

 「エノラ・ゲイにどのような印象をもっていますか?」
 日本人に質問をすれば、ほとんどの人が悪い印象を答えるだろう。1945年8月6日に広島に落とされた原子爆弾は大きな被害をだしたからだとは言うまでもない。では戦勝国のアメリカではどう思われているのだろうか。
 ワシントンの国立航空宇宙博物館別館のエノラ・ゲイの展示場。実物を前に、来場者ツアーの若い男性ガイドは飛行ルートや米国の作戦を話した。最後の方で「日本でたくさんの被害者が出た」とだけ説明した。被害の悲惨さが詳しく説明されず、悲しい気持ちになった。
 ほかの人に印象を聞いた。施設で6カ月間ガイドをしているエリック・プッシュマンさんは「米国人の多くは、核爆弾を落としたことは正しかったと考えている。予想でしかないが、それがなければ、多くのアメリカ兵が日本に攻め入って、両国とも死傷者はより多くなったと思うから」と言う。
 一方、ホワイトハウス前の公園に、反核運動をする女性ピシオットさんがいた。1981年6月以来「反核爆弾」の看板を毎日掲げ続け、今年で33年目にもなったという。「彼女が言っていることはうそ」と話した周りの観光客もいた。でも、ひたすら反核を訴える姿に引かれた。
 米国内でも核兵器については意見が分かれる。被害の悲惨さを忘れず、同じことが起きないようにしたい。一番恐ろしいことは核爆弾による被害の悲惨さを忘れて、もう一度同じことが起こってしまうことだ。次の世代にも伝え続けてまた恐ろしい事件が繰り返すことのないようにしたい。

 世界平和には何が必要なのだろうか。この疑問を解決するためにニューヨークにある国際連合本部に訪れた。
 施設内には、冷戦の象徴だったベルリンの壁の一部や、社会問題について議決や勧告を行う経済社会理事会の会議場、撤去された対人地雷の展示などがある。特に印象的だったのは、「エスコペターラ」と名付られた、ライフル銃をギターに改造した物の展示だ。作者はコロンビアのミュージシャンであり、平和運動家であるセサル・ロペスさん。武器を楽器に改造したので、平和の象徴として展示されていた。
 世界を平和に保つために何が要るかを聞いた。私たちをガイドをしてくださった国連職員の高沢麻紀さん(38)は「安全・開発力・人権を全てを手に入れる事が必要だ。」という。また、外交官であるマック・ジョンさん(30)は「互いの文化を尊重し、思いやることが大切だ。」と強調した。
 先進国と発展途上国、そんな線引きは関係なく、世界平和とは互いに技術を教え合ったり、過去の経験を伝えたり、さまざまな支え合いが大切だと感じた。

登里 祥伍  (開田中学3年・木曽町)

 アメリカでは、憲法で銃を所有する権利を認めている。独立戦争時、アメリカの農民たちは自分たちで銃を手に取りイギリスからの独立を果たした。 だが、銃による殺傷事件が多く発生している。僕たちが訪れたワシントンでも、昨年9月に軍施設で海軍兵士が銃を乱射し、少なくとも13人が死亡した事件があった。銃の所持や規制をどう思うのか、ワシントンで取材した。
 ガールスカウトとの交流でお世話になったベスト加島聡子さんの夫リチャードさんは銃所持に否定的だ。銃は持つべきではないとし、「時代は変わった。特別な場合以外、銃は危険な存在でしかない」と言った。
 保護者の1人ケンパー・ゲイさんは「銃は持つべきだ。憲法で認められている」と肯定した。ただし「銃を持つには、ライセンスが必要だし、1回で何連射もできるような強力すぎる銃を持つ必要はない」とも話した。
 「意見は二極化している」。夕食で会ったアメリカ軍海兵隊中佐ジェームズ・ケンドル氏の言葉が心に残った。保有賛成派は主に全米ライフル協会(NRA)メンバーで、あらゆる銃を保持してかまわないと主張し、反対派はどんな場合であっても持たないよう訴えているという。NRAメンバーだが、協会の意見には賛同できないとした。また、犯罪の内容は多岐に及ぶが犯罪が多いシカゴでは銃の規制が厳しいという。しかし、犯罪率は銃規制前と大きな違いは無いらしい。この話の中で、銃は持つべきか否かケンドル氏ははっきりとは言わなかった。
 はっきりとした答えが出しにくい、また出せないところに命が関わる問題の難しさがある。ガールスカウトの少女も「はっきりとした意見は持てない」と言った。今後、賛成反対双方の意見を聞きあい調和していくことが必要だ。
 また、若い世代がそれぞれの意見を持ち、その意見を交し合うことは、日本にも必要なことだと思うので、自分も周りに学び考えを深めていきたい。

 アメリカの人気スポーツといえば野球が思い浮かぶ。今回の訪問でもメジャーリーグの試合を観戦したが、今年ブラジルでワールドカップ(W杯)が開かれたサッカーはどうなのか。アメリカでサッカー人気はそれほど高くはないという印象だったが、実際に現地の人はどう思っているのか。ニューヨーク、ワシントンで取材した。
 アメリカ代表は北中米カリブ海の予選を1位で突破し、大会ではベスト16という素晴らしい成績を残した。米国内の視聴率は非常に高く、パブリックビューイングにも多くの人が詰め掛けたようだ。ニューヨークではサッカーのユニホームを着て街を歩いている人を何人か見かける程度だった。しかし、共同通信社のニューヨーク支局の方は「今まではあまりメジャーではなかったが、W杯での活躍を機に盛り上がるかもしれない」と話していた。
 その兆しを少しずつ感じたのがワシントンでの取材だ。ホワイトハウス前で質問をしたエドウィン・パーシヤードさんは「ブラジル大会も見たよ。好きな選手は彼らだよ」と数人の名前を挙げた。アメリカプロリーグの新チームについても話し、「イチオシの選手」も教えてくれた。
 さらに、ガールスカウトとの交流会では、サッカーをしているというメンバーと話しができた。アメリカで女子サッカーは、男子サッカーよりもメジャーで、国際大会で何度も優勝している強豪国だ。彼女も「W杯は見たよ。アメリカ代表を応援している」と明るく答えてくれた。好きな選手を教えてくれたりと、アメリカでサッカーをしている同年代と話ができたことはとても新鮮だった。
 宿泊したホテルでは、アメリカのプロサッカーリーグ「MLS」(メジャーリーグサッカー)の試合中継も見ることができた。今回の取材を通じアメリカでは今、サッカーは少しずつだが人気が出てきている―そう感じることができた。